京王線テロに対する雑感

衆議院選挙とハロウィンで日本がいつもより多少浮かれていた最中、京王線の特急電車で無差別テロを起こし世間を騒がせた男がいた。ジョーカーの仮装をして、ジョーカーに憧れ、「死刑になりたい」と人を刺し、電車に火をつけた。その後に、電車の座席に座って煙草を燻らせた男の姿は奇異な光景として、テレビやネットで何度も映し出された。

映画『ジョーカー』は2019年にヒットした。それまでジョーカーの最高傑作と言われたヒース・レジャー演じるジョーカーを塗りかえるような怪演をホアキン・フェニックスが魅せた。悪のヒーローであるジョーカーの不憫な身の上、復讐するに足る世界の不条理は、格差が進む現代で共感を覚える人々がいてもなんらおかしくはなかった。
だが、この容疑者の着ていたジョーカーとされる服装はヒース時代のジョーカーの衣装であることから、もしかしたらそちらに憧れていた可能性もなくはないが、煙草を吸うジョーカーと言えば、2019年のジョーカーのイメージが強い。顔のメイクもしていないことから、ジョーカーのコスプレの不完全さに疑問を抱く人も少なくなかった。

ジョーカーが殺めたのは電車で女性に嫌がらせするアッパークラスの会社員、ジョーカーをはめた同僚、そして彼の笑いを”お笑い”に貶めたコメディアンだった。今回の事件では全く無関係の、富裕層でも何でもない高齢男性が刺された。世の中への復讐とするにはあまりに短絡的で、ジョーカーの行動則からも遠く離れた犯行から感じたのは、今生の最後で目立ちたかっただけの男なのではないかという思いだ。煙草を吸う姿は、乗客が撮影しているのを意識しているのか、痛々しい自意識の肥大が見てとれた。ジョーカーは人の目など気にせず、歓喜のダンスをしていたというのに。

私は何もこの男を異常者として断罪したい訳ではない。同様の事件が起こる度、異常者、異端、と枠をはめて安心している世間には虫唾が走る。この男が自分たちの暮らす社会から生まれ出でた事実にあまりにも無自覚であることに、疑問を覚えないだろうか。
ジョーカーを真似た容疑者の、形だけの思想も何もない空っぽの姿に、その日空っぽの仮装をしていたその他大勢の若者は似たものである自覚があるだろうか。ハロウィンを商業として皮だけ移植した大人たちに自覚はあるだろうか。

『”狂気”は重力のようなもの、人は一押しで落ちていく』
ヒース版ジョーカーがバッドマンに言った一言だ。社会が一押しをするのか、手を差し伸べて狂気から引き戻すのか、手を突き出す前に、あなたはどちら側になるか、異常者と決める前に自覚すべきだ、と私は考える。
そして最後に、事件の被害者の方の回復と、その場に遭遇した人に心の安寧が訪れることを願います。

#ジョーカー #事件  

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