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INSPIANO・インスピアノについて

はじまり

「あ、いま!」とインスピレーションが下りてきたときに弾くので、そう名付けたひとり遊びでした。人前で弾くようになってから2年くらいたちます。

4歳から高1まで続けたピアノのお稽古でしたが、既成曲を練習して、暗譜して、間違えないように弾けて、ハイ次の曲!!みたいなやり方がいまひとつ好きになれず、練習をサッパリしなかったので、ピアノを弾くのが好きというわけではなく、高校を卒業してからは、帰省した時に、最後に習っていた曲を忘れないように弾くくらいでした。(バッハのシンフォニアと、メンデルスゾーンの舟歌です)

転勤族の人と結婚し、あの震災の後に、移り住んだ貸家で、そこに置かれていた古いマホガニー色のピアノを開けて、おずおずと音を出してみたのでしたが、長いこと調律されていなかったためか、昔の映画に出てくるような不思議な音色でした。一音ぐらい下がっていたはず。でもその家が木造で山小屋風で天井が高かったこともあって、とても響いたので、音色が気に入って、しょっちゅう弾いて遊ぶようになりました。

近隣に家がほとんどない山のふもとの一軒家だったので、昼も夜も好きな時間に好きなだけ、めちゃくちゃに弾けました。ある時は乱暴に、ある時は涙を流しながら。

それは小さいころに禁じられていた弾き方でした。実家は隣近所との距離が近く、くしゃみの声も聞こえるような住宅地。そこで、ピアノを弾くのは聴かれているという恥ずかしさが常にありました。性格的にも、人前で何か自分のことをさらけ出すというのが、無性に怖い、自意識過剰なタイプでした。
しかし25年ぶりのピアノは誰かに聴かせるためでもなく、ただただ、自分が弾きたいように弾いていました。

このホンキートンクな音の凸凹ピアノは、私を解放してくれました。そうやってめちゃくちゃな音を出していると、自分がかっこつけずにいられて、こうあらねばならないという枠を壊しているみたいな感じがしました。しかも、ピアノの音色は何て美しいんだ・・・と、どんどんピアノが好きになっていきました。そう、自分の心を分かち合う友達のようなものでした。

そんなことを5年くらい続けていて、自分の中にあるものを弾いていたインスピアノですが、インスピアノを弾くことで、自分自身の内面が音によって変化し、癒されるとしかいえない経験を重ねていくにつれ、これを誰かの前で人前で弾いてみたいという欲求が高まってきました。

こんなふうにして、デタラメなピアノを、人様の前で弾くことにチャレンジし始めたのが、2018年です。始める前は、怖くて仕方なかったことが、やってみたら、これがずっとやりたかったことだったんだとわかりました。
岩手から首都圏に引っ越してきて、ジャズピアニストの先生との出会いや、背中を押してくれる様々な出来事や出会いを経て今に至ります。最初はフリーインプロのセッションから始まって、喫茶店や、ストリートピアノ、そして、昨年3月11日コンサートをご縁のある神社でさせてもらってインスピアノ、ソロデビューしました。

変化

インスピアノはそれから変化し続けます。
自分自身の内面の音のみならず、人の前ではその人のエネルギー、絵の前では、その絵のエネルギー、写真からもそのエネルギーを読み取って弾くということまでやるようになりました。もともと場や空気、その人の何かを吸い取り紙のように、感じやすい、生きにくいタイプではありました。そのことは自然にやってしまうというかんじです。

遊びで始まった試みでしたが、人それぞれに違う音が、、皆さんの感想から、魂の原風景を音にしたものだという風に、思えるようになり、のちに「メッセージピアノ」という名づけたのですが、まさに、音を聴くことで、ご自身がメッセージを受け取るような、なにか気づきが起こり、自分を肯定していく姿にふれて、こんな私でも役に立てているのかと、そのようなことをしてゆく機会をたくさん作りたいと思うようになりました。昨年は自分でイベントを企画しては、岩手と東京でインスピアノの演奏会をしたり、個人的に家でセッションをしていました。

今年に入って、インフルエンザでしばらく動けない時期とコロナの発生が重なり、家も、少し離れた場所に引っ越し、環境がガラリと変わりました。
リモートで離れていてもつながれる、個人セッションもできるのではないかと、ライブ配信をしたり、noteにインスピアノ通信として定期的に今日のインスピアノとして音源を載せたりしました。一つは、自分自身が毎日過ごしてゆく、ルーティンとして、朝のご神事的に自分を空にして音を弾いてゆくということの訓練です。
そして、その録音した音を聴きながら、自然に自動書記のような形で降りてくる言葉を、そのnoteに添えました。インスピアノと同じく、直してません、そのまま載せてます。
いわゆる「チャネリング」に近いものと思います。

インスピアノの原点に戻る

日々の暮らしはどんどん原始的に必要なものを作ったり、家族と過ごす時間が増えたり、本質的になっていく中、インスピアノの活動は停滞していました。

思うように演奏会ができないことは仕方がないと思うものの、ライブ配信や個人セッションで、この機会にどんどんリモートの活動をして、発信しなくちゃ。というふうにはなりませんでした。

このような世の中になって、みんな本当に価値を置くものしか欲しない時代になっている、だからこそ、自分のあり方をまず、もう一度振り返る時期でした。

音は言葉以上に嘘がないものです。音色にすべて出ます。

ある時期、ずっとひかなかった既成曲の、ショパンのプレリュード「雨だれ」ばかりを、練習し続けたり、好きなアーティストの曲と一緒にひいてみたり、しました。

そして、ピアニストの表現を、なるほど、曲を突き詰めていくというのはこういうことか、と、インスピアノとは真逆なことを練習していました。

そこではじめて自分自身の「感じ」を音にするという原点にもう一度立ち返ってみようという思いになりまして、こんなことを書いています。

今日、そんな風にして弾いたのです。
自分のモヤモヤを、前とは少し違う、色数の、表現で、弾けたような気がしました。

そして、少し、楽になりました。

こんなふうに、停滞しても、前に進んでいる、
そう思えています。

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