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真面目な自分の大バカヤロー

真面目な自分にバカヤローと言いたい。
「馬鹿と天才」に肩を並べられるほど、「馬鹿と真面目」も紙一重だと思う。

学生の頃からなんとなーく感じてきた肩身の狭さは、真面目であることに起因してるんだとおとなになって気づいた。

学校のルールは守って、先生に反抗したことなんてない。
テストや就活は、きっちり対策をしてから挑むタイプ。
働き出してからも、もちろん真面目で。
仕事の「至急」ってメールを全部大慌てで対応してたら、「間に合わないのは、無理って言っていいんだよ。」と先輩から呆れられた。

友達からも親からも「あんたは真面目すぎる。」を持て余すほど受け取っている。

確かに友達は、手を抜いて自分を休ませるのがうまい。
「今日疲れて無理だったから、有給使ってサボっちゃった。」
「Web面接って、上だけスーツ着替えれるから楽だよね〜。」
なんて話を聞くたび、うらやましいと心のどこかで感じる。

わたしそんなんしたことない。
あー、真面目に生きるのつかれた。
こんなに息苦しいのは、無理をしているからなんだろう。
真面目が生まれ持ったものなら、つかれた、なんて感覚にはならないのでは?
本当は守りたくないと思ってるルールを守り、やりたいことをお金や周りの目のために我慢しているから、つかれてしまうんじゃないか。

そしていつからか、息苦しさを抱え込んで暮らしていた。
社会をうまくわたってくつもりで身につけた真面目に、縛られて消耗している。

自ら窮屈な真面目を身にまとってきたわたしは、とんでもないバカヤローだ。
こんなもの、もう放り出してやろう。

最近ようやく、真面目をやめることにベクトルが向いてきた。
嫌なことに対し、思考停止で我慢を選択しない。
それよりも、ハッピーになれる解決策を探せるよう頭を使うことにする。

真面目をやめることに、真面目になってみようと思う。



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