AIがいる未来に声のプロはどう生きるか 第5章
ナレーター、声優、アナウンサーといった声のプロたち。直面しているAIの波は、クリエイティビティにどのような影響を与えるのか。AIは現在どこにあって、どこまで進むのか。そして音声表現はどうなるのか。現在と未来の洞察をお届けします。
<<第5章 人間の核心とAI>>
【声は本能に近い】
声や音は人間の本能にいちばん近い部分に触れる。映像より声に人間的本能が宿っているのかもしれない。好き嫌いの心を揺さぶる感情は、声によって本能に訴えかけているからだ。
声も含め完璧な歌唱のAIのCDより、遥かに拙いアイドル声優の歌を、皆が購入する実態がある。ヲタクたちの妄想を詰め込んだ作り物の偶像。それはいくらでも作れる。それでも”人間を推す”のだ。
将棋はコンピュータに人間が勝てなくなって久しい。しかしコンピュータ同士の究極の対決に人間は興味を持たない。物語は人間が紡ぐからこそ価値があるのだ。
一つの原稿を読む場合でも一人一人全てが違う声、読みになる。人間の声で物語を届けることに価値を感じるのは、人間だからだ。
【人間性の時代】
創造的な制作現場では、人間は人間と仕事をしたがる。残念ながら非創造的な現場ではそうではないが。そこでは3割のコスト問題だ。
物の捉え方、判断基準、価値観、クセ、性格、アイデンティティ。その人の核になるのがパーソナリティである。作品を創造するには、お互いのパーソナリティが共感したりぶつかったりが大切。だから創作は楽しいのだ。
人間性のつながりである人脈。人間性とは人間力、愛情、心遣い気遣い思いやり。人として大切な事柄である。
AIの誕生とは『人間性の時代の到来』なのである。
【美と魂】
美の意識は個々の人間が持つセンス。何を美しいと感じるのか。どの声を良いと感じるのか、不快と感じるのかそれが美意識である。
現状行われている、人気声優をサンプリングしたところで、変化は起きない。変化のないところに、新しい美は誕生しない。
見えない精神や心を見えるようにするのが芸術である。
人は古来より、魂が人間の中心であると信じ、”言霊”と言うように言葉に魂が宿ると考えてきた。魂を込める。作品に命を吹き込む。それは創作者の祈り。魂があって初めて人間となる。命の営みである人間の芸術。そこにだけは到達はできないのだ。
【AIは友となる】
2007年”初音ミク”というボーカロイドの誕生は、カルチャーや価値観に大きな変化をもたらした。日本史の教材で「現代のIT技術が生み出した新たな文化の象徴的存在」とまで評価されている。
”実在の人間の声”をベースにしたツールとして新しい表現を生んだ。新しい技術革新は新しいクリエーティブを産む。過去、絵画において写真が誕生し、写実から印象派、キュビズム、抽象画へと放射状に表現が拡大したのだ。
技術革新の歴史は常に新しく表現、そしてそれに関連する仕事を生み出している。
新しい技術は人間の仕事のスタイルを大きく変えてきた。
長文のナレーションでは、自分の声をデータとして使い、AIに読ませることが可能になる。あとは誤読を手直しし感情を付け加えれば良いのだ。オーディオブックでは有効ではないだろうか。
自分の声を著作データとして自身で保有し、他に譲り渡す事なく、使っていけばいいのだ。声の調子が悪い緊急時にも使える。技術的にさほど難しくはないはずだ。他にも未知の使い方で、仕事の範囲は予想外に広がっていくのかもしれない。
AIを声の分野でも使いこなせる人材は、当面は希少だろうから高いギャランティを取ることが可能になる。それは現状のIT技術者で、すでに起こっている事なのだ。
クリエーティブな感性や倫理的な問題は”人間が判断する”といった共存は、充分に可能である。AIを使いこなす側になったほうが未来は開けそうである。
AIで何ができるのか、そして何をしてはいけないのか。正しくAIを理解していけるか。AIとの接点に人間が感性を投入できるか。それがAIを使いこなす共存への道である。
デジタル情報である記号に人間的な感性(人間性や美と魂)を加える。いたずらに恐れるのではなく、親しいパートーナーとして、友としてAIを使いこなす。それが来るべき未来への姿勢となる。
最後に。この拙文は人間が書きました。
義村 透
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