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通過儀礼としての大学受験

「高卒時点で、すでに医学部に合格していたのに、次のステージに進むのに14年もかかってしまった」という話について掘り下げてみたい。

https://note.com/inoueakihiro/n/n8f7f7c45065b?sub_rt=share_pw

多くの社会では、子供から大人になる通過儀礼があります。
通過儀礼 - Wikipedia
前近代の日本の通過儀礼といえば、元服とか他家での住み込み奉公とか寺の稚児とかでした。
戦前は、男子は徴兵検査が通過儀礼でした。甲種乙種ならよかったが、丙種(不合格)だと全人格を否定された気分になった。青年が猟銃と斧で大量殺人をおこして、「八つ墓村」の題材にもなった津山事件の原因には、彼が丙種で、不貞腐れていたということもあったそうです。
現代日本だと、受験や就職が通過儀礼になっている。女性では今も結婚出産が通過儀礼でしょう。
苦労と不安と希望と絶望と成功と失敗があって、ようやく次に進める。何もなくフラットに移行すると、どうも踏ん切りがつかない。

自分の場合、大学受験から入学まで、大して苦労してないので、次に進もうという気分になれなかった。

小中高まで、勉強には金が大してかかってなかった。公立のみ、塾予備校なし、模擬試験代と参考書代しか使っていなかったのです。莫大な金を使ってしまって、後戻りできないという状況ではなかった。

私の高校生活って、勉強以外にすることもなかったので、大学受験のために、何かを犠牲にした気分がないのです。

時間も金も使ってしまって、疲弊して、もうどうしようもなくなったので、ようやく医師になれた。

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