井上毅(いのうえたけし)

明石市立天文科学館館長/ブラック星博士マネージャー/山口大学時間学研究所客員教授/神戸…

井上毅(いのうえたけし)

明石市立天文科学館館長/ブラック星博士マネージャー/山口大学時間学研究所客員教授/神戸学院大学人文学部時の文化講師/日本公開天文台協会/日本プラネタリウム協議会/天文教育普及研究会/日本天文学会/日本科学史学会/

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明石市立天文科学館にて過去に展示した海上保安庁の資料

    • プラネタリウム100周年動画の日本語訳

      https://www.planetarium100.org/ のPVの日本語訳を作ってみました。字幕を意識した意訳です。 The starry sky, fascinating and mysterious. 100 years ago, an invention that brought the sky down to earth inspired by the founder of the Detaches Museum in Munich, Oskar von M

      • プラネタリウムの誕生

        プラネタリウムの誕生経緯をまとめた。まだ調べる必要がある事項があるので、随時追記する予定。 参考文献 ツァイス激動の100年 アーミンヘルマン 中野不二男訳 1903年5月   オスカー・フォン・ミラー ミュンヘンにドイツ博物館建設呼びかける。  「偉大な芸術作品と同様、科学技術の分野の作品も、人類の文化功績として同時の人々に知ってもらうと同時に、後世に残すべきだ」 ミラーは、マックス・ウォルフ(ハイデルベルグ天文台)に天文関係の展示を相談。 ウォルフ「もしかしてイエー

        • アンティキテラ島の機械とドンティのプラネタリウムを結ぶ人物(メモ)

          アンティキテラ島の機械によって、古代ギリシャの高度な天文知識と天文学知識があったことを知ることができる。この装置は機械式時計やプラネタリウムのルーツといえる 機械式時計の誕生は1300年ごろとされる(山口隆二 時計) ジョヴァンニ・デ・ドンディが1300年代中頃に天文時計(アストラリウムあるいはプラネタリウム)を制作した。 Astrarium この間を埋める歴史を知りたいと思っている。 科学は古代ギリシャからローマとイスラム圏に受け継がれた。ローマでは衰退し、イスラム

        明石市立天文科学館にて過去に展示した海上保安庁の資料

          質問に回答するとき参考になるサイト

          参考になるサイトのメモ。 国立天文台天文情報センター  気象庁 よくある質問 気象、地震・津波・火山、地球環境・海洋等に関する質問と回答。気象関連はこちらでほぼ解決。

          質問に回答するとき参考になるサイト

          ジェームズウェッブ宇宙望遠鏡の観測目標

          James web Space Telescope (JWST)の観測目標についてまとめた JWSTの観測目標については以下に紹介されている。https://www.businessinsider.jp/post-248523 ジェイムズ・ウェッブが狙う4つの目標(記事より引用) 宇宙の初期に形成された銀河を探す:ビッグバン後、宇宙は水素とヘリウムの霧のために暗い「暗黒時代」があった。初期の発光物体の高エネルギー光によってガスのイオン化が起きて霧が晴れ、宇宙は「明るく」

          ジェームズウェッブ宇宙望遠鏡の観測目標

          プラネタリウムの歴史

          プラネタリウムとは「惑星(プラネット)」に関連する「場所(アリウム)」という意味を持ちます。プラネタリウムは、宇宙を部屋の中に出現させる魔法のような空間です。古い時代から、人々は宇宙の模型作りに興味を持っていました。 古代ギリシャでは天球儀や天体運行儀が作られました。 アラトスの天球儀 古代ギリシャの吟遊詩人アラトスは、天文学者エウドクソスがかいた天文と気象に関する本をファイノメアという天文詩にまとめました。ファイノメアをもとに多くの天球儀が制作されました。これをアラト

          プラネタリウムの歴史

          プラネタリウム100周年

          近代的な光学式プラネタリウムは、1923年にドイツのカールツァイス社が開発しました。1923年10月21日、ドイツ博物館で関係者向けに試験公開され、「イエナの驚異」と絶賛されました。その後改良がくわえられ、1925年5月7日、ドイツ博物館にプラネタリウムが常設されました。その後の約1世紀の間、プラネタリウムは世界中に広まり、大きく発展していきました。 国際プラネタリウム協会(IPS)では2023年から2025年にかけて、プラネタリウムの100周年を祝う記念事業を行うこととな

