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『現人神の創作者たち』戦犯は誰だ(日本の歴史)

 山本七平氏の力作『昭和天皇の研究』を読み、その論理展開に感嘆した。太平洋戦争への展開には現人神の存在がある。昭和天皇の人間宣言まで現人神だった天皇は、いつ誰によりどうやって現人神となったのか、それをまとめたのがこの本になる。

 戦国時代、それぞれが対等な戦いが行われた。明智光秀が叛逆としたのはキリシタン宣教師で、群雄割拠には強弱はあっても基本的に対等だ。勝ち抜き勝負で天下をとればそれでよい。天皇と戦う必要はない。天皇家はその時代から権力レースの蚊帳の外だった。出番があるとすれば、勝者への花束贈呈役だ。最終勝者は徳川家で、彼らは「秩序の思想」が必要になった。そして中国から借りたのが朱子学の正統論である。まず、天皇の正統性が強調され、その天皇から将軍に宣下されたのがゆえに徳川家は統治権を行使できる。

 では、天皇はなぜ正統性をもつのか。林羅山は、天皇は呉の泰伯の子孫で、中国から下ってきたがゆえに日本人を支配する正統性がでるという「天皇=中国人論」とした。その後に「明」が滅びて「清」となった。清は満州に建国され漢民族を支配した韃靼の国のため、中国を「華」、日本を「夷」と上下に位置づけた「天皇=中国人論」が崩れてしまった。次に「日本こそ中国論」が出てきた。山鹿素行のように中国と書いて日本を表す人も出てきた。次に「あるべき天皇論」を「中国型皇帝理想像」として歴史的に立証するため、過去の歴史を再構成することに。例えば、水戸の『大日本史』、頼山陽の『日本外史』がそれにあたる。この歴史観は徳川後も生き続け、中国が周辺国から貢がせる中華圏を構築したように、日本がそれを果たす思想になる。つまり、八紘一宇や大東亜共栄圏につながることになってしまう。

 結果、「歴史を再構成すること」と「あるべき天皇像」から尊皇思想(君主を尊崇する思想)が萌芽し、そこから現人神の原像が生まれたとしている。原典からの引用が多く、全体像を把握しにくいため、この段階の論理展開が明快ではない。山本七平さんなので、キリスト教の三位一体論との比較があってもよいとも思ったが、キリスト教の神の概念と現人神の神の概念は違いすぎるからだろうか、その視点は盛り込まれていない。しかし、「あとがき」には、三代目キリスト教徒として、戦前・戦中と、もの心がついて以来、内心においても、また外面的にも、常に「現人神」を意識し、これと対決せざるを得なかった、とある。ルーツが明確なユダヤ・キリスト教的発想からすると、必然的な自然な思考として、現人神の創作者を「戦犯」だと探索することになるのだろう。

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