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遺書 20200609

わたしは死ぬことにしました。

切迫してわたしから生を奪うものはありません。

しかし死ぬことにしました。

現実から逃げたいのです。 

未来を選ぶ前に終わらせてしまいたい。

他人の目を気にして生きるのは疲れましたが、どうやらわたしはそれから逃げられないようです。

そのためにも死を選ぼうと思います。

今まで多分一生懸命生きてきました。自ら苦しい方へ進みそれでも頑張ってきました。

しかしそこに自分の明確な意思はなく思考は停止しマリオネットのようでした。

言われたことを従順にこなすことはとても簡単で楽です。しかし自分はどうありたいのか、何をしたいのかがわからなくなりました。

何をしたら楽しいのか、趣味はなんなのか、時間やお金、労力を費やしてまで行いたいことがわからないのです。もう胸の中に情熱の炎は無いのです。

また、言われたことをこなしていると褒められます。その中で自己評価ではなく他者からの評価で自分の存在価値を測るようになってしまったのだと思います。それはとても苦しいです。

研究室が合わないこと、特に教授が怖いです。しかし、それにかこつけて研究室に行かなくなりもう2ヶ月経ちました。就活はありますが、卒業できるのか不安ですし、退学したとしても就職が心配です。しかし行けないのです。甘えだと思います。堕落だと思います。わたしは誰かに管理されないとみんなが普通にこなすこともできない。

就活も辛いです。今まで漠然と自分は勝ち組の人生を送りたいしそのために努力しようと思っていましたが、勝ち組って何ですか。自分が何をしたいのかわからない。今まで歩んできた道と全く関係がない道かもしれない。だとしたら今まで費やしてきた時間やお金は何のためのものだったのだろう。そう思うと両親への申し訳なさでいっぱいです。ごめんなさい。

何がしたいのかもわからないけどどこがわたしをとってくれるのかもわからない。わたしはやっぱり社会に必要とされていないのだろうと思います。ごめんなさい。

理想も高いのだと思います。漠然と描いてきた理想。しかし現実は厳しいです。ずっと後回しにしてきましたがそれに今直面しています。

理想通りに生きることができないのなら死んでしまいたい。

理想なんてもうわかりません。もう頑張りたくないです。


世間の多くの人は毎日仕事や学校に行きたくなくてもきちんと行っていると思います。尊敬します。また、理想にも踏ん切りをつけてどこか妥協して人生を生きていると思います。



頑張ってないのはわたしだけ。

価値がないわたしが認められるには頑張ったり他の人のために行動したりするしかない。

頑張ってないわたしに価値はないのです。

それをわかっているのに行動できない自分が辛い。嫌い。



母は昔からわたしのことを見捨てたりせず愛情を注いでくれました。それ故にわたしたちの関係が拗れることもありましたね。母は過干渉でしたがそれはわたしの幸せを願う愛情だったということはずっとわかっていました。でも、苦しいです。わたしの人生なのにな。それでも見捨てられるのが怖い。自分以外の人間の目が怖い。どう思われるのかが怖い。

母は多分わたしにとって一番幸せになれるような道を提示してくれていましたが、それを蹴ると対立することも多くありました。

ちょうど先日もあったので今死んだら母は一生自分を責めるような気がします。

お母さん、違うよ。お母さんのせいじゃないよ。全部わたしのせいです。逃げてごめんなさい。今までたくさん愛情を注いでくれてやりたいことをやらせてくれてありがとう。ごめんなさい。

お父さんは普段何も言わないけど大切にされていたことは感じていました。とても真面目で尊敬していました。仕事が大変でも命を削って家族を養ってくれてありがとう。お父さんはそれほどまでに頑張ってるのに全然頑張ってないわたしが逃げてしまってごめんなさい。

受験の時の神社の話嬉しかったし感動したよ。

妹は喧嘩もしたし怒ったりもしたけど好きでした。楽しくやってください。君なら穏やかに着実に幸せな人生を歩んでいくと確信しているので何も心配していません。


友達にも感謝しています。こんなわたしと仲良くしてくれてありがとう。でもみんな社会人で頑張ってるのを見たり聞いたりしていると申し訳なくなります。みんなも幸せに生きてね。


どうしてこうなっちゃったのかな、どこから間違えたのかなと思うけど別に過去に戻ってやり直したい気持ちはありません。過去が変わると出会う人も変わると思うので。みんなと出会えて良かったです。誰一人も欠けて欲しくない。この人生だったから出会えた。それだけは本当に良かった。



みんなどうか穏やかに幸せに生きてください。



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