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#善は競え ~善は急げ②~


次の日も休みだった。昨夜はなかなか寝付けず、知らないチームと知らないチームがルールも知らない競技を行い、知らない人が熱狂している様を眺めていた。そして熱狂するだけの理由を何となく感じ、その曖昧さのお陰で眠りに入れたようだった。

起床するとすぐヤカンに火をかけた。そして、緑茶を急須に入れながら昨日のアイディアをもう一度たどってみた。

まだ新鮮で、心も躍る。

僕は早速、交換したカワゾエの連絡先に昨日の御礼を打ち込んだ。次への展開の為に気軽にやりとりできる環境を作っておくのは大切なことだ。

ヤカンから湯気が立ち、急須に湯を入れる。たってくる葉の香りを鼻から一杯に吸い込んだ。この匂いと蒸らしたあとの一発目。これが僕の好きな匂い。

湯呑みに緑茶を注ぐと、アイティアを形にする為の設計図に取りかかった。何回変更されようが、最初の道筋はしっかりと立てておくべきだ。その時々の思いつきによって、とんでもない方向に連れて行かれるのはよくある。紙1枚と鉛筆。文字と、囲う○と、矢印がたくさん出てくる。そして、図の中でカワゾエも自分も存在しなければならない要素として役割を担えた。この段階まで来てもこのアイディアは瑞々しかった。

一時間ほど作業しているとカワゾエからの返信があった。
カワゾエ:【お疲れ様、昨日は有り難う。この流れはネットワークビジネス?】
なんでだよ。と思いながらもホコリがたってない訳でも無かったので微妙な気分になる。
ヤマサキ:【お前の家の近くでいいから、ファミレスで会えない?】
あからさまに乗っておけば相手の警戒も解けるだろう。
カワゾエ:【おう。今帰っているから、筑波まで来れる?】
カワゾエはもう研究施設に戻っている所だった。日曜日の昼から出社するのかも知れない。
ヤマサキ:【もう帰ったの?飛行機乗ったら赤字だなぁ】
カワゾエ:【じゃあ、またね】
ヤマサキ:【来週の土日どっちかで行く。ちょっと真剣な話】
カワゾエ:【ほんとに?土曜の夕方なら。ネットワークビジネスだったら殺すし、処刑理由と処刑動画をSNSにあげるわ。】
カワゾエ:【あと宗教でもな】
ヤマサキ:【わかった。じゃあ】

ファミレスはあまり好きでは無い。特に昼間のファミレス。テニスサークルを仕切っている以前要職にいたようなじいさんとか、パート上がりにパフェをかき込んで時給を無駄にする主婦とか、持ち込んだ資料で相手を丸め込もうとする保険屋とか、ビジネスと名前をつけた怪しい罠にはめる人とかはまる人とか。周囲を観察していると、気分が暗くなってしまう。

「お待たせ。一週間ぶり。」
カワゾエは目に隈を作っていて、健康な時間を過ごしていないのは明らかだった。
「久しぶり。これ見て欲しくて」
僕はもったいぶる必要も感じず、一枚の紙をカワゾエに手渡した。旧友は垣根が無いから本音で行きやすい。

『一昔前まで、健康維持の為に歩くことは多くの人にとって持続困難だった。しかし、今はどうだろう。老若男女問わず公園を、一駅分を、毎日、意欲的に歩いている。その要因となっているのがテクノロジーに評価される外部的な報酬である。
今、意欲的に歩くほとんどの人はスマートフォンやウェアラブル端末を携行し、キャラクターやアイテムや、その土地に行った架空の証など、一昔前のリアルには無かったリアルを愉しんでいる。ゲームの世界がこちらに来たのか、ゲームの世界にこちらが飛び込んだのか。既に世界を分かっているこの感覚が前時代的に思える程だ。
身体的な健康はこれで随分好転し得る。人気も上々。
そこで我々の開発者は考えた。リアルとバーチャルの絶妙なシンクロをもう一歩先に勧めるべきではないか。と。
このような発想で開発されたのがこの商品。ウェアラブル端末が心理状況を鮮明に解析、脳内に起こる様々な反応を数値として評価できるようになった。特に判別しやすい反応は善いことをした後の「心地よい清々しさ」。高まったストレス値が緩和される一連の…。この赤い部分が緑に変わっていくのがお解り頂けるだろうか…

「なんだこれ。」
カワゾエは途中まで目を通したものの、本当にこれがなんだか解らない様子で僕を見返した。
「俺はアプリ開発ができる。カワゾエの研究と合わせれば、こんなプレゼンができる商品を作れるんじゃない?」
カワゾエはマジマジと僕の目をのぞき込んだ。
「アホ?」
「え?」
「研究の機密を漏らせる分けねぇじゃん。しかも、ウェアラブル端末だけじゃ無理。今やっとマウスでの実験が始まったとこ。頭にマイクロチップを埋め込んでるし。」
「いや、なんか同窓会でもう少しで上手くいきそうな感じだったじゃん。」
「そんな感じ出してねぇよ。」
あの閃きが値段も付かない石ころだった事を知らされ、僕は落胆した。
「まぁ、気を落とすなって。あるあるだ。研究内容の上澄みだけ解った感じで儲け話を思いつくって。」
僕はよくあるアイディアをもって九州から筑波まで飛んで来たことが恥ずかしくなった。徒労感にも襲われ、上手く返事もできない。
「お前の頭にマクロチップ埋めてもいい?」
カワゾエは更に言う。
「嫌だよ気持悪ぃ。」
「な、そしたらアプリも売れないってこった。」
それからカワゾエは何かを思い出したような顔つきになり、あっさりと研究室に戻っていった。
「4万6千円…」
僕はただ、今回の移動分の赤字額を呟くことしかできなかった。
視界の先には罠にはめた人とはまった人が愉しそうに談笑していた。


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