色褪せていく日本の「国葬」岸田政権の終わりの始まり

 英国ではエリザベス女王が亡くなられ、チャールズ皇太子が国王に即位された。
 国葬は10日後ぐらいになりそうで、弔問外交というものがあるとしたらそちらに移りそうだ。
 国葬というのは、本来は元首(日本では天皇、天皇崩御での大喪は実質的な国葬)が亡くなられた際に執り行なうものであり、そうでない場合は国の貌(かたち)に大きな変化があった場合に限られているはずです。
 吉田首相が国葬だったのは、サンフランシスコ条約に調印して日本国の主権回復、つまり独立国家となるまでに果たした役割が明確だったので国葬となった。
 行政のトップである首相はふつうは国葬にはしない。佐藤首相が国葬にかなり近いと思われたのは、領土の返還(沖縄返還)という業績があり、ノーベル平和賞も受賞して、やはり国の貌の変化に功績があったとの評価も加味された。
 中曽根首相に業績はあったが、主権や領土の領域に変化をもたらしたわけではない。史上最長の政権であったとしても安倍首相は、北方領土について、結局、まったく成果を上げることができなかった。したがって国葬には値しないと考えるのが常識だろう。
 また「国」という場合、行政と国会が当事者であり、閣議決定すればよいというものでなく、少なくと国会の同意を得るべく努力した形跡を明確に残しておかなければならなかった。
 写真(BS.TBS)の年表で示されたように、国葬決定までの意思決定過程は不明瞭で、麻生副総裁が念を押したとかただの談合のような経緯しかない。「聞く力」が派閥の声に耳を傾けただけで「国会」を無視したのなら国民の声を聞かなかったことになる。世論調査で支持率が落ちたから閉会中審査をやりました、では弁明にならない。閣議決定の前に国会を無視して国葬を決定した事実によって、岸田首相は日本の憲政史上に禍根を残したことになる。

 そのうえで旧統一協会問題があり、さらに当初の空気とだいぶ違ってきているのだが、それについてはここでは省略する。
 岸田首相は、安倍元首相の死について「暗殺」と言わず「非業の死」という言葉を選んでいるが、あえて国葬にこだわるなら、民主主義国家の根幹を揺るがすテロ行為としての「暗殺」の語を用いるべきだろう。

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