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クリスマス・ソング―望郷から消費の時代へ

大ヒットソングは歌の力だけでなく、時代とシンクロすることで化けていくものだ。牧師役でアカデミー賞を獲った(我が道を往く)ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」の場合、第二次大戦中、戦地で流れたことが決定的だった。


欧米社会ではクリスマスは家族と過ごす時間。「望郷」が、ポピュラーの大きなネタだったのは、映像が少なく、移動時間も長かった時代の、テーマなのだろう。大島渚の「戦場のメリー・クリスマス」は、やはり狙いどころがよかったのだ。映画は相変わらず理屈で組み立てられていたけれど(写真は老ビング・クロスビーと、若き日のデビッド・ボウイ)。

映像があふれ、瞬時に更新が画像付きででき、移動時間も短縮、どこの国のメインの都市でも同じものを売っているような時代には、望郷すら「詩」として発酵はしないのだろうな。すると、この曲と、ジョン・レノンとマライア・キャリーだけあればいいことになってしまう。逆に言えば、クリスマスは、詩の世界でも消費の対象になってしまった。

私は神から遠い、神から見放された人間だが、それはキリスト教の理想にのめり込んで、晩年は寂しかった、祖母とその兄弟(商事会社・水運会社・牧師)を見てしまっているからだろう。母もよく言っていた、そんなに神様に入れあげて、お母さんは今幸せ?と。


だから、変に貧しい人たちの活力を吸い上げていく非合理的なやり方よりも、合理的な消費のレベルになってしまった方が罪が深くないのかもしれない、と思っている。大学時代の友人にも、ボーン・クリスチャンはいたので、故郷としてのクリスマスまで否定するつもりは毛頭ありませんが。。。消費と金融と情報の時代に、メリー・クリスマス!

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