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【水平社宣言を読む2022】水平社宣言の特色と社会的背景

1 水平社宣言の特色と社会的背景


 まずはじめに、水平社宣言の特色と、その社会的背景について、簡単にみておきましょう。ポイントは4つです。
 
① 国内外の思想・宗教・文化活動から多彩な影響を受けた
② 世界の出来事から影響を受けた
③ 「大正デモクラシー」といわれる日本の社会運動の流れの中で生まれた
④ 被差別部落内外の人的交流、連携があった
 

①  国内外の思想・宗教・文化活動から多彩な影響を受けた


 1つ目は、国内外の思想・宗教・文化活動など、さまざまな分野から多彩な影響を受けているということです。水平社宣言だけでは、その影響を読み取ることは難しいですが、創立大会への結集を呼びかけた創立趣意書『よき日の為めに』には、思想・宗教や外国の小説などからの引用があり、併せて読むと、宣言に書き込まれた言葉の意味が見えてきます。100年前には、今のように簡単にネットで検索という訳にはいきませんから、宣言と創立趣意書を書いたのは、国内外の思想・宗教・文化に通じた博覧強記の人であったことがわかります。
 
【創立趣意書で言及されたもの】
仏教:親鸞、晨朝礼讃(じんじょうらいさん)、無碍道
日本神話:黄泉比良坂(よもつひらさか)
ナザレのイエス
ギリシャ神話:盗賊プロキユスト(プロクルステス)、ゴルゴン
インフェルノ ルシファー(光をもたらすもの 堕天使)
ダヴイドの共和祭祭典(ジャック=ルイ・ダヴィッド) 
ツルゲーネフ(ネヅダーノフ『処女地』1877)
ゴーリキー(サチン『どん底』1902)
ウイリアム・モリス
ロマン・ロオラン

②  世界の出来事から影響を受けた


 2つ目は、1とも関わりますが、当時の世界の動きからも、大きな影響を受けたことです。例えば、阪本清一郎は、「私たちに対しても大きな影響を与えた」出来事として、革命、戦争、独立運動、民族運動、日本の社会運動など、当時の激動する世界の出来事を挙げています。
 
阪本清一郎「水平社創立の想い出」(『部落問題資料文献叢書第3巻第1冊 水平』 近代文芸資料復刻叢書第7集)から  
「私たちに対しても大きな影響を与えた」として挙げた出来事
     ロシア:社会主義革命   ドイツ:革命
     第一次世界大戦終了
     パリ平和会議 「人種平等差別撤廃」「民族自決」
     インド:ガンジーのスワラジ運動
     アイルランド:シンフェン党の独立闘争 
     アフリカ:民族独立運動
     アジア(中国など):植民地解放運動
     日本:米騒動、小作人争議、デモクラシー、社会主義思想
 

③  「大正デモクラシー」といわれる日本の社会運動の流れの中で生まれた


 3つ目は、大正デモクラシーとの関わりです。
 阪本清一郎が影響を受けたとして挙げた「デモクラシー」は、「民主」主義を意味します。けれども当時は、吉野作造が唱えた「民本」主義という言葉が使われていました。吉野は、政策決定は一般民衆の意向に従うべきとし、普通選挙制や政党内閣制を主張しましたが、それは天皇を中心とした日本の君主制が前提でした。戦後日本国憲法下の「主権在民」を基本とする「民主主義」とは異なるものであるため、大正期のデモクラシーとして区別されています。
 第一次世界大戦(1914~18)後の日本では、労働運動や農民運動、女性運動などの社会運動が活発になり、社会主義の思想も広まりました。また、大都市の発達で、都市に住む人びとの生活様式や意識にも変化が生まれ、新聞、雑誌の普及や、ラジオ放送の開始は、より多くの人の文化的環境を豊かにしました。
 水平社の創立は、こうした当時の人びとの社会に対する関心の高まりと共にあったのです。

④  被差別部落内外の人的交流、連携があった


 4つ目に、日本の社会運動が盛んになってくる中で、人との交流が生まれ、そこから影響を受けました。早稲田大学教授で社会主義者であった佐野学は、まだ非合法であった時代の日本共産党委員長で、特に水平社の創立期に影響を与えました。他にも堺利彦や、キリスト教社会運動家の賀川豊彦、大杉栄といったアナキストなど、多くの人と交流がありました。
 
佐野学 早稲田大学教授 社会主義者 
  昭和初期の非合法政党時代の日本共産党中央委員長 
堺利彦 社会主義者
岩佐作太郎 アナキスト(無政府主義者)
賀川豊彦 キリスト教社会運動家
山川均 社会主義者 労農派マルクス主義
大杉栄 アナキスト
 
 こうした時代の雰囲気について、西光万吉は、戦後、次のように思いを語っています。
 

 水平運動を起す前から、私たちはのんきな「社会主義者」であった。
(中略)
 当時の私たちは、のんきなもので、アナでもボルでも、その他でも、さほどに気にしていなかった。私にしても堺(利彦)さんの宅へも行けば、岩佐(作太郎)さん宅へも行き、また、賀川(豊彦)さんのお宅へも行った。阪本さんも、山川(均)さん、大杉(栄)さんの宅へも行っておられた。ともかく「主義者」であれば私たちは安心して何でも話ができた。彼らだけが無差別世界の住人であった。

西光万吉「水平社が生まれるまで」(雑誌『部落』31号 1952年3月)
 (部落問題資料文献叢書第8巻 水平運動論叢 世界文庫)

  水平社の運動は、アナキズムやボルシェビキなどの影響を受けており、そうした当時の運動を、社会思想や運動論として考察することには重要な意味があります。水平社の活動家といっても、個々人で考え方の異なる部分もありました。
 けれども、ここで西光の述懐から着目しておきたいことは、水平社の活動が、常に特定の主義主張を深く理解し共鳴して関わっていたというよりは、その根底には、同時代に、新しい価値観で、社会を変えようとしていた人びとへの強い共感があったということではないでしょうか。

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