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はじめましての自己紹介

みなさま、はじめまして!
これが記念すべき初投稿になります・ω・✨
ここではぼく自身の紹介を徒然と書き記していこうと思います。
駄文になる可能性大アリですが、お付き合いください。

それでは話を進めていきましょう!

1.いまのぼく

これを書き記しているぼくは何者?
そんな声にお答えするべく、簡単ないまのぼくを紹介していきます!

■名前:やぐち だいすけ
■年齢:29歳(1991年7月生まれの14卒)
■出身:神奈川県小田原市(箱根まで車で20分のところ)
■部活:野球(小中高)
【小咄】高校のグラウンドから遺跡が発掘され、学校の校庭で野球を1度もせずに引退しました。
■アルバイト
(1)すき家:半年
(2)個別指導塾 講師:3年
■趣味
(1)カラオケ
(2)サッカー観戦(主に海外)
■幼い頃の夢
(1)いちご
(2)ピカチュウ
(3)気象予報士
【小咄】
幼い頃はNHKの気象予報が大好きで、天気図の解説を毎日していました。
当時の好きな言葉は「低気圧が急速に発達」「西高東低の冬型の気圧配置」です。
(4)公務員
【小咄】
小学校の授業参観で自分の夢を発表する際にぼくがこう言ったそうです。
零細企業の社長だった父親は自分の何が悪かったのか頭を抱え真剣に考え込んだのだとか。
■経歴
新宿にある人事コンサル企業に新卒で入社。
2年半勤務の後に設立4年の事業会社へ転職し、営業職を経験。
入社半年後に社内1位を獲得し役職者に昇格。
そのタイミングで石川県金沢市での新拠点展開の話を頂きNo.2として参画。
展開2ヶ月目で支店単位の契約ベース単月黒字を達成(当時の最速記録)。
その功績が認められ、予てから希望していた人事部門の立上げを任され、営業から人事へ転身。
新卒採用/中途採用の責任者として着任し、労務や研修の一部もサポート。
社内初の新卒採用も開始し、設計から実務運用まですべてを担当。
着任1年後に社員数50名→106名を達成し、業界2位の売上実績を誇る企業への成長に貢献。
着任期間約3年で選考した方は1,200名以上にのぼる。
そして、これまでの経験を未来を担う若者へ伝えイキイキと働く人材を多く輩出するというビジョン実現のため、株式会社hajimariのintee事業へ参画。
現在に至る。

2.これまでのぼく

ぼくのビジョンを正確に表現すると「出会った人の人生を好転させる事のできる人材へと成長し、イキイキと働く人材を多く輩出する」となっていますが、もちろんこれにも原体験が存在します。
ここではビジョンが明確になるまでの紆余曲折を記していきます。

■幼少期のやぐちくん
泣き虫で極度の人見知り。
他の子が怒られている姿を見るとその子よりも号泣する子供でした。
その一方で、幼稚園時代から通っていた公文式で小学校入学前に漢字の勉強を開始するころに成功した体験から、自分のことを天才だと思い込み始めます。
また、零細企業で社長をしていた父親から「お前は社長の子供(長男)として見られるのだから、幼稚で親の顔に泥を塗るような振る舞いは絶対にするな」と言われながら育ったこともあり、どうすれば怒られないかを常に考え、人様の顔色を伺いながら行動するマインドが育ち始めたのもこの頃です。

■小中学校時代のやぐちくん
教室の隅っこで絵を書いたりしながら大人しく楽しんでいる系男子。
野球はチームには所属していたものの、父親がやれというのでやっていたのが正直なところ。
そして怒られることを極端に恐れ、「怒られないいい子」でいるにはどうするべきかを常に考えて行動するようになります。
委員会は図書委員、誰よりも早く漢字スキルノートと計算スキルノートを終わらせることに熱中していました。
ハリーポッターや江戸川乱歩を読み漁っていたあの頃が懐かしい。
そんなこともあり、学校の成績は常時Top10をキープ。
「出来ない/苦手=怒られる→悪いこと」という固定概念から、人よりも出来ないことや苦手なことがあれば、克服するために努力するのではなく、それをうまく隠し卒なくこなしている風に見せる方法を考え行動していくようになります。

