奇麗な箱
「私はそれはもう、めちゃめちゃ奇麗な箱を持っているのですよ。ただの箱ではないです。まあ、あなたはご興味あるでしょう。なんせ、あなたのご趣味に関わることですから」
50代後半に見える男は言った。
この店長とは初対面だ。赤の他人である。
「僕の趣味はクラシックを聴くことです」僕は言った。でないとこの店に来ないだろう。
「それだけじゃないでしょう」その店長は言った。
確かに、僕にはもうひとつの趣味がある。
「あなたは、何歳のときいちばんハッピーでしたか?」
と、僕は人と会って話をしているときにさり気なく聞くことだ。
たいていの人は、
「今」と、答える。
でも、ちょっとだが、
「6」とか、
「17」とか答える人がいる。
僕は暇だったし、小さなクラシックのCDの専門店があると人づてに聞いていたので、その店に行ったのである。天気もよく気持ちのよい日曜日の朝だった。そこは入り組んだ細い道にあったし、見つけるのに大変だったぐらいすごく小さな店であった。もちろん店長しかいない。
僕はその店長を奇妙な男だと思った。僕の趣味を知っている、と言う。黒縁の眼鏡をかけており、おしゃれなコットンの白い長袖のシャツを着ていて、その胸ポケットには小さな深紅のバラの刺繍が施されてある。そして白いレジの置いてある白いカウンターごしに立っている。
僕は奇妙な男に聞いてみた。
「あなたは、何歳のときいちばんハッピーでしたか?」
奇妙な男は言った。
「私ですか? それですよ。あなたのご趣味でしょう」
「何で知ってるんですか?」僕は目をまるくして聞いた。
店長は僕の質問には答えず、左目で僕にウインクして言った。
「箱を買いませんか?」
僕は聞いた。
「それってBOXセットのことでしょうか?」
「いえいえ、ご冗談を。違います。あなたのご趣味に関わることです。奇麗な箱のことです。中身は、あなたが家に持って帰ってからのお楽しみということで」
店長の言う通り、それはそれはとても奇麗な箱がカウンターの中心に置いてある。深紅のリボンで十文字掛けしてある白い紙箱である。幅、奥行、高さとも10cmぐらいの正方形の箱。
じっくり見れば見るほど興味をそそられる。
僕はどうしてもこの奇麗な箱が欲しくなった。全身が緊張して痺れるのだ。
「いくらですか?」僕は店長に聞いた。
「3万円きっかりです。お値段以上の価値はありますよ」店長は言った。「うーん」僕は唸った。僕は3千円ぐらいでフリードリヒ ・グルダのCDを買いにきたのだ。でも、さっき銀行でお金をおろしてきたのでなんとか3万円はある。
「ちょっとぐらい何か? 教えてくれてもいいじゃないですか」僕は言った。
「さて、何でしょう? とにかくあなたのご趣味に関わることですよ。まあ、お買い上げなさらないなら、それはそれでいいでしょう」高音の奇妙な声で店長は言った。どこまでも奇妙なのである。
「買います」僕は店長に即言った。
僕は代金を支払うと、店長に白い紙の手提げ袋に入れられた奇麗な箱を大事に家へ持って帰った。
僕は部屋で深紅のリボンを解いた。
そして白い紙箱の蓋を開けると、箱の中に赤、緑、黄、青、紫、オレンジ、ピンク、茶、白、黒などのカラフルな男女の小人がうじゃうじゃいた。その小人たちの中から、ちらっとまぶしい男が見えた。蟻のようにちっこくて解らないので、神経を集中させて、右手の親指と人差し指でつまんだ。
白い長袖のシャツに黒の蝶ネクタイをしている。黒の細身のズボンにベルトに靴下、黒光りの革靴。それに銀のトレンチを持っている。
間違いなく僕の小人だ。
僕は事情があってアルバイトをしていた時期がある。石垣島の底地ビーチにあるカジュアルで小さなリゾートホテルの2階のガラス張りのレストランでのウエイターを、また夏のビーチ祭りとクリスマスのイベントの担当だった。
この僕の小人は、僕の左手の手のひらの上できびきびとうごきまわっている。
この奇麗な箱の中には、今、ではない、いちばんハッピーだった年齢の小人たちが詰められているのだ。
「では、あなたは、何歳のときですか?」
と、聞かれたら、
「26」
僕はいつも迷うことなく答える。
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