エスカレーターに乗れない人々

 新しい年が明けた。

 星がいつもどおり運行して、明日が今日に変わっただけなのに、そこに一月一日という名前がつけられるだけで世界そのものが変わってしまったかのな錯覚をおぼえる。

 そういう心持ちでいると、自分自身にも何らかの変化を求めたくなるもので、どうせ長くは続かないとわかっていても新しいことに挑戦してみたくなる。そこで新年早々、新しいことを始めてみた。

 といっても、大それたことではない。巷で話題の『鬼滅の刃』のアニメを観たというだけのことである。

 私はもともと流行というものに疎い。常に新しいものが生み出されている現代において、最新のものを追いかけるということはゴールのないマラソンを走っているようで、想像しただけで心がバテてしまう。
 周囲の人々が話しているのを聞いて、これがいま流行っているのだなという情報を仕入れたとしても、それに手を出すところまではなかなか行かない。私にとって、新しいものに手を伸ばすということのハードルはほかの人と比べものにならないくらい高いのだ。

 それはたとえるなら、エスカレーターに乗るようなものである。大抵の人はエスカレーターに難なく乗ることができるが、なかには足を踏み出そうとしてもタイミングが合わず、苦労する人もいる。私もかつてはそうで、段が出てくるのを何度も見送って、タイミングを掴んでからようやく乗ることができる人間だった。自分ひとりのときは落ち着いてタイミングをはかれるが、後ろに人が続いている場合などは泣きそうになりながら乗っていたように記憶している。

 世間の流行も同じで、波に乗るタイミングを掴むのが上手な人もいれば、そうでない人もいる。波が来ているのが見えていても、それに乗れないということだってある。
 エスカレーターにかんしていえば、最近は人が乗ったら動き出すという種類のものができて、随分親切になったと思う。しかし流行は止まることがないから、いつまでたっても乗りづらいままだ。

 そんな私が『鬼滅の刃』を観ようと思ったきっかけは、昨年末の紅白歌合戦でLiSAさんが同作の主題歌を歌っていた際、その歌詞と後ろで流れている映像から勝手に話を想像して泣いてしまったことである。

 自慢するわけではないが、私は感受性と想像力には自信を持っている。観たことのない映画のタイトルとキャッチコピー、あらすじから話の一部始終を空想するのが好きで、その空想に涙したことは十や二十ではきかない。
 今回もまたそのうちのひとつなのだが、もしも自分が想像したとおりの話であるなら面白いのでは、と思って年末年始の休みのうちに視聴することにした。

 結論からいうと、とても面白かった。ストレートで熱い物語は正月休みの寝ぼけた頭に優しく、心にも真っ直ぐ刺さった。個人的には、ちゃんと修行なり訓練なりをして強くなっていくというところも、感情移入の度合いが高まって良かったと思う。

 私は陰陽でいうと陰の側の人間だという自覚がある。友達は少ない。家族団らんは苦手だ。愛は呪いだと思っている。そういうひねくれた性格の持ち主である。そんな私だから、友情、家族、愛といった要素をストレートに表現されると、耐性がないのですぐに泣いてしまう。
 陰の人間のなかにはこれらの要素を真っ向から否定してかかる者もいるが、私は陰の側でもリベラル派なので、上の三要素については自分の人生に持ちこまないものの肯定的である。

 そういうわけで、新年早々、乗りづらいエスカレーターに飛び乗ったわけだ。いちど飛び乗るとあとは勝手に進んでくれるのは、エスカレーターのよいところだと思う。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?