足し算と身体性を考える

5+3はいくつか?
これを読む多くの人はその答えが8であると知っている.だが,同時に指を折り数えることでこの答えを導くことができることも知っている.なぜ私たちは指折り数えなくなったのであろうか?ここから話を始めることにする.

指を使う利点は,数を数えるのに合わせて指を曲げるだけで計算ができることにある.5+3ならば5つ指をおり,さらに3つ指をおる.折った指を戻しながら数を数えていけば解が得られる.ここに陽な計算はなく,指の状態が答えを導いてしまう物理計算器になる.

では陽な計算とはなんであろうか?
ここでは単に頭の中で覚えている組み合わせのことをそう呼ぶことにする.足し算の場合は,おおよそ0+0から9+9までの100の組み合わせ(重複を考慮しない)を覚えていれば計算に問題はない.いや,そんなことはない.僕は123+456だって解けるけど組み合わせを覚えてる訳ではないという意見はあるかもしれない.では筆算をすることを考えてみよう.一つ一つの計算は100の組み合わせの中にある.そして,残りの数を紙に書いてあるという状態がそれを可能にしていることが分かるのではないかと思う.

こうして見ると筆算と指折り数えるという行為の共通点が見えてくる.どちらも頭で単純な処理を行い,別の何かの状態との対応から計算を可能にする.この何かの状態は指の形であったり,紙に書かれた数字であったりする訳であるが,どちらも頭で考えていないことを記録する外部メモリとしての役割を果たしていると捉えられる.

ここで足し算を習うことについて考える.小学校に入るとまず数の数え方を習う.このときに指を使うと,数と指の形に対応関係が生まれる.これは,メモリとして扱うための前準備となる.そして指折り数えて足し算を学ぶ.これはメモリを使用した計算法を学ぶことにつながる.そして計算すべき数は大きくなり,指ではメモリの役割を果たしきれなくなる.そして新たなメモリを身体の外に求める.これが紙であったり,算盤であったり,他の媒体であると考える.新たなメモリを獲得することで人の計算能力は飛躍的に伸びていく.

さて,話をまとめていくことにする.
はじめに数を学ぶとき,それは身体と強く関係している.おそらく我々の指の数が20本あれば,あるいは5進数を扱えば指折り数えることで計算結果を覚えずとも多くの計算ができる.しかしながら現実ではそうでもないので,ある程度の計算は頭の中で覚えておく必要がある.これが足し算を習う一つ目の意義.
そして,大きな数を計算するために,その情報を残すことができる外部メモリを自分の身体以外から用意すること.これが二つ目の意義と考える.そしてこの二つをまとめると身体性に縛られない計算ができること.これが足し算を学ぶことで得られることと考えた.

数を習うとは抽象を扱えるということであるから,自身の身体性に縛られないというのはその第一歩といえる.そして,その一歩を踏み出したからこそ私たちは指折り数えることがなくなったのであろう.一方で自身の身体性を扱うことで計算が易化される.すなわち,指で数えられる計算はそうでない計算に比べて難しいとされているのもヒトの知能の妙であると思える.最後に,より大きく身体性に委ねた計算とはどのようなものかを考える上でも,いつ計算(の多く)を身体性に委ねなくなったのかを考えるのは良いことのように思う.願わくばお腹がどれくらい減ったらご飯を食べれば良いのか.どれくらい疲れたら休憩をとるべきか.そんな些細な計算もできるようになってほしいものである.

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