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幼馴染がリノベしたヴェネチアのロシア館を観に行く話

いきなり情報過多のタイトルですみません。まんちゅうです。※アイキャッチ画像©KASA

突然ですが、ヴェネチア行ってきます。今のご時世、出入国が制限されているこの時期になぜ?と思われた皆さん、ご心配をおかけしている皆さん、すみません。

この度、2021年11月21日まで開催されているヴェネチア・ビエンナーレという国際建築展に、幼稚園時代からの友人が設計した建築作品を観に行きます。

※この記事はヴェネチアに向かう道中、フランクフルト行きの機内および空港で書いております。ヴェネチアに到達できなかった場合は申し訳ございません。現地に無事着きましたら写真を追加させていただきます。

1.1 ヴェネチア・ビエンナーレとは

1895年から、2年に一度開催されている現代美術の国際展覧会です。そもそも、ビエンナーレとはイタリア語で「2年に一度」という意味だそうな。

この展覧会は国単位での出展で、国家代表のアーティストの展示を行います。また、優れた作品には表彰もされることから、「美術のオリンピック」とも言われているそうです。

展覧会は、映画部門、建築部門、音楽部門、演劇部門、舞踊部門の五つの部門があります。映画部門はヴェネチア国際映画祭とも呼ばれ、日本国内でも有名ですね。

今回本来の開催期間は2020年だったのですが、世界的に渡航制限などが行われたため会期をずらし、今年2021年5月22日(土曜日)から11月21日(日曜日)まで行われております。

1.2 ビエンナーレにかかわる日本の建築家たち

そんな国際的にも有名な建築展、もちろん日本人の方々も多くかかわっています。

日本館では、国としてのテーマを定めるキュレーター、その中で各々の解釈で作品を作る建築家、他にもリサーチャーやデザイナーの方々など、まさしく日本代表としてその道の第一人者たちが集まり、一つの国の建築作品群を展示しております。


ただ、日本の代表として以外にも、他国の展示に日本人がかかわることがあります。

今年の例ですとまずアラブ首長国連邦(UAE)に寺本健一さんが携わっています。レバノン出身のワイル・アル・アワールさんと共同でキュレーターを担いました。そしてなんと同館が金獅子賞という国別のグランプリに選出されています。いわゆる金メダルに、日本人建築家が貢献しているということです。(すごい。)


また、ロシア館の展示にも日本の建築家ユニットがかかわっています。KASA(KOVALEVA AND SATO ARCHITECTS)という、日本を拠点に活動するロシア人のKOVALEVAさんと佐藤さんの建築ユニットです。今回、ロシア館の作品は展示を行うパビリオンの「改修そのもの」となっています。

KASAは、1914年に建築されて以来ロシア芸術が世界に向けて最初に発表される場だった建物を改修するという大役を担ったのです。今までの100年の歴史がある、しかもロシアの威信がかかっている建築物の、今後の100年を見据えた改修に日本人がかかわっているとは、誇らしいと思いませんか?100作以上の応募があった中から選ばれたらしいです。

しかも、このロシア館、特別表彰をいただいています。「銀メダル」的な位置づけなのでしょうか?審査員からは改修そのものに言及され、通常は国を代表する作品「群」に対して賞が与えられる中、個別の作品として下記のような異例の評価を受けました。(バケモノなの?)

「ジャルディーニの歴史的なパヴィリオンを周辺環境と未来に向けて開いた繊細かつ丁寧な建築的改修」

引用元:https://www.toumon.arch.waseda.ac.jp/6213

2.1 KASA、佐藤さんの作品を観に行くということ

はい、じつはこのKASAの佐藤さんとは幼稚園~高校まで同級生でした。幼年期から今まででどのように人格形成され、どこに思い悩み、今回どのような気持ちで取り組んだか、当人から聞いて、触れて、知っている部分もあるわけです。

