[小説] 遺物

 塔の頂上には寺院が建てられており、その内側はタイルで埋め尽くされていた。氾濫する色彩が、反復しながら変化していく紋様となって、わたしを迎え入れた。かつては巨大な都市の一部だったというこの場所は、今では周囲を砂に覆われて孤立している。
 わたしがこの寺院を訪れたのは、新年から月が九回満ちた日だった。
「ようこそ」座り込むわたしに茶を差し出しながら僧侶が言った。「ここを訪れる者は多くありません。しかしみんな一つの目的のためにやって来る。あなたもそうですね」
塔はあちこちの床が崩落し、階段を使えないことも多かった。よじ登ってきたために傷んだ手ではうまく湯呑を持つことができず、僧侶が支えてくれた。細く長い腕に手伝われてようやく茶を飲み干したわたしは
「見たいものがあるのです」
とだけ伝えた。

 僧侶のしなやかな四つの脚は、正確なリズムを刻みながらわたしを先導し、いくつもの扉を通過していった。機能は衰えているのだろうが、寺院も僧侶もよく整備されていた。それにふさわしい物がここに隠されているのだ。
 最後の扉が開いた先の部屋には、ひとつの箱が祀られていた。わたしは鼓動が早くなるのを感じた。
「すべての季節の祝祭…」
口から漏れた言葉に僧侶が応えた。
「そう、すべての季節の祝祭。この箱とその中身の名前。すべてが揃っています」
「ちぎれた箱を見たことはあります。中身の断片も。けれど本当に、これは完全なものなのですね」
古い時代の、もはや失われた技で作られたその箱は、赤子の頭ならすっぽりと入ってしまうほどの大きさがあり、硬い紙で作られていた。極彩色が幾重にも重ねられ、複雑な図像を結んでいる。その姿は特別な人々を表しているのだ。噂には聞いていたが、これほど良質な状態で保存されたものがあるとは、実際にいま目にするまで信じきれていなかった。
「多くの人々が、古い時代にこの方たちを崇拝したのですね。疫病の時代よりも昔に」
わたしが興奮してつぶやくと、僧侶は微笑み、中身を取り出した。
 いくつかの紙片、薄い書物、そして平らな箱が八つ。八つの箱には、合わせて三十一枚の輝く板が入っている。そのすべてに異なる偶像が刻印されていた。
「美しい」
「見た者は誰もがそう言います。そして旅を終える」
わたしはその輝きにしばし目を奪われ恍惚としていたが、気持ちを整え、僧侶をまっすぐに見据えて口を開いた。
「では秘密を知らない者しか訪れなかったのですね? この箱の本当の開き方を知らない者たちしか」
僧侶はなにも聞こえなかったかのように反応しなかったが、わたしは言葉を続けた。
「箱を蘇らせたいと願うことは愚かなことでしょうか。人々は狂い、気付かぬまま死へ向かっています。この箱が蘇れば、どれだけの人が救われるでしょう」
中身をしまいながら、僧侶は首を横に振って言葉を返した。
「方法がない。この箱を作った技と同じく、蘇らせるための装置も永遠に失われました。新しく何かを作り出せる者はいません。今ではわたしのような存在が、わずかな遺産を守り続けているだけです」
「紅葉ヶ原の採掘で見つかったものの中に、装置があったと噂されています。それを使えば」
「そういう話は何度も聞きました。そのたびにわたしは失望することになったのです」
僧侶はわたしに白い顔を向けた。長い年月で、不動の精神が蝕まれているのが見て取れたが、僧侶はなおも話し続けた。
「可笑しな話ですが、古い時代の人々は疫病や災害と共にありながら、なおも享楽のために技術を発展させ続けたそうです。人々は物質から中身を切り離して天上へ保管したという。誰もが大小の機械を持ち、望んだものを手元に引き出すことができた」
「代わりに地上では多くの物が不要になったと聞きました」
「そう。けれど人類が衰える速度はあまりに早く、ふたたび地上に移すことはできなかった。大慌てでわたしのような者たちが作られたけれど、本当に価値あるものはすべて取り残されてしまったのですよ。悲しいことです。ここにある『すべての季節の祝祭』は、衰退の時代の前に作られた複製のひとつですが、わたしが管理できるのも奇跡に近いことです」
僧侶はため息をついた。
「自分に使われている技術が、この箱のためには一切機能しないという苦しみがわかりますか」

