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糸川英夫の一日一発想カレンダー


5月7日 同じ過ち

日本は八百万の神という古くは多民族国家だった。大和朝廷のころから異質の文化をもつ民族を排除、もしくは強制的に同化させ統一国家の単一民族となった。このやり方は最近まで遺伝的に残り、朝鮮や台湾などの文化を強制的に消しゴムで消すという植民地政策に使われた。#糸川英夫

5月6日 プロとアマ

私はチェロを楽しみにしているが、楽器をやる人は2つのタイプがある。一つは、自分のうまく弾ける曲ばかり好んで演奏するタイプ。もう一つは、難しい箇所に会うとその小節だけを懸命に練習するタイプ。間違えた箇所を消しゴムで消さず真剣に反省するのがプロだ。#糸川英夫

5月5日 人生のノート

人生というノートに消しゴムは使えるか。私は使えないと思う。使えたとして、使った人間を私は信用しない。そのままバツをつけておく人を信用する。つまり、自分のマイナス点に目をつぶらないことが成功の秘訣である。#糸川英夫

5月4日 消しゴム

小学生の子どもに算数を教えたことがある。子どもたちはある問題を間違えたとき、それを消しゴムできれいに消してしまう。「間違えたら消さずに大きなバツをつけておくと同じ間違いをしなくなるよ。消しゴムなんか捨ててしまった方がいい」#糸川英夫

5月3日 上司

高校3年生のお嬢さんから大学に行こうかどうか迷っていると相談を受け、大学なんてくだらないからやめなさいとアドバイスした。私の紹介で就職した会社で5月病に。上司にとりあなたは未来のライバル、能力を発揮したければ会社に教えてやると考え、独創するしかない。#糸川英夫

5月2日 画期的な方法

人工衛星はロケット先端を楕円軌道にカーブさせ軌道に乗せる。他国はICBMの誘導制御方式を採用したが、日本はニュートン力学を使った。これはイギリスの宇宙航空学会でも拍手で評価された。日本では、風のまにまに上がったと揶揄された。なぜか同邦人の評価は低い。#糸川英夫

5月1日 耳を傾ける

小学生の頃「液体は磁石にならないないか」という質問を先生から無視され理科の時間が嫌いになった。サイエンスとはある人のとんでもない発想を「それは面白い」と、他人が関心を示すことからはじまる。それゆえに、イノベーションには出会いが大切な要素の一つになる。#糸川英夫

【April】

4月30日 液体

子供の頃、鉄ではなく液体で磁石はできないかとガラス管に酢や塩水などいろいろ入れて電流を流してみたが磁石にならない。社会人になってもその疑問が離れなかった。MITを見学したとき、なんと液体の磁石が実現していたのだ。それが現在の液晶のもとになった。#糸川英夫

4月29日 なぜ?

物心ついたとき磁石に熱中した。引っつくものとそうでないものがある。何が違うのか。次に自分で磁石を作ろうと鍛冶屋に相談すると軟鉄でないとダメだという。そのとき電流に交流と直流があることを知った。「なぜ」「どうして」からいろいろなことを知っていった。#糸川英夫

4月28日 開拓

カッパロケットを輸入したある国の官吏から「これで人工衛星を打ち上げれないか」と質問があった。アメリカは直径1mのロケットで人工衛星を打ち上げた。あらゆる組み合わせを設計し、性能計算した結果、アメリカより小さいラムダ4Sで人工衛星が上がったのだ。#糸川英夫

4月27日 ヒットの秘密

缶詰容器の中から小さなスプーンのようなすくい棒ですくう方式だった味の素に、現在の形のアイデアを出した社員は、「誰だくだらない案を出すやつはと怒られると思った」という。まわりから笑われそうな発想こそ、独創的なアイデアにつながる。なぜなら、前例がないからだ。#糸川英夫

4月26日 トップ

新人のピアティゴルスキーがはじめてステージに上がったとき、客席真ん前にチェロの巨匠カザルスがいた。あがってしまいしどろもどろの演奏になったが、ガザルスは大拍手を送った。後年拍手の真相を聞くと、長年私が求めていた音を見事に弾いたあなたは私の先生だ、と。#糸川英夫

4月25日 特オチ恐怖症

日本のメディアにおいて、他社が一斉に扱っている大きなニュースを自社だけが報道できずにいる状態を特オチという。かつての中産階級意識では”人並み”から外れることを怖がる。日本人には特オチ恐怖症が蔓延している。#糸川英夫

4月24日 企業

企業もまた、既成の思考や枠にとらわれていては独創性を発揮できない。ゼネラル・ダイナミックス社はジェット機、ミサイル、アポロの小型エンジン、その後、海洋開発で潜水艇と、技術的困難な方向に挑戦している。アポロ計画の方が2000mの海底で作業するよりはるかに易しい。#糸川英夫

4月23日 安定

私は10年ごとに職業を変えてきた。その一番の理由は安定に馴れるのが怖いからだ。一つの仕事を10年もしていれば、地位も収入も安定し、驕りも出や気の緩みも出てくる。それを避けるため、ジャンルの異なる仕事に挑戦することで独創力は高まる。#糸川英夫

