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「何を描くか」問題⑥

2023年3月に前立腺がんが見つかり、ホルモン治療中です。
9月以降、放射線治療で根治できるのではないか?…という状況ではありますが、一時は残り時間がかなり限られる可能性も考え、本気で絵を描こう!と決意したのでした。

描くのはいいけど…何を描くか?
前回までは風景、静物ときて…いよいよ人物について考察していきましょう。

言うまでもなく、社会性の生物である人間の一番の関心事は…人間だと言われます。
「誰それが何をした…」なんて噂話など多くの方が大好きですよね。
そんな人物像の描かれ方を歴史的に辿ってみましょう。


むかしむかしの人物像

絵画でも人物像を描いたものは有史以来数多く残されています。
古代においては宗教的、祈祷目的の特別な人物像が出発点であったと思われます。
人間の姿を持った神々、聖人、祈祷師、巫女とか。
日本においては仏様とか。

ラファエロ「美しき女庭師(聖母子像)」1507年

上のラファエロの作品、聖母ではありますが自然な人間的表現ですね。
神や聖人でも人間をモデルとしたルネッサンス的な表現です。
聖母マリアを理想的な美女の姿で表現していることにも注目です。

それと特別な地位にある人物、王、高位の貴族やその家族など。
下のティツィアーノの作品は、勇ましく馬にまたがる図像を確立したとされます。
この頃はどこにでもいる普通の人物はわざわざ絵に描く理由がなかったはずです。
(寓意画では庶民の姿が描かれましたが、それはどちらかというと記号的な人物像)

ティツィアーノ「カール5世騎馬像」1548年

それが西洋においては近世バロック期あたりから、描かれる人物のすそ野が広がっていったように思います。

市民階級の人物像が描かれるようになった

そこには絵画の注文主が、裕福になってきた市民階級に広がったことが影響しているのでしょう。

市民階級によって発注されるのが顕著にみられるのがバロック期のオランダではないかと思います。
現代の記念撮影に当たる集団肖像画、王侯貴族でない市民の記念肖像画とか。

レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」1632年

最初は畏まったポーズだったものが、次第にくだけた日常的なポーズ、構成が出てきたと私はとらえています。

さらに別に裕福でもない、ごく普通の人物像にまで美を見いだすようになるともう「絵になればなんでもあり」状態になります。

絵になれば地位も名誉もいらない

バロック期には風俗画という主題が描かれるようになり、そうなると本当に名もない庶民が描かれるようになります。

日本人が大好きなフェルメールはそういった作品が多いですね。

フェルメール「牛乳を注ぐ女」1658-1660年

フェルメール作品はまだ、暮らし向きのよさそうな人物が登場しますが、さらに極端な例として…

ムリーリョ「蚤をとる少年」1640ー1650年頃

上のムリーリョの作品は庶民どころか乞食の少年ですからね( ゚д゚ )

「いつの時代を描くの?」「今でしょ!」

19世紀、印象派の時代になると、その時代性を強調して表現する発想が生まれてきます。
聖書のエピソードや歴史主題でも、描かれた時代の服装・スタイルで表現されることは行われてきました…が、主題自体も同時代「今でしょ!」というわけです。

ドガ「アブサン」1876年

上のドガの作品は当時のパリの飲食店で店内の席に座る人物(それも匿名設定)が描かれています。

印象派以降、人物そのものの意味性よりも造形性を重視した結果、若手時代、貧乏でモデルを雇えなかった画家が家族、恋人を描くという例が多く見られます。

貧乏ではなかったようですが、造形性の追求のため要求をきいてくれるモデルとして妻を描いたのがセザンヌ。

セザンヌ「赤い肘掛け椅子のセザンヌ夫人」1877年頃

以上、人物像の民主化というような流れがあったのではないかというお話でした。

面白いのは、日本においても江戸時代(近世)に浮世絵という形で庶民や役者等を描くようになっていったことで、洋の東西を問わず同じ現象が起こっていると思われることです。

さて、21世紀、令和の時代に私が描くなら…どう考えましょうか?


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