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【水平社宣言を読む2022】吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動を起こせるは、寧(むし)ろ必然である。

 融和運動に対して、当事者自らが立ち上がり「吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。」という主張は、水平社の性格を表すものとして注目されています。
 
 『よき日の為めに』には、まず佐野学による「解放の原則」において、「特殊部落民の解放の第一原則は特殊部落民自身が先づ不当なる社会的地位の廃止を要求することより始まらねばならぬ」と述べられています。
 そして、宣言文に込められたのが「吾等の中より」「人間を尊敬する」という表現でした。この重要な言葉には、ロシアの2つ文学作品からの影響をみることができます。『よき日の為めに』から、その背景を考えてみましょう。 

 吾々は、即ち因襲的階級制の受難者は、今までのやうに、尊敬す可き人間を、安つぽくする様な事をしてはいけない、いたづらに社會に向つて呟(つぶや)く事を止めて、吾々の解放は、吾々自身の行動である事に気付かねばならない。吾々は世間の所謂同情家の ―同情はする、しかし汝(なんじ)の僻(ひが)みと不衛生な生活から脱けて來い― と云ふ如き遁辞(とんじ:逃げ口上)には耳を藉(か)すものではない。
【中略】
 又彼等のあるものは、日本のネヅダーノフだ、おせつかいな、お目出度い、ロマンチック・リアリストだ、そんなものに、いつまでも、對手(=相手)になつて居ては、いけない。吾等の中へ―と云ふのを、吾等の中より―と改めねばならぬ。

『よき日の為めに』 ()内は引用者
 

●ツルゲーネフ『処女地』のネヅダーノフ

 ここで登場するネヅダーノフとは誰でしょうか。「吾等の中へ」ではなく、「吾等の中より」と改めなくてはならないというのは、どういう意味でしょうか。
 
 『よき日の為めに』で、おせっかい、おめでたいと否定的に扱われているネヅダーノフは、ツルゲーネフの小説『処女地』の主人公です。日本では、1914(大正3)年に、相馬御風の訳で出版されました。ロシアの革命運動において、主にインテリ層であった青年たちが、貧しい人民、特に農民のために活動したナロードニキの悲劇を描いています。「ヴ・ナロード」(人民の中へ)の掛け声で、運動に参加していきました。

 ナロードニキとは、どういうものであったのか、ここでは、ツルゲーネフが小説の中で、ネヅダーノフの恋人マリアンナに語らせた言葉を、ご紹介します。マリアンナは、ネヅダーノフと共に運動に身を投じようとしていました。

私達は成功します、必度(きっと)です―私達は役に立ちます、私達の生命を無益(むだ)に費しは致しません、私達は人民の中に投じて生活致しませう
【中略】
私達は働きませう、彼らの為めに、私達の同胞の為めに、私達の持ってゐる凡(すべ)てのものを捧げませう。私に若(も)し必要があつたら料理も致しませう、裁縫も洗濯も致しませう…屹度(きっと)です、屹度です…そしてそれには何の報酬もありますまい­―それでも幸福です、幸福です…

『処女地』相馬御風訳 大正3年 博文館 309-310p
(国立国会図書館デジタルコレクション)         

●ゴーリキー『どん底』のサチン

 『よき日の為めに』には、ゴーリキー『どん底』から、サチン(サーチン)の次のセリフが引用されています。

 人間は元来勦(いた)はる可きものじゃなく尊敬す可きもんだ ―哀れっぽい事を云って人間を安っぽくしちゃいけねえ。尊敬せにゃならん、何うだ男爵!人間の為めに一杯飲まうじゃねえか ―ドン底のサチン

『よき日の為めに』 ()内は引用者

 そして、このセリフの引用に続き、「吾々も、すばらしい人間である事を、よろこばねばならない」と記しました。 
 
 『どん底』は、マクシム・ゴーリキーの戯曲で、1901年冬から1902年春にかけて執筆され、同年にモスクワ芸術座で初演されました。
 
 ほら穴のような地下にある木賃宿、そこに集う客たちの間でくり広げられる人生の悲喜こもごもが描かれています。最終幕第四幕では、夜の木賃宿で、そこに住む「男爵」と呼ばれる男や、錠前屋クレーシチ、ナースチャ、役者、そしてサーチンたちが、酒も酌み交わしながら、話に花を咲かせています。最終幕の後半、すっかり酔いのまわったサーチンが男爵に語りかけた言葉が、「人間は元来勦(いた)はる可きものじゃなく尊敬す可きもんだ」だったのです。
 
 日本では、1910年12月、小山内薫の訳・演出、二世市川左団次の出演、『夜の宿』というタイトルで、自由劇場第三回公演として有楽座で初演されました。以来、たびたび上演されています。
 『夜の宿』は脚本としても出版され、日本語で読める『どん底』としては、小山内の訳した『夜の宿』が有名です。けれども『よき日の為めに』で引用されたサチンのセリフは、昇曙夢(昇直隆)の訳を参考にしたものと考えられます。昇と小山内の訳を比べてみましょう。

 〇昇曙夢訳
人―間!人間は元来(もともと)勦(いた)はるべきものぢやなく尊敬すべきもんだ ……哀れッぽい事を言つて人間を安ッぽくしちやいけねえ。尊敬せにやならん。何(ど)うぢや男爵!人間の為に一杯飲まうぢやねえか(と立上る)自分を人間だなと感じた時の気持は何んとも言へねえ

