自分を責める人へ。それ、才能の種かもよ。
昨日は「あーなんでいちいち、迷うんだ、、」と自分の迷いがちな側面に、ダメを出していた。「もー、いちいち迷う自分がめんどくせー」と。
しかしですな、今朝、コミュニティのメンバーが自主開催したイベントに参加して、気づいちゃったわけです。
「あ、この面倒だなー、迷いがちだなー、という側面が、自分の才能であり、持ち味なんじゃない?」と。
これ、よく考えたらそうなんですよね。
周りの人とか、
出来事とかに対して、
自分が思い悩むこととか、
気になっちゃうこととか、
それって、
そのポイントを自分が重視してる、
そこをよーく見てるってことなわけで、
別にがんばらなくても、
自然とそれをやっちゃう。
もうかれこれ何十年と、そこを重視して生きとるわけです。そこに対して意識して生きとるわけです。そんなもん、そのへんのポッと出のヤツに負けるわけがない。
それって、武器じゃない?才能じゃない?
僕の場合だったら、
迷うってのは、
いろんな情報を集めて、
いろんな角度から見て、
あーだったら、こーだったらと推測して、
その結果これだ!という流れで決める。
これをずーっとやってきとるわけです。
そのイベントでは、自分の持ち味や特質を知るメソッドを持っているメンバーが、コミュニティ内でそれをまんなでやってみよう、ということをやったわけですが、
そこで出てきたのは、
僕はバリバリの参謀タイプ。
諜報部隊的に情報を集め、戦略を練り、
企画を立て、「その流れでいきましょ!」と出す。
たしかにね、この10年ぐらい、
やってることを集約したら、
そんなことばっかりしてますわ。
あー、周りの人も、
僕がそこで活きるってことをわかってて、
僕自身もそんな動きが得意でやっていた。
あー、そりゃ、迷うはずだわ。
てか、情報集めて取捨選択していくってのは、
先入観とかあったらムリやん。
「考えるより先に動く」ってのは、
それができない側からすると、
ないものねだり的な憧れがあったりするが、
そっち側の人も必要なわけで、
まぁ、それぞれの特性と役割があるんだなー
と思い直した昨日の今日でした。
自分を責めてる人は、
その見方を反転、逆転してみると、
才能が見つかっちゃうかもね?
ではまた。