ゲンロンカフェ『茂木健一郎 × 東浩紀 ニッポンの脳#7 2019年・晩秋の巻』イベントメモ

2019年11月24日(日)に五反田・ゲンロンカフェで開催されたイベント『ニッポンの脳#7』に参加した。(ニコニコ生放送ハッシュタグ
参加して感じたこととメモ。

■感想

1930 ゲンロンカフェに到着して席に着いた。しばらくしてから、肩にバッグを背負った茂木さんがスタジオに入ってきた。どうやら事務所に東さんがいなかったのでそのまま来たらしい。数分後、同じように肩にバッグを掛けた東さんがやってきて、打合せなしでそのまま始めますかというような感じでイベントが開始された。

Twitterを止めた東さんの近況や最近の炎上案件の話から始まって、次第に話題が飛んだり、客席に振られたり、爆裂な勢いで放談が展開されていった。ふたりの距離は3年ぶりとは思えないほど近く、茂木さんはTwitterを止めた東さんを気遣い、あるいは少し寂しく感じて、聞き役にまわったり「テーマパーク化する地球」のことを取り上げたりしていた。東さんは「津田に電話はない」と言いながらも、イベント後半になって席を立ってから戻ったときに「大介いくかっ!」と熱い展開に。

いわゆる「神回」に居合わせることになったけれども、途中で東さんがぽろっと言っていた通り、今回のイベントは本当に重要な回となったのではないか。

茂木さんと東さんの対談はいつも楽しみにしていた。
#1のとき、個人的な都合によりイベント開始時間には間に合うことができず、最後の数十分だけでもと思って五反田に向かったが既にイベントは終了していた。それでもカウンター脇に立っていた東さんに親切にもサインをして頂いた。何とかイベントの最後にタイミングが合えばと、「存在論的、郵便的」と「脳とクオリア」を持って行ったのがそのときだった。

それ以降の対談は、会場を訪れることはなく、ニコニコ生放送やVimeoアーカイブを視聴してきた。
#2~#6のなかで、ときには人格の衝突をこれでもかというほど見せつけれら、時事放談や啓蒙をはるかに飛び越えた「衝撃的な何か」が展開されてきた。

11月初めに、2016年以来となるイベントのアナウンスがあって、これはどうしても現地で話を聞きたいという思いが強まりチケットを購入した。何の因果かイベントの前日に日帰り手術をすることになり、興奮するような状況は避けるべきだったのだが、当日19時過ぎには五反田にいた。

スタジオにいる100人強の観客の熱気、スタッフの方々の細やかな配慮やマイクチャレンジ、休憩中の登壇者の雑談などなど現地でしか体験できないものがそこにはあった。笑いがどっと充満する感じや時間が深くなるにつれいよいよ盛り上がり熱に浮かされたような感じになるゲンロンカフェの魅力を改めて体感した。

質問者の一人が養老孟司さんの話題を出されたときに久しぶりに思い出したことがあった。茂木さんの著作を初めて読んだのは「脳と仮想」だったのだけど、その書評を養老さんが書かれていた。高校3年の冬に養老さんの本にはまっていた時期があったので、おそらく書評を読んだ大学1年のときに大学図書館で「脳と仮想」を手に取ったのだと思う。そのあとで「脳とクオリア」を読んだ。

いろいろと思い出しながら自分なら何を質問するかと考えていた。今回のイベントでは文学賞の話題は出たけれど、個別の作品や文体についての言及は少なかったのでその点を聞いていみたいと思いついた。ちょうど1年前に茂木さんは「ペンチメント」を上梓されていたし、一方で、東さんは批評文と紀行文を合わせたような新たな文体を意識していると以前書かれていたので、おふたりの考えをお聞きしようと思っていた。

ところが質問者とのインタラクションが進んでいき、自分の考えの「うかつさ」に気付かされた。「〇〇というのがありますが、どうお考えですか?」のような形では疑問点の明確さに欠けるし深みもない。何より普段からそれについて気にかけているわけでもなく、自分では考えていないことが質問の論理に表れしまう。観光客的質問という範疇ではありかもしれないが、茂木さん的に言えば「ゲンロンカフェにしてそれか」ということになる。少なくとも、「○○についてこのように理解し、この辺りまでは考えてみたが、この部分が分からない。」と言える程度には自らの関心を深堀りして情報に接し考え、整理しておくべきだったと反省。

