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心底笑えなかった2018年

もう2度と2018年は経験したくない。足掻いて踠いて少し疲れてしまった1年だった。過去5年分の涙を、この1年で流した。


1月

彼女に振られ、惨めになりたくないし、あの子が決めた道だしと、精一杯、いや一杯一杯になりつつ12月31日に連絡を絶った。年始から貪る様に、復縁のサイトを見漁った。

18/01/〇〇にこのサイトにアクセスしました。
何度この文字を見たか分からない。

朝ごはんに食べたうどんの器の暖かさに安心感を覚えて、あったかい....と呟いて周りを不思議がらせた。

まぁそんな状態だから1人の上司から、使えないだの、言わないと動かないだの言われ、終いには、アスペルガー鈴木というあだ名までついた。

重度のアスぺエルガーの人と学校が一緒だった事と、それらとは無縁だと思っていた事もあり、自分のコミュニケーションの仕方を根っこから否定された様な気持ちになった。プライベートは人と会う気にならない、仕事場でも居場所はない。塞ぎ込む一方だった。

その結果、左耳管狭窄症になり左耳が難聴になった。
山に登ると気圧の変化で耳抜きをしたくなると思うが、それが治らない。ぼーーーーって。

耳と目と歯は大事にと言う言葉の意味がわかった。本格的にやばいと思った。

2月

今後の自分の体の不安、仕事の不安と不満が爆発した。

いつ終わるか分からないものに、怯えて、震えて、布団に包まって何回も徹夜で仕事に行った。心療内科に電話したりしたが、認めるのが怖く、結局仕事のせいにして行かなかった。

そんな中、ダイビングの講習が始まった。別れる前から予約していたのが救いで、無理やり体を動かす形になった。初めて水の下にずっといたが、包まれてる感覚が安心した。室内プールの温度が少し暖かいもあったけど、心底安心した。

結果、難聴は回復した。医者には、お薬を処方しますので時間経過ですね、、と言われていたが、約2ヶ月の難聴生活は終わった。勝ったと思った。やっぱり自分は水に救われる、縁があると思った。

自分の事をめちゃくちゃ推してくれている上司に現状を説明したら
「人生は選択と後悔の連続です。その時は最良と思い判断したとしても後悔してしまう時もあります。けれど、その時の自分自身の判断で最良だったと思えば意味のあるものに変わります。失敗した後が、本当に人としての価値が決まると思います。恐れず前に進んでください。鈴木さんには鈴木さんにしかない魅力があるよ。お互い頑張りましょう」とLINEで返信が来た。
泣いた。

新しい事で私生活を埋め尽くそうとプログラミングとアウトリガーを始めた。

3月

あんまり何をしたか覚えてない。必死に人事担当に部署を変えてくれる様お願いした結果、めでたく内勤に異動が決まった。今の職業での夢の部署であった事、異動以外の方法が取れなかった弱い自分、あの1人以外は学べることが多い人達ばかりだったこともあって、送別会では心の内をぶちまけて号泣した。

4月

内勤に決まり、しばらく心の安定が続いた。この頃から女の子と月2〜3人のペースでデートしてた。寂しさを埋めたかったんだと思う(ごめんなさい)

5月

はあちゅうさんの『「自分」を仕事にする生き方』を読んで、本格的に転職を考える。漠然と個の時代だ!!と騒ぐ。いざ自分のスキルを見つめ直すと、何にもない自分だと落ち込む。しかも今の職業が特殊なので、転職市場ではカウントされない様なものだと知り、落ち込む。

6月

「若手力」のセミナーに行く。箕輪さんと田端さんとゆうこすの働き方を見て、自分はこんなんじゃダメだと、奮起する。

7月

ライフセービングのクラブの内部分裂が起き、新興勢力につく。

ライフセービングを8年続けているので、毎年の挨拶を心待ちにしてくれている隣の家のお婆ちゃんがいる。遠い地にも居場所があることの幸せを感じてた。

8月

8年続けてきたのもあり、静岡が第2の故郷のようになっていた。

「あなたがいるから安心なの」と海水浴場の管理組合の人に言われた。

泣いた。

9月

箕輪編集室に入会する。公務員の仕事のスピード感が遅いというなら、最先端はどうなんだという興味本位で入会し、新歓に参加する。マガジンハウスの方と理学療法士の方が目の前で話していて、面白そう!やろう!で仕事が動いた。びびった。こんなことできるのだろうかと尻込んだ。しかも現在は取材も終わり刊行準備まで言っているみたい。

10月

本も言葉も好きなので、ライターチームで書き起こしをコンスタントにやる。その人の口癖、雰囲気、考え方が文書に出てくるのが面白かった。みの編で開催されているイベントには行ける限り全部行った。スケジュールを埋めまくった。有名な方からの書き起こしで納期が間に合わなかった。不安定な時期の中、必死に掻き集めてたツギハギの自己肯定感が剥がれ落ちて、何やってんだと泣いた

自分の仕事の本質とは掛け離れた保身の事務、逆説的だけど何もなかったら何にもしない仕事、職員の入力によって構成される日々腐っていくデータ、互換性のないしっちゃかめっちゃかなシステム、自分のやっている事はなんなんだろうか。新陳代謝の極端に低い会社で、このまま後追い後追いで変わっていくのに巻き込まれるのだろうかなんて感じ始める。虚無感と不安と無力感に襲われる。

幹部の会議が終わるまで、先輩や同僚が4時間ほど出待ちの為だけに残業しているのを見て、働き方改革とは無縁の場所だなと感じる。

11月

書き起こしはしつつも、このままでいいのかなと漠然な不安を抱く。なんだか自分の力になってる実感がしなかった。やってどうなる、と開き直り少し休む。

転職しようと2社受けてみたが、どこも受からなかった。なんだか自分自身でさえ転職活動の実感も本気度もわからず、結局なにしたいんだっけ?という疑問に答えられない自分に気づく。

12月

転職する前にこの会社でやれる事全部やってやると思い仕事に打ち込むと、少し仕事が楽しくなってきた。人生も仕事も模索中。


ひたすら羅列してしまったけど、書こうと思ったら止まらなかった。

誰に見せたい訳でもない、バズらせたい訳でもない、ノウハウのかけらも無い、自分の振り返りである。未来の自分が見たら疲れてるんだろうなと感じるだろう。親からも根拠のないポジティブさはどこへ??と言われる始末。

2018年の自分に声をかけるとしたら
「お疲れ様、何かを続けた、成し遂げた事は特にないけど、結構よかったんじゃない。」
かな。

こんなに長くなる予定もなく、去年の振り返りを元旦発表するという変な感じになったけど、まぁいいや。


人の優しさに触れて、、、とか月並みな言葉だけど本当に周りの人には優しくしてもらいました。ありがとうございます。感謝です。

これからも、、なんておこがましいけど、仲良くしてくれると、とっても嬉しいです。

2019年はとりあえず、クヨクヨしないを目標にしたいと思います。



いただけたらすっごく嬉しいです