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やってみてよかった情報38「出力の機会を作ろう」

漢字が一番イメージしやすいと思うんですが・・・

コツコツ練習することに抵抗がなく、
十分な練習量が取れているのに、
なかなか定着しないというお子さんがいます。

もちろん背景はさまざまで、それによって手立ては違ってくるのですが、
最近つくづく思うのが、
「出力の機会」の大切さです。

そのことを教えてくれたのは、支援学級に在籍していたZさんでした。

彼は本当に形の把握が得意で、
・綺麗に
・正しい形で
・すらすらと
・十分な量
練習ができていました。

記憶力もとてもいい子で、何年も前の出来事をしっかり覚えていたり、
気に入ったお店の看板を、
何も見ずに、びっくりするくらいリアルに描いたりすることができました。

しかし、練習した漢字を書くことができなかったんです。
大袈裟でなく。

音と文字の一致が悪いタイプでこうした姿を見ることはありましたが、
どうもZさんは、それとも違う様子でした。

最初は習得状況を確認しようと、
1年生の1学期の漢字小テストの10問プリントに取り組ませてみました。
すると、最初は全くできないんです。
漢字が定着していないのはわかっていましたが、
正直、すらすら難しい漢字でもお手本があれば書く子でしたから、
「山」とか「川」が書けないというのは、流石に想定外でした。

使ったのはドリルについてくる小テストのプリントで、裏にマス目がついていて、間違えた漢字を練習できるようになっていました。

こういうやつ↓

なので裏面に練習。
直後に表の問題に取り組む。

・ごく簡単な漢字
・練習した直後

にもかかわらず、やはり「書けない」んです。

ここでやっと、
「もしかしてZさんは、情報を入れるばかりで『出す』経験が欠けていたのでは?」
と思うに至ります。

Zさんは「量がイケる」タイプでもあったので、
裏に練習した後
「表にする前に、しっかり忘れてないか確認して『大丈夫』って思ってから表に返して思い出してみよう」
と声をかけました。

あっ、ただ、ここでいう「テスト」は「小テストのプリント」を利用しただけで、「テスト」として採点はしていないです。
点数をとることがゴールではなく、
思いだす練習をさせたかったんで、
最初はどれだけ間違えてもそこには反応せず、
「思い出す」ができた時に「やるねー」と声をかけ続けました。

もちろん最初はなかなか思い出せず、何度も裏に練習をしていました。
裏面がびっしり間違いの練習で埋まるなんてことも。

それでも1日1枚ずつ取り組んでいると、
次第に「思い出して書ける」ものが増えていきました。

1年の1学期の小テストを10枚ずつ印刷しておいて、
①から順番にやっていき、最後まで行ったらまた①に戻る。
3周目くらいまでは裏面がびっしりだった小テストが、
4周目くらいからどんどん間違うことがなくなっていき、
5周目くらいになると、4枚くらい一度にサクッとやってしまうようになっていきました。
10枚が終わったら、2学期の小テスト、
それが終わったら3学期のもの、
次は2年生の1学期、という具合に進めていったんですが、
どんどん裏面に練習する頻度が下がっていきました。

これは小テストを通じて「書く練習をしたから」ではなく
「思いだす練習をしたから」ではないかなと思います。
だって、それまで十分に量を練習しても、
それだけでは「思い出す」ことができなかったんですから。

なぜなら、情報を出力することに段々と慣れていったZさんは、
1年生の漢字も書けなかった状態から、
あっという間に自分の学年の漢字を(当時3年生)
すらすらと思い出して正しく書けるようになっていきました。
おまけに、書けるだけでなく、日記などで「使える」んです。

そこからのZさんはすごかったです(⌒▽⌒)
日常のドリルの練習だけで「出力」もできるようになっていきました。

それまで、ただ作業として書き写していたものを、
熟語として意味ある塊として捉えられるようになったのかもしれません。

4年以上の小テストは、初めてのプリントでも、
ほぼ間違えずにすらすらと書けるので、裏面は真っ白のままでした。
その後、5年の時点で6年生の漢字もほぼ正確に書いて、
熟語として正しく使うこともできました。

そういえば、
委員会でZさんがあまりにもすらすらと難しい熟語も漢字で書くので、
周りの子達がびっくりしていたなんてこともありましたねぇ。
彼は、自分の思いを言葉にするのが苦手な子だったので、
日常のやり取りがあまりスムーズでない姿とのギャップを感じていたのかもしれません。


私は、「学習量」はとても重要だと考えています。
滑らかに使える力になっていることで、
学びやすさが支えられていくケースをたくさん見てきたので。

でも、Zさんのケースを経験してから
その「学習量」のあり方も意識していかなくてはいけないと思うようになりました。

漢字を学習するのは、
・黙々と取り組む訓練
のためではありません。
周囲の情報に触れたり、
自分の思いを伝えたりするときに必要なツールとして、
「使える」ことが目的のはずです。

であれば、
・入れる
だけではなく
・出す
経験がとても重要だということを、Zさんから学びました。

おそらく多くの子ども達は、
・入れる
練習の中で
・出す
ことも紐付けられていくのでしょう。
ですから、「しっかり練習する」と「書くことができる」が割とイコールで繋がります。
だから、
「覚えられないならもっと書いて練習しなさい」
となりがちなのだと思います。

しかし、Zさんのように
・入れる と
・出す
がうまくつながっていないケースだと、
練習だけでは一方通行になってしまうんだと思います。

彼は、とても極端なケースかもしれません。
でも、「出力の練習」を意識することは、
実は色々なケースで大事だと感じています。

以前紹介した「選択式漢字テスト」も、
負荷を調整しての「出力の練習」なんですよね。

おおおお、つらつら書いてたら長くなってしまいました(^_^;)

言いたかったのは「出力の体験大事」ってことです(⌒▽⌒)
「練習しても覚えられないんだよねー」という時は、
どんな手立てでその子の「出力の経験」を重ねられるかを
考えるようにしています(⌒▽⌒)




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