■高校時代のやぐちくん
グラウンドがないにも関わらず野球部へ入部。
これも父親の「野球は高校までやるもんだ」という言葉を鵜呑みにしただけ。
中学時代に腰を怪我していたということもあり、思うように練習にも参加できず。
途中で辞めるのはかっこ悪いというポリシーから退部せずに高3の夏までやりきったものの個人的には不完全燃焼。
高校時代に学んだことは「受身の人生は後悔しか生まない」ということ。

■大学時代のやぐちくん
高校時代の経験から「自分が興味を持ったことはどんどんやっていこう」というスタンスが芽生え始めます。
遊びたいと思ったら遊ぶし、勉強したいと思ったら勉強する。
続けたいと思ったら続けるし、なんか違うと思ったら辞める。
限られた自分の大学生としての時間を大切にしようと決意。
その結果めちゃくちゃ尖った学生に育ちますが、同時に自身のビジョンを構築する原体験を手にすることとなります。

3.ぼくの原体験

ぼくの原体験、それは個別指導塾での講師アルバイト時代のものです。

■このアルバイトを始めたきっかけ
受験勉強を通じて、頑張って勉強している学生を応援する塾という職場で働くことはやりがいもあって面白そうだと感じたことがきっかけです。

■数ある塾の中からその塾での勤務を決めた理由
ぼくが学生時代にお世話になった塾の系列だったことが1番です。
また偶々新規OPENのオープニングスタッフ募集ということだったということも大きな要因でした。先輩もいないので、本当に自分たちで1から教室を創っていかなければなりません。
あとは、オープニングスタッフにわざわざ応募をしてくるという人は「アルバイトだからといって手を抜かず、本気で取り組みたい」という気持ちを少なからず持っているだろう、そういうマインドの人たちと仕事が出来たらきっと自分自身も大きく成長できるだろうと考えました。
トドメは、選考の際に室長が伝えてくれた「自分は甘くない。申し訳ないが室長が任せられないと判断したら仕事のシフトを入れることが出来なくなるが、それでもついてこれるか?」という言葉です。
何としてもこの人に認めてもらいたい、やってやろうと心に火がついた瞬間でした。
人に頑張りを評価してもらい信頼を勝ち取るという経験ができれば、自分は社会でもある程度やっていけるという自信にもなります。
そういう意味でも、これは絶対に負けてはならない戦いだと心に誓ったことを今でも鮮明に覚えています。

■そもそもどうしてそんなに本気で仕事がしたいと思ったのか
1番の要因は全力で取り組んだと自信をもって話せることがない自分を変えたかったからです。高校時代の野球は確かに頑張りましたが、ぼくの中での不完全燃焼感はどうしても拭えませんでした。
ぼくは何か仕事で成果を出すことで、社会人としても十分やっていける人材なのだという自分自身への自信を持ちたいと思っていました。たとえこのまま何にも本気で取り組んだ経験も持たずに社会人になっても、活躍できる人材になれるイメージを全く持てませんでした。
そして何より、ぼく自身のマインドが未熟だったが故に高校時代に感じることが出来なかった「本気からくる青春」を何としても大学時代に感じたかったのです。

■なぜ全力で取り組んだ出来事があれば自分を変えられると考えたのか
優秀だと言われている人には必ずと言っていいほど「何かに熱中した時期」があります。それがぼくにはない。それこそ何よりもぼく自身が劣等感を抱く理由でした。
学業も部活動も取り組んではきたものの本気になれたかと聞かれると怪しいですし、自分は何にも本気になれない、エネルギー量の低い仕事が出来ない人間だと認めたくなかったのです。

■なぜ自分はエネルギー量の低い人間だと認めたくなかったのか
これはシンプルにプライドの問題です。
ぼくは幼い頃から「父(社長)の息子として恥ずかしくない人間になれ」と言われ続け、周囲からそれなりの評価も受けてきました。
しかしそれは、父の敷いてくれたレールの上をただ走っているだけ。
敷いてくれたレールの上で本気になることも出来ず、かといって自分で決めたことをやり遂げた経験もありません。
もしそのまま社会人になってしまったら、学生時代は比較的優秀だったかもしれないけど、社会に出たらそうでもなかった、ピークは学生時代だったねと言われてしまうのではないか…。
そんなの、嫌だ。
到底受け入れられません。
それを回避する方法はただ1つ。
自分よりも能力が高い人間に囲まれ、しっかりとした実績とマインドを持ち、ぼく自身への自信を深めるしかありません。
「こんなところで終わってたまるか。」
「社会人に認められる実力を身に付け、社会に出て勝負出来る人材に育ってやる。」
野心にも近いこの気持ちが、ぼくの原動力そのものでした。