ですので、今回どうしても、(本業でも事業立ち上げしていて結構大変で、国際情勢的にも海外渡航の難易度が上がる中でも・・・)、作品を観たく、ビエンナーレ会期終了ギリギリに滑り込みで現地を訪れることにしました。

緊急事態宣言解除、本当に良かったです。

この章では彼とその作品作りについて僕が知っている一部をあなたにお伝えしつつ、あわせて「国際的にすごいことしたんだから、もっと注目しようよ!」という気持ちを吐き出させていただきます。

2.2 佐藤さんとまんちゅうの関係

私、まんちゅうからみた佐藤敬さんは、子供時代から欠点がない (いけ好かない)すごいやつだなぁという印象です。さんづけで呼ぶのもなれないので、以降は「けー」と呼ぶことにします。

小学生時代は、夏休みや学校帰りに頻繁にけーのおうちに遊びにいってひたすらレゴで遊ぶ仲でした。一方で、僕は駅のホームで電車を待っているときにけーをいきなり傘で刺したりしてしまうほど、いら立ちを感じることがありました。

当時の感情をことばにすることはむずかしいのですが、私としてはおそらく、アトツギとして抑圧され役割扱いされて、もんもんとしている自分とけーを比較してまぶしさがあったんだと思います。

中学時代も同じ学校だったのですが、僕が不登校だったこともありほぼ交流は途切れます。僕のもんもんが爆発したので(笑)

高校時代の印象的な事件としては、大学受験。けーは学校推薦で早稲田大学の建築学科に行くことになっていたのですが、周囲には内緒でした。一般の受験が迫る冬休みも僕と一緒に地元の図書館に通い、毎日朝8時から夜8時まで肩を並べて勉強していたのです。

後から実は推薦で入学先は決まっていたと聞いたとき、驚きました。「入学先が決まってて、あんなに勉強するのすごくない?むかつく通り越して尊敬やわ」とけー本人に言ってしまったのです。本人としては「推薦入学だからと勉強せず大学生になっても、なりたい建築家になれない気がしたから。」とひょうひょうと答えました。前言撤回、やはりむかつく奴でした。

僕は大阪大学と早稲田大学で、最後どちらの大学に進学するか迷っていたのですが、正直なところけーと同じ大学に行きたくないから大阪大学を選んだところがあります。負けたくないし比較されたくもないライバルというやつですかね。

僕は、子供時代からアトツギとしてとにかく自由がない、抑圧されていると思っていました。自分の悩みはとにかく後を継ぐか継がないか、継ぐとしたらどうやって?継がないとしても、いきなりやりたいことなんて出てこないよ!とずーっともんもんとしてきたわけです。そこで、すぐ近くにひたすら建築家を目指して行動している友人がいる・・・これは悔しいわけですよ。無意識では、傘でぶっさしたいほどいら立ちがあったと。

そして大学院時代、僕はけーに上記のような思いや乱暴をしたことを洗いざらいすべて話し、謝ったことがありました。けーは答えました。「傘で刺されたのはわけわからなかった。でも、そんな君をうらやましいと思っている。自分は今、芸術家を目指すものとして非合理な感情の爆発が自分の中でないことに課題を感じている。もし君だったら感情爆発させるかも?と思える経験もたくさんしたけれど、自分にとってはそんな強い感情は出てこない。コントロールしたり抑えたりしているのではなく、そもそも出てこないんだよ」と。そして、自分がアトツギとして継ぐか迷っていること、特に不登校時代は死ぬほどつらかったこと、お互いの就職先の話から、けーは「人生は一本の劇のストーリーだと思っている。右往左往もその道中、最後まで演じたときにどっちがお話として面白いかな、という観かたをしたいんだよね」と。

けーがいつから建築家を目指していたかはっきりしませんが、小学生時代からとにかくひたすらレゴで建物作っていたのと、あるときスペインの有名な建築家・ガウディの作品集を見せられたことを覚えています。そして、受験も進学も、人生のとらえ方もひたすら「建築家の人生としてどうか」と考えてきました。

