やさしい日本語について
前日、「やさしい日本語」についてのニュースを耳にしました。外国人にも分かりやすい簡単な日本語のことです。
「分かりやすい」には色々なポイントがあると思いますが、最初に思い浮かぶのは、書き言葉や音読みの言葉を話し言葉や訓読みの言葉にするという点です。これは私にタイ人の妻がいるからよく分かるのですが、「書き言葉や音読みの言葉」というのは、まだ保育園や小学校の低学年ぐらいの子どもにとっても難しいのと同じように、やはり多くの外国人にとっては非常にハードルが高いです。例えば、昨日のブログを見ると「随分」という言葉を使っていますが、「随分」だと意味が分からなくても、「だいぶ」と言い換えるだけで、意味が分かるという人は随分、いえ、だいぶいると思います。
「やさしい日本語」を考えることは、日本語を母語とする日本人にとっても大切なことではないかと思います。というのも、普段何気なく使っている言葉であっても、いざ分かりやすい言葉で言い換えようとすると、簡単な言い方が思いつかないこともあると思うのですが、そこで初めて、実は自分がその言葉の意味をきちんと理解していないことに気付くからです。
また、単語レベルだけでなく、分かりやすい言い方をしようとしても、普段から文章の組み立てについて意識していないと、あるいは、普段から相手にきちんと伝えるにはどうすればいいかということを意識していないと、分かりやすく言うことも簡単にはできないからです。ですから、やさしい日本語を考えることは、自身の作文能力や表現能力を振り返るきっかけになります。
特に「情報」を伝えるという目的で書く文章あるいは話す言葉は、伝える相手が誰であれ、簡潔であればあるに越したことはありません。ただ、おそらく多くの人が勘違いしていると思うのですが、文章を書いたり、何かを話したりすることは実は「技術」が必要であり、その内容が込み入ったものになればなるほど、「技術」がなければきちんと書いたり、話したりすることはできません。そしてその技術は意識的に高める努力をしていない限り、勝手に高まるということはないはずです。また、内容が込み入ったものになればなるほど、その技術の差というのがはっきりと表れるはずです。
この「やさしい日本語」については、私自身がタイでタイ語を勉強した経験がありますので、また今度、それを読む外国人という観点からも書いてみたいと思います。
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