砂の城

 人はもう思い出したくないことを忘れるようにできているというのは、本当だろうか。わたしは本当に過去を美化してしまっているのだろうか。分からない。色々と考えていて分かったことは、わたしは偶然生き残ったということだ。生きていることは奇跡なんだ!というのは少し言い過ぎな感じがするけれど、偶然生き残ったというのは、確かな気がする。ずっとずっと大切に積み上げられてきた砂の城は、ほんの少しのことで粉々に崩れ去る。わたしの砂の城もそうだった。ある人のたった一言で一瞬にして崩れ去った。その跡には、ばらばらになった砂しかのこっていない。絶望的だった。生まれて間もない頃、幼稚園時代、小学校時代など生まれてからの全ての時がまざって良い思い出も嫌な思い出もみんな散りばめられてしまった。だから、わたしの中に時間という概念はほとんどなくなり、出来事と出来事のつながりや、出来事と自分の気持ちのつながりなどもばらばらになってしまった。砂の城だった砂一つひとつは全部わたしの目の前にただの山となって在るだけになってしまった。では、また砂の城を作り直せばいいじゃないか、ということになるけれど、それは簡単なことじゃない。どこまで掘っても砂まみれでどの砂と砂が一緒になっていたのかも分からないのだから。だから、今日や、今、この瞬間のことしかなくなってしまった。少し前のことを思い出そうとすると、事実として思い出すことはできる(砂を拾って)が、それが一体どんな体験だったのか、どんな気持ちを感じたのか分からない(どの砂と一緒になって、どんな形をしていたのかわからない)。
 今は砂の城を作り直しているところだ。簡単ではないけれど、過去の砂の城を建てない限りこれから未来の砂の城を積み上げていくことはできないから、やるしかない。というわけで、わたしは過去にあったことを忘れるのではなく向き合う必要がある。でも、本当にその必要があるのか、実のところ分からない。他にも方法はある気がしているから。確信はない。

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