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『内之浦宇宙空間観測所と知覧』(旅をする

 2012年3月9日から11日まで鹿児島の内之浦宇宙空間観測所と知覧を訪れた。2月に『遥かなる帰還 はやぶさ』という映画を観て、忘れようとしていた昔のことを思い出したからだ。
 学生時代にそういう学部があった訳でなく、システム工学の研究会に参加していた。ひとつの専門を追及するのでなく、いろいろな学部を串刺しにして新しいことを行うシステム工学が自分に合っていると思ったからだ。

 その後26歳のとき、ある偶然から日本版システム工学を研究する組織工学研究会に参加することになった。研究会の主催者は糸川英夫さんで、システム工学の真髄を学び取ろうと、私は10年ほど自発的に名古屋と東京(後半)で研究会の事務のお手伝いをしていた。 
 
 私はここ10年間(2000年代)ほど外資系の日本法人の仕事に携わっており、これらの仕事では日本版システム工学の必要もなく、忘れてしまおうと思っていたのですが、「はやぶさ」が帰還してしまい、さらに映画化されてしまったものですから、「無を有」にしたところからどう繋がっているかが気になり、ついつい観てしまった。

 おかげで昔話をいくつか思い出した。
 糸川さんは1912年生まれなので、生きていたら今年(2012年)で100歳。「何としても100まで生きる」と言っていたが、86歳(1999年没)で亡くなられた。遺言で遺骨は海にまかれたはずなので、鹿児島に、特に知覧に行きたくなり、ついでに内之浦宇宙空間観測所に立ち寄った。

 上の写真は先に訪れた内之浦宇宙空間観測所の「衛星(ほし)が丘展望台」からロケット発射場のミューセンター台地(左端)と山を削って出来たパラボラアンテナ(右端)で、霧の中に霞んで見えるのが、コントロールセンター(中央)だ。   

 コントロールセンターは映画でも室内の映像などあるが、外観もどこかの工事現場のバラック小屋だ(笑)

 「はやぶさ」が打ち上げられた固体燃料ロケットの全貌だが、ここからも山のてっぺんを切って乗せたパラボラアンテナが見える。広大な平地にあるケネディー宇宙センターと比較すると、ここは山の中に作られた狭い発射場だ。

 内之浦宇宙空間観測所の正面玄関を出ると「宇宙科学資料センター」があり、その歴史が刻まれている。最後の出口の前に飾られている写真の左右には「色あせた折り鶴」がある。拡大すると「内之浦婦人会」からと...

 ロケットの打ち上げは大きな音がするので、漁業権はもちろんのこと、農家の牛やら鶏にも影響があり、地元の反対などあるのが普通だ。ここが糸川さんらしいというか、地元も応援するプロジェクトだった訳だ。これを見れただけでも、立ち寄った甲斐があった。

 フェリーで指宿に移動し、知覧に向かった。武家屋敷に立ち寄り、知覧の特攻平和祈念館に行ったが、外庭に「隼」が展示されていた。

 糸川さんは翼の設計者で、本人が設計思想などを『私と戦闘機「隼」』で語っている。旋回性能を高めるためのファウラー式フラップの一種「蝶型フラップ」は、蝶の羽根は4枚で左右はバラバラでも、上下は繋がって動くようになっており、そこからのヒントで蝶型フラップを設計したそうだ。

 また、知覧からの特攻は「俺は、君のためにこそ死ににいく」で映画化されているが、特攻平和記念館に、海の藻屑と消えた10代後半から20代と同年代の若者の見学者がたくさんいたのには驚いた。

 糸川さんは敗戦間際まで「人を乗せないミサイル」の試作などを行っていたようだが、「はやぶさ」は長い長い物語だ。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。