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2年越しの「おはよう」

今日は一段とグダグタ書きます。

昨夜ね、不要なLINEをババっと選択して、削除してたの。広告とか幼稚園の時のママ友グループとかね。あんまり考えてなくて、パパッとやってたわけ。

そしてね、間違ってkとの2年近くのラインを削除してしまったみたい。

「ああ、それって復活できるでしょ?」って思ったら、なんとね、バックアップとってなかったみたいでね、できなかった。間にスマホの機種変更をしていて、なんだかよくわからないけど、出会った当初の2ヶ月ぐらいのやつだけ復元できたの。最後のやりとりは、2020年10月で私が「おやすみ」ってkに送ったところで終わってる。

まあ、ショックだよね。

エントロピーってのは生きてるだけで増加するもんだけど、最後は恋が終わるんだって。形を変えるとも言えるけど。一旦増えてしまえば、もう戻れない(不可逆性)。当然のこと。

でも、どっかで過去に執着するのを手放ししなきゃいけないと思ったし、出会ったという事実だけが残る、つまりエントロピーが増加する前のデータだけが虚しく残るのが、また私らしいなって思ったり。

だからここに書いてることってすごく貴重なんだよね。恋愛感情を含め、自分以外とのやりとりって、自分の頭の中だけで起こってることが多いものと理解してる。「そう感じてるという同じ時間」は誰一人とも共有できない、それぞれがそれぞれの時間軸で動いていて、互いに同じ時間で交わるのではない。だから、ラインでのやり取りでも、会って話したことも、ここに書いたことも、結局、幻なんだというのは暴論かもしれないけれど、私の中ではそこにしか辿り着かない。

幻として聞いてもらえたらありがたい。

kは単に知識が豊富な人ではなかった。国立図書館みたいな情報量は確かにあったけど、導かれるたった1文の結論が美しすぎて、そこが大好きだった。だから何度も読み返してた。満月を見て、「月は太陽に嫉妬してるんだと思うわ。どうやったって叶わないもの」って言う私に、「そうかもね。でも、太陽の方が嫉妬してるかもよ。『綺麗だね』って見られるのは月だからね。孤高の道を歩むか悩ましいね」。残念、ちゃんと正確にkが言ったことを思い出せなくて、陳腐な表現に成り下がる。

「もっとこうしてほしい」という自我の暴走を初期の頃言ったら、ピシャリと「それは俺は関係なくない?」と言われ、自己との対峙を求められた。考えすぎて、破裂して、でも「好き」という気持ちだけが灰の中をかき分けて見つけたときも、「自我が自我であるために、考えるという呪いのプログラミングがあるんだよな」「kには自我がないの?」「そりゃあるけど、自我に舵取りだけはさせたくないな。抑え込むと逆に力が強くなるから、自我が出てきたら『そうだね、わかるわ』って共感してあげる、そしたらフッといなくなる気がするよ」という。

すごくいい言葉だったのに、ここもちゃんと思い出せない。書いてて、悲しくなる。

ガチガチの理系のくせに、どうしてこう魂とか精神世界の話をしてくるんだろう。

「kと出会えてよかった。kにとって私もそうだといいけど」「俺もそうだよ。サキの美しさと女性性で魂の奥まで潜り込める気がするわ」っていうようなことをつい最近も言ってた気がする。

もう残ってないけど。

消えたことで、私が今すごく悲しい理由はなんだろう。

ウォッカのような濾過した知性を持つkという人が存在し、私を愛でてくれたということ。私と会う前から、占星術だとか縄文時代だとか民俗学とか量子力学とか解剖学だとか、短期間で色んなことに興味を持って没頭するk。そのくるくる回転する頭の中を、「竹蜻蛉みたいに飛んでいきそうだ」と思いながら、横で聞いてるのが私。で、私も黙って聞いてるだけじゃなくて、興味関心が温泉のように湧き上がってきて、「ねえ、聞いて聞いて!!」って言ってるのが私。母のようであり、幼い子供のようであり、その二つが交互に出てくる、と言った時も「どっちのサキも好きだよ」と来ていた。私の「ねえ、聞いて!」に「面白そうだな!」「味噌うまそうだな!」とかたいてい返信してくれるけど、時々平気で既読スルーするし、なんか考え事をしてたらいつまでも返信もない。忘れた頃に返事が来たり。そういう人。というリズムを確認するために、今までのやりとりを見直してた? 「真理とは?」って聞いたら、「正直言って全く興味ないな笑」と書きつつ、自分なりの解釈を山登りに例えて長々と説明してくれる。私の問いには10倍にして返してくれるけど、しょうもない恋愛感情をぶつけると「わかったよ!」と言いつつ、サラリとどっかに言ってしまう。

だから2020年の時と今も関係性は変わってないのよ、エントロピーなんて増えてないんだわって確認するために、ラインを時々読み直してた?だとしたらちょっと愚かね。我ながら愛おしいわ。

ライン上では2020年10月の私の「おやすみ」から止まってる。

けど本当は2022年の5月のどこかで、「ねえ、今日プレゼン上手く行ったわ!新しい環境でよくやってるし、できる女だよね!(笑)。ここまで会社で自慢できないから、kに言っとく笑」という私に対し、

「(すごいなって)みんな思ってると思うよ!(グッジョブマーク)」

で終わってるの。きっとkのLINEでは。

「おやすみ」と「みんな思ってると思うよ!」をタイムマシンみたいに私が繋げていいのかな。それとも、いつくるかわからないkからの「おはようサキ」って言葉を待つ方が幸せなことかしら。

厄介な感情を経験するために、私の魂はこの生を受けたんだな。

ちょっと残念。

なんかよくわからないけど涙がすごくでたし、そしてそれも乾いた。

愚かで愛おしい私の記憶。

ストレッチして寝よう。



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