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『仕事と人生に効く教養としての映画』 教養につながる映画の楽しみ方はまだまだある(業界の歴史)

 まめに映画館に行くわけではないが、Amazon Prime Videoで毎週休日には何らかの映画を1、2本は観る習慣があるため、「教養としての映画」という映画の効用はある程度理解しているつもりだ。また私の場合、映画を観て楽しむだけでなく、その時代背景や、異なる国の文化を擬似的に知る意味でも有意義に感じていたが、この本の著者の伊藤弘了氏も、同じような視点で映画を観ているようなので、同類を発見し妙に安心した。マイナーな映画であれ、知名度のない監督作品であれ、映画賞を受賞していなくとも、深い感動を与えてくれる映画に出会うと格別な喜びがある。また、観た映画には必ず簡単なレビューを書くことにしているが、それがリフレクション(内省)にも繋がり、1作品観ると知識の蓄積になっているのではないかと勝手に錯覚している。

 この本が、黒澤、小津、溝口監督作品の独創性を紹介しているため、一気に週末に観たい映画が増えてしまい、お気に入りが満杯になってしまった。上映スケジュールに関係なく、過去の作品、いろいろな国の作品を観ることができることは、今の時代だからこそ可能になったことだ。例えば、この本には紹介されていないが、イラン映画を観ると、彼らの文化的な深さとレベルを実感として感じることができ、日々のメディアで語られるイメージとは違う本質を垣間見ることができる。そうなるとペルシアの文化に興味持つようになり、12イマーム派の歴史や、形式ではない内面の真理(ハキーカ)を重視するシーア派のアリ―からの歴史や、イスラム神秘主義から階層化された現在の政治体制を学んだり、それをキリスト教を前提とした欧米と比較したり、順序を重要視する中国と比較したりすると教養は深まりさらに広がることになる。つまり、映画だけで完結するのではなく、そこからの自発的な学びがないと映画は教養につながらないのだが、その点は本書では触れられていない。

 また、イギリス映画雑誌が10年に1度ランキングする「史上最も偉大な映画」の2012年のランキングの第一位が、小津安二郎の「東京物語」だということも参考になった。というのも、小津安二郎がテーマとした家族というものは、世界のどの民族でも共感できる対象となることを立証しているからだ。システム工学が定式化している「人間=A+BX」で考えると、「A」はもって生まれた本来のもの、「BX」は生まれた後に習得したもの(宗教など)で、小津安二郎の映画は「A」を描いたものだ。したがって、民族に関係なく共感を呼ぶことになる。ブーバーで言えば「地下水脈」、マルクス・ガブリエルの言う「普遍的なヒューマニズム」と意味は同じで、普遍的な「A」を描くと世界的に評価されることがあるということだ。その意味で、私の問題意識を裏付けてくれるエビデンスをひとつ得ることができたことに感謝したい。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。