 わたしはその夜から幾晩か寺院に泊まった。体力が戻るのを待つ必要があったのだ。半月が欠けはじめた夜、わたしは微睡む僧侶に近づいた。僧侶の顔、胴体の上に付いた窓は暗かったが、わたしがそばに寄ると白く光った。わたしは話しかけた。
「塔を降ります」
「そうですか。わたしを襲い、あの箱を盗む支度はできましたか?」
わたしは一瞬怯んだが、言葉を続けた。
「そうしようと何度も思いました。ここにあれば箱は失われない、しかし意味もない。今でも迷っています」
「あなたのような者は過去にもいました。しかし企てはすべて失敗した。わたしとこの寺院には盗みを防ぐ機能があります。保管だけを役割として生み出されたのだから」
「ではわたしは去るのみです。日の出とともに。世話に感謝します」
僧侶はなにも答えず顔の明かりを消した。暗くなった窓にわずかにわたしの顔が映っていた。


**********


 その手記を読んだのはわたしがこの地に来て百二十日目のことだった。わたしたち三名は解析機を使い、いつもの手順で遺されたものを探していた。
 衰退し、失われていく文明の名残りを保存するためにわたしたちは働いていた。ある程度発達した文明は、滅びる前に宇宙へ播種船を飛び立たせることがあり、それをわたしたちは見つけることができた。遠大な宇宙とはいえ、時間と重力の前に距離は意味をなさない。見つけた船から航路を算出し、元の星へたどり着く。言語を解析し、できるかぎりの採取を行う。播種船からはじかれたものたちを。それらは異空間に収蔵された。中でも芸術は重要度が高いものだ。もっとも不可解ゆえに。
 わたしが訪れたときにも、幸運なことに寺院は崩れていなかった。四脚の機械が停止して倒れていた。わたしは手記の中で『すべての季節の祝祭』と呼ばれていた箱を見つけ、それを回収した。
 記されていたとおりに、その箱は美しく装飾され、中身も揃っていた。取り出してみると、輝く板と記されていたものは、一種の情報記録媒体だとすぐに見て取れた。もう自壊しているかもしれないが、もちろん逆行により新品の状態に戻すことは可能で、情報を引き出すための装置も復元できる。その作業を引き継ぎ、わたしは新たな遺物の探索に取り掛かった。

 この仕事に果てはない。膨大な距離を一瞬で移動するわたしたちの周りでは遥かな時間が経過する。その間にも文明がまた一つ朽ちる。遺物を回収する。また別の。わたしたちの精神は三次元世界と繋がりつつも高次にあり、相互にネットワークを構築しているから、どんな負荷にも耐えられる。それでもわたしたちが苦痛を感じることがあるのは、肉体が三次元に縛られていて、精神の一部がそこに宿っているからだ。より高き人々の奴隷になったわたしたち。彼らの本当の目的は測れない。時々、ほんの少しだけ、自分が壊れる予兆を垣間見ることがある。そんなときにわたしたちは精神を避難させるが、精神をすべて肉体に降ろし、ネットワークから断絶して、そのまま行方をくらます者もいる。わたしはその考えを知ろうとは思わない。誘惑にも惹かれない。
 ある日、わたしは仲間たちの様子の変化に気づいた。彼らは大きな歓びに満ちて、その感情に戸惑ってすらいた。
「どうしたんだ」
「あぁ、報告したいと思っていたところだ。あなたが見つけてきたあの箱、あれだよ。数世代に一度しか巡り会えないという、わたしたちの精神すら動かすものだ。あなたも早く中身を観るといい」
わたしは言われるまま自室に戻ると、端末からそれを観察した。『すべての季節の祝祭』とは省略された名前だと、あの旅人は知っていただろうか。観終わるまでに長い時間がかかった。それは数年間の記録で、存在しなかった人々を描いたものだった。試練と慈しみの物語だった。すべての季節、すべての日々が祝祭であり、わたしたちはその最中にいると、それは言っていた。なんという嘘だろう。だが時間の経過とともに、わたしはその嘘を受け入れることができた。その物語は、まだ失わずに済むことがどれだけあるかを示し、旅を続けよとわたしを鼓舞した。たとえ困難でも正しい道を進んでいると。ある人たちが遺したものがわたしに力を及ぼすのは、遠い星の光が、星が失くなった後も残り続けることに似ている。だからわたしはこの美しいものをネットワークにそっと置いた。あなたたちにも見えるように。

〈了〉







すべての季節の祝祭。
偶像による活動、すべての季節を照らす青い光の祝祭。


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アイカツ!ALL SEASON Blu-ray まつり!!に捧ぐ。

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