■優秀な人材になりたいと思ったのか
両親に「自分はここまで成長できた」という姿を見せたいからです。
そして何より、ぼく自身が本気になれない/結果を出せない自分を受け入れられないですね(笑)

■ここでいう優秀さの定義について
限定された範囲内で人並み以上の業績を出すために自ら計画し実行できる力、更には範囲に囚われることなく自ら課題やゴールを設定し計画を立て実行し業績を向上させる力、そして自分自身の選択を正解にできる力を持っていることです。
自分の軸で生きていて、その選択を自分自身の力で正解にできる人材ってかっこいいですよね!

このマインドを持って塾講師のアルバイトに打ち込んだ結果はざっくり記すと以下の通りです。
(1)初年度の生徒離塾率0%を達成。
(2)個人として更に2つ教室の新規出展メンバーに選ばれ3教室でのリーダーポジションを経験することができました。
(3)4年生の頃になると数十人を相手に講師研修を行う機会も増えてきました。教えた講師の数は総勢100名近くです。
(4)教え子で大学へ進学した半数以上が講師として戻ってきてくれました。
(5)担当していた生徒数は延べ200名以上。志望校に送り込み続けたのは言うまでもありません。

幼い頃は人見知りで、泣き虫。
人の顔色ばかりを伺って、公務員を目指していた、ぼく。
それでも何とか社会に認められる人材になりたいという一心で駆け抜けた大学生活でした。
そして何よりも大きな財産なのは「学生時代に何を頑張ったの?」という質問に「塾講師のアルバイトです!」と自信を持って即レス出来るくらい本気になれた仕事と出会えたということです。
この経験がなかったら…と考えると、正直ゾッとします・ω・;

そしてこのアルバイトを通じて、ぼくは「働く」ということと向き合い始めるのでした。

■自分のキャリアを描く
塾講師アルバイトを通じて学ぶことの楽しさ、働くことの面白さそして教育事業の素晴らしさを知ったぼく。
そして迎えた就職活動。
ぼくは「未来を担う若者を次々と社会に輩出し続けることで社会に貢献する」事業を行っている企業への就職を考えていました。

研修商材を扱っている企業、子供向け学習教材を扱っている企業、学習塾を運営している企業…・ω・。

その中でぼくは、3つのことに気が付きます。
(1)学習塾はあくまでも知識を提供する場。しかし学校の成績がいい=社会的に優秀だとは限らない。つまり学習塾への就職はぼく自身のビジョン実現に直結しないのでは…?
(2)社会に出て仕事をしたことのない半人前の人間が、本当の意味で学ぶ意義や労働の面白みなどを自分の言葉で伝えられるのだろうか。
(3)ぼくはぼく自身の言葉で伝えていきたい。研修教材や学習教材に自分の言葉を代弁させることは本来ぼくが求めている未来ではない。

その上でぼくは、以下のような計画を立てます。

一旦の目安を 30 歳までとして、まずは社会に出て酸いも甘いもたくさん実体験として経験し、改めて教育の業界へ戻る。

まずは 23 歳から 30 歳までの期間は社会について知る期間とし、色々な業界の企業の情報が集まってくるコンサル業界に焦点を当てます。人材/組織の観点からコンサルティングを行うことで自身も成長させながら多種多様な業界に触れることが出来れば、ぼくのビジョン実現を大きく手繰り寄せることが出来ます。選考中もその想いを強く打ち出した結果、晴れて人事組織コンサルティング事業を強みとして持つ人事コンサル企業へ新卒で入社する運びとなるのでした。
ちなみにぼくがその年の最終選考者1人目にして、内定出し及び内定承諾第1号だそうです。

