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美、芸術、破壊とヨルシカの「盗作」

ヨルシカを語る上で欠かせないのは、物語の「終わり方」ではないだろうか、と常々思っています。それは今回の新アルバム「盗作」においても然りで、物語について全く考察できない代わりに、ずっと終わり方について考えていました。これほどシャッフル再生しづらい音楽アルバムもそうそうないでしょう。

ヨルシカの新アルバム「盗作」は、音楽を盗む男と、盗みをはたらく少年の小説です。

音楽を盗作した男が地位も名誉もすべて失って、少年に冷たく別れを告げて、盗作の物語は終わります。決してハッピーエンドではないように思えます。それでも、男の「音楽」そのもの以外の全てが真っ黒く塗り潰されて、男にとって自分の存在意義が自分だけになる瞬間がたまらなく美しいと思いました。ひとり、自分と自分の音楽だけになってから眺める、しんと佇むような夜の刹那さは本当に綺麗なんだろうな。

物語を考察するのは不得意ですが、難解な言葉を使わなくても触れられる物語の中の空気感が好きでした。作詞者であるナブナさんはインタビューで次のように語っています。

次に何を作ろうかと考えたときに、まずあったのが、ヨルシカへの破壊衝動だったんです。今までやってきたこと、(中略)「夏の空気感を重視して、別れや喪失を綺麗に煮詰めて抽出したような音楽」というヨルシカ自体への認識を、まず壊したかった。 


底面を漂う不気味さや切なさ、犯罪者というだけでは終わらせられない過去や人々の関係。小説を読んで初めてハッとさせられる「夜行」のMV。ヨルシカの物語に登場する人物は、惜しみなく自己を犠牲にし、自分、自分の音楽、自分の過去をすべて切り離しています。この芸術至上主義はナブナさんの信念に通ずるところもありそうですが、ヨルシカの登場人物は彼らがした行為だけでは説明し尽くせないような優しさを持ち合わせているなと感じました。


そして、「攻略本」になっていない今回の小説。小説を読んでもアルバム曲の意図は到底理解できるようになりません。盗作する過程や盗作する男自身の過去ではなく、彼が作った曲としてのアルバムなので至極当然なことかもしれませんが、

「音楽泥棒の自白」を幕開けに「昼鳶」から始まるアルバム。昼鳶とは、「人家に昼間しのび入り、物をとって逃げる盗人」を指します。男はかつて、昼鳶でした。そして中盤はレプリカントと花人局。もういないのにまだいる気がする。亡くした妻が、今に帰ってくる気がしてまだ動かせない物品を通じて、男は過去に佇んだままの自分を描いています。

終盤にかけて移り変わっていくサウンドも印象的です。アルバム全体に散りばめられた追憶のコンセプトが終り際になってちらつきます。

過去を「思い出」なんて言葉で表現しなければいけない悔しさ、思い出にしてしまってもまだ触れていたい、美しい思い出。人生の夜を行っている男が描く、ひたすら美しいだけの過去。


何度聞いても何度読んでも、息が詰まるようなやるせない気持ちになります。私は、ナブナさんの音楽に感化され今まで鑑賞する側で終わっていた俳句と音楽を作るようになりました。未熟であれど私は芸術を作り出す人間になったのです。「好かれているから嫌われたい」『何もかも失った後に見える夜は本当に綺麗だろうから』、そして作品の根底にある破壊衝動に今なら共感できてしまいます。

悪文失礼しました。創作者ならきっと創作物に殴られたような感覚になるであろうヨルシカの問題作「盗作」、みなさんも是非手に取ってみてください。最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。


ところで、発送を以て当選発表と代えるって、つまり、絶対当たらないってことでしょうか。人生。

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