『脚本 どん底』マクシム・ゴーリキー作 昇曙夢訳 聚精堂 明治43
(国立国会図書館デジタルコレクション) 

〇小山内薫訳
 にい―ん―げん。人間は尊敬すべきものだ。憐れむべきものぢやない…同情などといふもので侮辱すべきものぢやない… 尊敬すべきものだ。男爵、人間の健康の為に祝杯をあげよう。自分が人間だと思ふと―実に愉快だね。

「夜の宿(マクシム・ゴルキイ)」『近代劇五曲』小山内薫 大日本図書株式会社 大正2 (国立国会図書館デジタルコレクション) 

 20世紀初頭に日本にもたらされたロシアの民衆を描いた作品が、日本の水平社宣言に大きな影響を与えていたことがわかります。
 

●なぜ、ツルゲーネフとゴーリキーだったのか

 ところで、このロシアの2つの文学作品(ツルゲーネフの小説『処女地』とゴーリキーの戯曲『どん底』)について、水平社創立趣意書『よき日の為めに』と水平社宣言を書き上げる際に参考にされたのではないかと考えられる書物があります。

 1914(大正3)年に『処女地』を訳して出版した相馬御風が、翌大正4年に執筆した『ゴーリキイ』です。相馬は、この書で、「ロシアの一角からヨーロッパの文壇へ彗星の如く現れ出」たマキシム・ゴーリキイと名乗る一人の若い詩人について、生い立ちや作品を紹介し、彼の革命性について論じています。
 
 第5章「革命家としてのゴーリキイ」では、バクーニン、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイらがこぞって叫び、ロシアの文学、思想界の合言葉であった「民衆の中へ!」「民衆の為めに!」について、次のように指摘しました。
 

既に「民衆の中へ!」と云ふ。それには同時に「いづこより?」の疑問をさしはさむべき余地が示されて居る。「中へ」は「中から」ではないからである。
【中略】
ロシアの革新運動は、民衆ならぬ人々の企てた「民衆の為めに」の運動に外ならなかったのである。

相馬御風『ゴーリキイ』実業之日本社 大正4 p119
(国立国会図書館デジタルコレクション)

 そして、具体的に『処女地』のネヅダーノフの例を挙げて、「民衆の中へ」の欺瞞を語り、中へではなく「民衆の中より」登場したのが、ゴーリキイであるとしました。

「民衆の中へ」又は「民衆の為めに」の合言葉の下に集つた多くの革命家の失敗の後を襲うて出現すべき真の革命家は、もはや彼等と同じ「民衆の中へ」の人々であつてはならなかった。それは真に「民衆の中より」の人でなければならぬのである。
【中略】
恰(あたか)も此の時に当つて、マキシム・ゴーリキイが現れた。彼こそ真に民衆の中よりの使徒であつた

相馬『ゴーリキイ』p139  ()内は引用者 

 更にツルゲーネフ、トルストイ、ドストエフスキーらが叫ぶ声は、「何等の積極的な効果をもたらし得ないで」「幻滅の中に、空しく葬られ去つた」と指摘、『処女地』のネヅダーノフを例に挙げて、「民衆の中へ」運動への決別を語りました。

 而(しか)も恁(こ)うした彼等の叫び声は、彼等下層民そのものの中には、遂に何等の積極的な効果をもたらし得ないで、解散を叫ぶものも、解放を叫ばれるものも、皆一様な幻滅の中に、空しく葬られ去つたのが事実ではないか。此間の消息を最もよく語るものは、前にも述べたツルゲーネフの『処女地』の中の、ネヅダーノフの末路である。「自分はロマンチック、リアリストであつた」と云つて、一発の弾丸に依て我が額を砕いて死ぬる若い革命家の哀切な末路は、恁(こ)うした貴族的な革命運動の必然的な幻滅を語るものである。

相馬『ゴーリキイ』p280

 そして、ゴーリキイを高く評価する相馬は、「此の時代に於ける彼の最も傑れた作はあの『どん底』」と指摘し、『よき日の為めに』でも引用された昇曙夢訳の次のセリフを引用したのです。

 「一個の人間たれ」これがゴーリキイの人生観の凡てであつた。『どん底』の中のサチンの乾杯辞は恁(こ)うであった。
【中略】
「人間は元来(もともと)勦(いた)はるべきものぢやなく、尊敬すべきもんだ…。哀れつぽい事を云つて、人間を安つぽくしちやあいけねえ。尊敬せにやならん。何(ど)うぢや男爵!人間の為めに一杯飲まうぢやねえか(と立上る)自分を人間だなと感じた時の気持は何んとも云へねえ!【後略】」

相馬『ゴーリキイ』p300~301

 相馬が『ゴーリキイ』で、鮮やかに対比させてみせたロシアの「民衆の中へ」という運動の限界と、ゴーリキイの描く人間への賛辞は、日本で差別や社会的抑圧に苦悩していた人びとに、新たな運動の方向性を示しました。
そして「水平社」は生まれました。

 それはまさに激動する時代の「必然」だったのではないでしょうか。

 

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