4.社会人としてのぼく

ここからは社会人としてのぼくの歩みを簡単に・ω・💻

晴れて人事コンサル企業に入社したぼく。
チームメンバーの 1 人として大手通信企業の採用コンサルや外資系ブティック企業の社保労務コンサルなどに従事します。その中でぼくはこの社会が、理屈や正論ではなく好き/嫌いといったで感情で動いていること目の当たりにするのです。
そしてある日、着実に経験を重ねコンサルとして企業の課題解決および BPR に取り組む中で、ぼくは不意にある疑問を抱くのでした。

今自分が解決しようとしている課題は、企業のコアに関わる問題ではなく、あくまでも枝葉の剪定作業なのではないか。

というのも、別チームのクライアントの中には「こうすれば絶対に良くなる」とわかっているにもかかわらず、遅々としてプロジェクトが進行しないというものがあったのです。
なんで伝わらないのだろう…とチームメンバーは頭を抱えていました。

ここなんじゃないか、自分が次に知るべき世界は。
ほぼ直感ですが、そう思いました。

コンサルという立場は確かに色々な業界の情報が集まってくる為幅広い知見を手に入れることは出来たものの、クライアントとの結びつきはお金と契約書面だけの関係でしかありません。
枝葉の問題の裏には必ず根本の問題が眠っているはずで、その根本を解決しなければそれは対処療法を繰り返すだけしかないかと。
事業会社は人間関係で動いています。
それを経験せずして、社会を知ったとは言い難い。

思い立ったが吉日、翌日自身が身を置くべき環境の条件を列挙しました。

(1)年齢に関係なく結果を出せば組織の中核へ食い込んでいける企業文化を持っている。
(2)設立年数が浅く、組織として未成熟。
(3)事業が右肩上がりで成長しており、上のポストに空きがある。

その結果たどり着いたのが前職の事業会社です。
やるべきことは大きく3つ。

(1) 組織の中核メンバーになり事業を伸ばし育てる側の人間として仕事をする。
(2)会社の意思決定プロセスを間近で観察・参画し、企業が感情で動く生き物だという実体験をもつ。
(3)率先して前例のないことに手を挙げ自らレールを敷く側の人間になる。

ぼくが前職で出した成果は最初の自己紹介の略歴で簡単に触れたものとなります。
こうしてぼくは社会人としての6年半で、コンサル・営業・企業人事という3つの側面を知ることが出来ました。
何より大きな財産となっているのは、知識ではなく肌で感じた実体験としてその仕事を話すことが出来るということです。

そして 30 歳を目前に迎えた今、23 歳のあの時には見えていなかった社会の構造が何となくぼんやりと見えてきたように思います。
(1)正論で人は動かない。
(2)正解を示しても人から信頼を集めることは出来ない。
(3)学歴はあくまで武器であり、使いこなせるかはその人次第。
(4)営業はトークスキルを極めるだけではマスターできない。
(5)人事採用に必要なのは頭の良さではなく誰よりも会社を好きでいる気持ち。
(6)お客様は営業が思っている 1,000 倍頭がいい。
(7)代わりの利かない人材になる為に必要なことはテクニカルスキルを極めるのではなくパーソナルスキルを極めること。
(8)仕事をする上で重要なのは「Will‐Can‐Must」のバランスとストーリー性。


どれもよく本に登場するものばかりですが、実体験として列挙すると改めてその通りだなぁ…としみじみ思います。

5.さいごに

簡単に、そして徒然なるままに書いていたら6,900文字Over・ω・oh...
駄文、失礼致しました。

ぼくのこれまでのキャリアは、自分なりに考えた結果選んできた道のりです。
「こんなことしなくても良かったんじゃない?」という意見があることも承知しています。
でもこれは、ぼくが選んだ道のりです。
ぼくにとっては、これ以上も、これ以下もありません!
これを正解にしていくのが人生であり、今所属している株式会社Hajimariが掲げているビジョンでもあります。

ぼくのこれまでのキャリアは偶々描くことが出来るキャリアではありません。企業の色々な側面を知っているからこそお伝えできることがあるかもしれません。
ぼくはこれから出会うたくさんの方々にとって少しでもプラスのインパクトを与えられる存在でありたいと思っています。
最後まで読んでいただいた心の優しいみなさんとお会いできることを楽しみにしております・ω≦✨✨

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!!

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