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『大川周明の大アジア主義』 インド哲学を学んだ大川は、惨めな植民地インドを見て「アジア人のアジア」を着想(世界の歴史)

 東京裁判で東条英機の禿頭を後ろから叩いた映像で有名な大川周明は、民間人の唯一のA級戦犯で、大東亜戦争のイデオローグである。主張した「大アジア主義」は大東亜共栄圏となり軍部の戦略になった訳だが、それを表した本は「復興亜細亜の諸問題」「復興亜細亜建設者」の2冊。いずれも大正時代に発売されたもの。

 これらの本に取り上げられている地域は「チベット、タイ、インド、アフガニスタン、イラン、中央アジア、トルコ、エジプト、アルジェリア、インドネシア、サウジアラビア、イラク」に及ぶ。特にアフガニスタンとイラクの地政学的な重要性が強調されているという。大川周明は山形県出身の学者だが、同郷の3才年下に陸軍作戦本部の石原莞爾と交情が深く、大川周明の「大アジア主義」は軍部の戦略となった。

 この本ではいくつかの発見があった。

 近所(茗荷谷)の拓殖大学は、台湾総督や陸軍大臣だった桂太郎が「台湾協会学校」として創業されたもので、拓大OB人材が、大川周明の大川塾(シンクタンクである東亜経済調査局付属研究所)を支えた。またイスラム哲学者の井筒俊彦は、買い占められたアラビア語の本を大川塾の図書館で読み明かしていた。

 前述の大川周明の大アジア主義には、中国が一切取り上げられておらず、大川塾にも中国語教育はない。どうやら大川周明は、何度も上海に行き、日中戦争を終わらせようとしていたようだ。
 大川周明は東京裁判で精神病ということで不起訴になったが、主治医が医師としての守秘義務をあえて破り、大川は「梅毒性進行麻痺症」という精神病でマラリア発熱療法によって完治したとのこと。つまり、仮病ではなかった訳だ。

 著者の関岡英之さんによると、東大で宗教学を学び、インド哲学を図書館で独学した大川周明は、深遠な哲学を生んだ理想郷として憧れていたインドが、いまや惨めな植民地として、イギリス人による苛烈な抑圧と人種差別の蹂躙されている現実を知り、「アジア人のアジア」を復興することが「大アジア主義」に結びついたと主張している。

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