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足を踏み入れた。
「何かを極めようと思ったとき、並の精神力では耐えられない」という言葉をよく耳にする。
誰がこのようなことを言っているのかは定かではない。
恐らくは志半ばで辞めたり、辞めざるおえない理由があったりした理想には届かなかった人の多くではないだろうかと内心思っていた。
この考え方になったのは、自分ができなかったことを目の前の人ができてしまっては困るから、人の言動に野次を入れるということが起こる。ということを知ってからである。
何かを続けるには、自分の意思が通る環境を元々持っている。もしくは作ることも必要不可欠であるから運も伴う。
だからそう言ってしまうんだと思っていた。
ただ、その言葉が良いとか悪いとかではなく、間違ってはいないと思った。
(※周りの言葉に飲み込まれる内は別の道を模索する時間であると思う。)
それが精神力というものなのかはわからないが、偉大な習慣の力や素晴らしい脳の力を使うとは言え、結局は自分の意思決定であることに変わりはないからだ。
そして追求の連続は、自分の中の小さい悩みに目を向け続けることでもあるからだ。
小さい悩みは中々人に相談できない。
この周りに話せないということが、自分をさらに追い込んでいくんだろうと思う。
自分に目を向けると、自分についてや人についても深く考えることになる。
なんのために?どんな理由で?などが例。
これは経験済みだが、
なんでこんなことしてるんだ?とか、
これが達成できたとしてなにになるんだ?とかも頭を過ぎる。
悟りを開けそうだ。
ここで、面倒くさがらなかったらそのまま1歩前身する。
面倒くさがって路線変更しても全然なにも問題ない。
でも、僕は足を踏み入れた。
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