そこまで一貫している(少なくとも、外から見てそのように見える徹底ぶりだ)からこそ、今回のビエンナーレでの特別賞も、すごい!と思う一方で、けーならそこまで評価されても不思議じゃないよな、というのが第一報の感想でした。

2.3 佐藤さんのロシア館改修に対する想い

今の けーは、学生時代とは建築に対して少し変わったような気がしています。

建築家とは、立地などの環境要因と予算や法律などの制約、その中で施主の想いを表現する翻訳家に近いと言っていました。自分の感情や思いなどにこだわらなくても、そういうものは自然に出てくるし、とにかく施主の想いと環境や制約に向き合うことが大事だ、と。

今回ビエンナーレのテーマは "How will we live together?" 我々はいかに共存していくのか?でした。そこでロシア館の出した答えは「open!」、それはプロの方が取材してまとめているので、ここでは割愛します。


↑ ロシア館、オフィシャルサイト


ただ、本人から聞いて特に印象的だったのは「100年前にロシアが国の威信をかけた建てたパビリオン、改修案を考えるのはとにかく大変だった。」ということ。そして「金継ぎ」を合言葉にしてプロジェクトに臨んだ、ということです。

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↑ けー の祖父母の思い出が詰まった湯飲み

建てられてからの100年、幾度となく改修され、床の高さが変わったりソ連時代には多くの窓がふさがれたりとその時々の芸術の流行りや情勢によって改修されてきました。例えば、内部の芸術品の劣化を防ぐために窓が邪魔だった時代もあるわけです。現代で新たに美術館を作ろうと思えばバリアフリー化は避けられません。

今回、当初のコンセプトを見つめ直し、再構築するなかでそれまで歩んできた歴史も尊重しつつ、未来に向けたより価値のあるものを作る、それはまさしく日本でいう「金継ぎ」の考え方です。

けー は語ります。「現場で工事を行うイタリアの方にも、ともに展示をするロシアの方にも、この金継ぎの概念を伝えるのは大変だった。でも相棒がロシア人で、彼女に伝わるようにということを最低限の基準にすることで、想いを浸透させていくことができた。僕らだからこそ、このようにロシア館の改修をできることができたんだ。」

2.4 KASA、KOVALEVAさんの想い

KOVALEVAさんの思いなどもここで記載したいのですが、僕は何度かお会いした程度の仲です。タコ焼きパーティーを一度したかな?また詳しくお話伺うことがあれば追記していきたいと思います。(きっと けー 視点とは違った面白さがあると思うので 笑)

ただ素人目線でも、「ロシア館の改修のコンペに応募」して、外国人である日本人の相棒を巻き込み実現させた、しかも日本を拠点にして、というあたりに尋常じゃないすごさを感じます。

ツーショットの写真をここに載せたい。(たこ焼き食べている写真しかもっていない 笑)

3. 余談

KASAさんの今回のヴェネチア・ビエンナーレの特別表彰、通常なら取材殺到の相当な偉業らしいです。私も、今回のこの記事を書くにあたりいろいろ調べていくなかで実感しました。

でも、この世界情勢で海外のニュースに対する需要が減っていること、日本人単独にフォーカスした取材をお断りしていることなどが原因であまり露出も増えていません。案件も増えていません。

ぜひ彼らKASAさんを取り上げたい方、詳しくお話聞きたい方、リノベーションのお仕事依頼した方いらっしゃればご連絡ください!



ちなみに、当社満仲商店グループも「22世紀を目指す共存共栄のための事業を作っていく」という方針でいます。そのため、今回のロシア館のコンセプトにとても共感と感銘を受けてぜひとも取材したい、と思った次第です。

当グループ本社の建て直しやリノベーションについても数年前から相談しています。(築70年の古い家屋で肝試ししたなぁ・・・) 

今後は、視野の狭いライバル心ではなくお互い価値提供できる相手として関わっていきたいという思いを表現するために本記事を執筆させていただきました。

以上です。ご精読ありがとうございました。



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