          プラネタリウム100周年

          「1秒」の100年

          明石市立天文科学館は1960年に開館した。開館日である6月10日は「時の記念日」だ。時の記念日が誕生したのは1920年。時間をテーマに東京で開かれた「時」展覧会が連日大盛況だったのをきっかけに、天智天皇が漏刻(水時計)で日本で初めて時を知らせた故事にちなみ、6月10日を「時の記念日」として事業を行うことになった。 第1回の「時の記念日」では、正午の時報を告げる大砲に合わせて工場の汽笛が鳴り、寺社・教会の鐘が打ち鳴らされ、しばらくの間東京は響きの都になり、日本で初めて大衆に「秒

          ■正確な「1秒」が作る高精度な天体観測

          現在、時間は最も精度よく測定できる単位である。 空間分解能を時間分解能に変換することが高精度観測のカギとなる例も多い。原子時計と電波望遠鏡を組み合わせ、100億分の一の精度で動機観測をすることで性能が飛躍的に向上する。大陸の距離をcmの精度で測定できる。また、超高精度な原子時計はVLBI(超長基線電波干渉計)で使用されている。VLBIによってブラックホールの黒い影の画像を撮影することに成功した。 https://www.nao.ac.jp/news/science/2019/

          ■正確な「1秒」が作る高精度な天体観測

          「1秒」と現代天文学

          19世紀、写真術は天文学に革命的な影響を与えた。肉眼で観測した記録と比較して写真は後で検証できるというメリットがあった。異なる夜に撮影した同じ視野の写真を比較すると、変光星や新星など明るさが変化する天体が見つかる。写真は、「その時」を保存する強力な手段となった。天体写真における長時間露光は、数時間以上にも及ぶことも多い。宇宙の時間スケールからすれば、ほんの一瞬と考えられる。観測技術の問題もあり、深宇宙で起こる現象に関しては、1日以内の短時間の間に起こる変化にはあまり注目されな

          「1秒」と現代天文学

          「1秒」は絶対か?

          19世紀までは、時は一様に流れるものと、考えられていた。 20世紀初頭、アインシュタインの相対性理論により、時の流れは一様ではないことが示された。2人の観察者がいると、高速で移動する場合や、重力の強さの違いによって、2人が測定した経過時間に差が出る。時の進み方が異なるのだ。相対性理論が発表された当初、日常生活の感覚では実感することなど不可能な奇妙な理論であった。しかし、多くの観測により相対性理論の正しさは証明されている。 相対性理論は、現在では日常生活にも欠かせない重要な基

          1秒が注目される日

          「1秒」は、原子時計で正確に決定されるが、地球の自転とは無関係である。原子時計で決まる時刻を原子時(TAI)、天体観測で決まる時刻を世界時(UT)という。生活は太陽の動きと深くかかわっているから、日常的には、地球の動きに基づく世界時に近い時刻を使用することが望ましい。 一方で、地球の自転は不安定さがあり、時の基準としての正確さは原子時計に及ばない。そこで正確な原子時計とふらつく地球の自転のずれを解消する必要がある。世界時と原子時の差を調整するために挿入する秒を「うるう秒」と

          「1秒」の定義

          ■平均太陽時の「1秒」 もともと1秒の定義は、地球の自転を基準としている。1日は86400秒(24時間×60分×60秒)である。1日の長さが分かれば、1秒を決めることができるというわけだ。地球の自転は天体観測から知ることができる。初期の天文台の重要な業務の一つは、星を観測して時刻と時間の決定を行うことだった。 太陽の南中から次の南中までを観測して決定する時は、視太陽時という。シンプルに1日という時間を決めることができるが、季節変化がある。そこで、平均太陽時といって、恒星の観

          ケレスの移動

          2021年11月、ケレスがアルデバランとならびました。1日の移動を撮影しました。 2021年11月4日と5日の写真です。(インターネット天文台iTelescopeT2で撮影)ケレスが移動しています。わかりますか? 答え ケレスは1801年1月1日にジュゼッペ・ピアッツィによって発見されました。初めて発見された小惑星です。その後、太陽の方向に重なり観測が途切れると、見失われてしまいました。数学者のガウスが軌道測定の方法を編み出し、ケレスの位置を予測。1801年12月31日

          noteはじめました

          学芸員の調査研究とダジャレのメモをまとめておくことにしました。 文章は井上毅、ダジャレはブラック星博士が担当