午前1時を過ぎてから、原理問題についてのハードな質問が出て、論理を追おうとして付いていくことができなかった。6時間におよぶイベントを最後まで聞き終え、半分もうろうとした意識で晩秋にしては暖かみを感じる深夜の五反田をあとにした。

■メモ

東さん、Twitterを止めてから主にYahooニュースのコメント欄を読んでいる
茂木さん、「テーマパーク化する地球」を半分ほど読んだ
東京大学特任准教授の大澤昇平氏の話題
人間が制御できないものに向き合うときに生じる崇高の感情について
門田 隆将、死の淵を見た男、Fukushima 50

リベラルの先祖返りが起きている
津田大介には電話しない
左右のどちらでもポピュリズムが巻き起こっている
SNSは尊敬や信頼、愛を軽量可能、交換可能なものにしようとする
哲学者がやるべきことは交換不可能なものを守ること

キャラクターアサシネーション
自分のアバターが流出し増殖していく環境
HIU(堀江貴文イノベーション大学校)
いたとしても手上げられる雰囲気じゃない
落合陽一のSNSマネジメント

Twitter見たくなってきたのでは、俺の愛するヤフー
数イコール価値とするバカさ、インフルエンスの先に何がある?
茂木さんあいちトリエンナーレ行った
文脈の受容、展示作品に偏りがある
問題の展開が海外経由で入ってくる

艾未未(Ai Weiwei)、踏もうと思えば踏めるフラジャイルな作品
ソクラテスの弟子は40代、50代の政治家とか
プラトンは20代で年が離れたストーカー
スピリチュアルな人とのつながり
三浦瑠麗さん、父の名誉回復

2100 休憩

ゲリラからデリダ
何かが違うという感覚、アイデンティティの問題
カジュアル削除、英語アカウントにはログインしている
れいわとN国は同じ現象
古市憲寿さんに電話

心を込めてリムーブをした、リベラルっていう人まだいるの
これがテレビのリアル
スタティックなシステムをハックしようという考え
ダイナミックなシステムにいずれ取り込まれる
上野千鶴子さん、ミサンドリー

誤配じゃない、謹呈だ
ゲンロンで起きている何かをウォッチしている観客
観客のコミュニティを作りたい
トランプ親子が積み上げてきたものは馬鹿にできない
ブルックリン、ハーレム

香港で今起きていることは全共闘と似ている
何もなかったことになるのではないか、三里塚闘争の住民への同情
引揚者などが開拓してきた土地に成田空港ができてしまう
反対者が亡くなったことで問題自体が消える
怒りの正当性があるが、何もなかったことになる

知識階級の役割、世俗と異なる論理を示す
プライバシーと監視社会、電子マネーの導入時から議論された
共同体と個人、保守とラジカル
個人の死で「記憶」が無くなること自体を疑う
Twitterでダルビッシュ選手が頑張っている

桜を見る会の話題、茂木さん枝野研究会へ
グレタ・トゥーンベリさん
若者、女性などの属性を取り除いたときに残るもの、活動家
アクションはずるい要素をはらむ
乙武洋匡さんが環境問題について発言をした場合を考える
四肢欠損という属性で言説の内容の捉え方を変えるべきではない

質問者1
養老孟司さんの哲学性とは何でしょうか
献体を引き受けることで加害の哲学のようなものがあるように感じている

茂木さん
養老さんは分類不可能な人、哲学はそう簡単なものではない

質問者2
グレタさんなどの批判対象にも憐みはありうるのか、個人間でしかないものなのか

東さん
マスメディアで流通する言説と個人と個人の関係では区別するべき

2325 津田さんに電話
ボランティアとのつながりは今でも続いている
インターネットは「現場」なのか
現代美術の過激な人々と歩調を合わせているように捉えられる

2355 三浦さんに電話
公文書を保存すること、公開すること

質問者3
IITとグローバルワークスペース理論についてどうお考えか

茂木さん
2種類のバカ、うかつな質問

質問者4
善く生きることについて

東さん
別のゲームを作る/生きる

0107 質問者5の問いのあと
「意識」を継承することはできない
魂や心は継承するかもしれない
フィクションについて

質問者6の問いに関連して
プラスクワス
クオリア問題が癪に障る人というのが一定数いる
意味を安定化させるためにはコミュニティが必要
私的言語と私的痛みを分けないこと


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