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仕事としてのサッカー


なんで、サッカーしてるんだっけ。

と頭を抱えて2ヶ月。

ある程度固まった答えが出た。


90分のために、見続ける相手の試合。

90分のために、見続ける海外の試合。

90分のために、サッカーのnoteを読む。

90分のために、戦術の本を読む。

90分のために、言語を勉強する。

90分のために、1時間半前から動かす身体。

90分のために、ボールを使わない練習。

90分間の後に食べる美味しいおにぎり。

90分間の後に飲む美味しいモリンガ。

90分の後に入るお風呂。

90分の後に観る自分の試合。

90分の後に布団に入る瞬間。

意識して取り入れていたものが、

いつの間にか無意識になり

習慣となっていく。

これが、「一つ一つ積み上げよう」と言葉にしていたことの表れだった。


だから、

「なんで、サッカーしてるんだっけ?」

という気持ちの裏には、

スペインでサッカーするために、

重ねてきたたくさんの習慣が出来たから、

また何か積み上げるものが

欲しかったのかもしれない。




だから、

この疑問に後退や引退の
選択肢を選ぶことではなく、

自分自身に対する新たなアクション
を欲していたのだと思う。






一回サッカーから離れようって思ったけど、

離れるって言葉ではなくて、


サッカーの色を薄めよう。


の方が私には適切だった。


私の中にあるサッカーは、

オンもオフも無くて、

いつでも私のサッカー人生はカオスにしてきた。


それは、

90分のために全てを尽くしていたから。

オフの日もサッカーのこと考えてる!

と考えるからこそ、

無理やり線を引いていたことに気づく。



日本に帰ってきて、


趣味としてのサッカー、

学問としてのサッカー、

芸術としてのサッカー、

遊びのサッカー、

私が生きる軸となる
仕事としてのサッカーの周りに、

これらの支柱が備わっていた。

いつか真ん中の軸が倒れかけたとき、

支えてくれるんだと思う。

仕事としてのサッカーが大きく

ズドーンってあるんじゃなくて、

私の繊細な真ん中の軸の周りに

小さな軸が集まってていたんだなって。


寄りかかる依存先も

サッカーであることに、

「ああ、自分ってバカだなあ。」

って思ったけど、

幸せそうにしてる自分にも気づいた。




きっとこうやって、

好きなことが仕事として

成り立ってしまう世界が大好きだ。


24歳を目の前にして、

本気の遊びに気づいてしまったのかも。



あー、次どこでサッカーするのかな(笑)

ってのが本音だけどね。笑


では、Adíos😌👌

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