誤解される人・石原慎太郎さんのエピソード。

 定例記者会見で、石原さんは尖閣諸島問題などたびたび中国を批判した。
 その際、「シナは……」と必ず中国をそう呼ぶ。確かに戦前育ちの石原さんにとって中国は「支那」であった。
 僕の記憶でも小学生ぐらいのころ(3丁目の夕日の時代)はラーメンは、支那そばと呼ぶのがふつうで、メンマは支那竹であった。ある日、気がついたら店のメニューが中華そば表記になっていたことを憶えている。
 1960年代、新聞は中国を「中共」と表記していた。台湾は中華民国である。朝日新聞がいちばん早く中共を中国に変え、読売新聞は中共表記をかなり後(日中国交回復が迫るころまでかな?)まで続けていたと思う。
 何を言いたいか。
 石原さんは、中国とは「中国・四国地方」に使う言葉であり、自分の国を他国に対して「世界の中心」と呼ばせるのは無礼千万と考えていた。たしかに正論だと思う。
 それでも、まあ、いまどきシナは古色蒼然の感が否めない。そこで僕は石原さんにこう提案した。
「今度から記者会見ではシナでなくChina(チャイナ)と言ったらどうですか? それが国際標準なのだから」
「そうか。うん、そうだな」
 納得しているふうであった。
 それからしばらく石原定例会見の口語ではChinaが使われた。
 だが2カ月ほど経ったある日、気づくと会見はシナに戻っている。やっぱり前頭葉で理解しても脳幹に近いところではやっぱりシナ、というより支那なんだなあと思ったのである。
 石原さんの奥さん、典子夫人のお父さんは民間人だが招集され将校として戦い支那で戦死している。夫人は出征後に内地で産まれた。お父さんは戦地で抱き上げることはかなわなかった。だから夫人はお父さんの顔を知らない。石原さんにとって第二次世界大戦は人生の時間軸においてはつい昨日の世界のことであり、だからこそ中国はいつまでも支那であったのだろう。
 それからもう一つ。石原さんを右翼だと決めつけている人たちに、そういう単純な分類はやめたほうがよいと言っておきたい。
 ある日、何かの式典で壇上で都庁幹部が整列して国歌君が代を歌う場面があった。都知事の隣が副知事の僕である。石原さんの声が聴こえる。「キミガヨ」のところを「わがひのもとは」と歌っているのである。正確には断言できないが、そう聴こえた。天皇に戦争責任というより敗戦責任があると思っておられたのは、はっきりは言わないが、僕は日頃の雑談の端々から感じとっていたことであった。こだわりがあるならずっとこだわるのが考えるということであり、それが作家として内奥からの持続力をもたらす、枯れない泉とはそういうことなのだ。

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