4月22日 専門家

アポロ計画の頃は科学技術者の評価が高かった。ところがアポロ計画が終わると、科学技術者が過剰になり、ヒューストンでは理学博士や工学博士がガソリンスタンドやタクシーの運転手になっていた。専門を決めすぎるのは考えものだ。#糸川英夫

4月21日 専門

人から何か頼まれたとき「その専門でないので」と言わないようにしている。専門とは頼まれた仕事からスタートするものだからだ。だから、これまでの専門にこだわらずあっさり転業する。何か頼まれたら、その専門家になるくらい根気よく勉強しマスターすることが必要だ。#糸川英夫

4月20日 根気

森敦さんは学校をやめると奈良で遊び。光学会社に入ったがこれもやめて遊ぶ。ダム会社にいた後も遊ぶ。異なる分野を10年かけて根気よく学習しマスターした。実は転身を繰り返す人は根気がある。逆に一つの仕事をやっている人は根気がなく、流されているだけだ。#糸川英夫

4月19日 一つのこと

作家の森敦さんの人生の秘密に触れた。柔道の先輩から「どんな技でもいいから人に負けないものを一つマスターしろ」と言われた。そこで毎日跳腰だけ練習し、2年後にその先輩を投げた。ここで重要なのは、2年間続けられる根気と学習力、そして良き先輩との出会いだ。#糸川英夫

4月18日 開発型人間

作家の森敦さんは文学的才能はもちろん、数学を英語で書いた教科書で勉強し同時にマスターした。エンジニアとしては光学会社で新型レンズを設計し技師長に。次の電源開発会社では一番難しい用地買収をこなした。漢籍も仏教哲学にも通じた開発型人間だ。#糸川英夫

4月17日 平気

尊敬する友人の森敦さんは第一高校に現役合格した。学生たちは昼間は何もしないふりをし、夜になると勉強をする。それに呆れさっさと一高を中退した。当時私は東京高校に通っていたが、なんとなくズルズル在学し卒業した。彼は路線を外れることに平気なのだ。#糸川英夫

4月16日 異端

新しいことは本流ではない。最初から本流なものなどない。本流でないからこそ、独創的なのだ。異端になることを恐れてはいては、新しいものはなにも生み出せない。#糸川英夫

4月15日 コンプレックス

誰でもコンプレックスをもっている。しかし、そこからスタートした方が結果的に大きく伸びる。なんとかそれを克服したいと思い、必死に努力するからだ。逆境が新しいアイデアを生む。何事も器用にソツなくこなす人は重宝がられるが、それだけで終わる。#糸川英夫

4月14日 必要

自分がどんな仕事に適しているのか、どんな才能があるかわからない、という質問をよく受ける。しかし、「自分ができること」からスタートするという安易な方法をとらず、世の中が必要としている仕事ができるように、自分の能力を開発していく方法の方が成功率が高い。#糸川英夫

4月13日 記憶の天才

中学の同級生が6ヶ月で三省堂の英語の辞書を全部覚えるという離れ技をやった。私はこの記憶の天才がうらやましく親をうらんだ。しかし、その後彼が何をやっているかすらわからない。才能とは世の中が必要としているかどうかが重要で、必要に応じて作り上げるものだ。#糸川英夫

4月12日 エネルギー源

地球の水分は蒸発し雲となり雨となり地上に戻るため可逆的。一方化石燃料はエントロピーの法則で発散する不可逆的。石油はいずれなくなる。短絡的に考え廃棄物処理技術のない原子力をわざわざ使わなくとも、永久に減らないエネルギー源として太陽、風、水、地熱がある。#糸川英夫

4月11日 WHY文化

WHY文化は人類の生存に関わる原理・原則に立つこと。言い換えれば普遍的な哲学をもつことにほかならない。文明の基盤には世界観すなわち哲学があった。「なぜ?」を問うこと、あるいは火花を散らすWHY文化のぶつかり合いの中から科学が生まれたのである。#糸川英夫

4月10日 HOW文化

日本が得意とするHOW文化を消す必要はない。今後も伸ばしていくべきだ。ただ、WHY発想には決定的に弱いことは肝に命じておくべきだ。そして、少しづつWHY文化を根づかせるべきだろう。いずれHOW文化はWHY文化の前で、のたうちまわるときがやってくる。#糸川英夫

4月9日 WHYの原則

日本は石に文字を刻む文化はない。日本民族の記録はせいぜい千数百年がいいところだ。文明の発祥地である中東では自然条件もあって歴史を1万年単位で考える。こうした世界ではHOWの発想でなくWHYの大原則を立てる。欧米の強みはそこにある。#糸川英夫

4月8日 コンピュータ

コンピュータの記録媒体はどんどん変わる。数百年後、数千年後の人々がどこかでいまの時代のメモリーを拾ってもその使い方がわからなければ言語化できないから民族の記憶は消えていく。HOWの発想にとらわれ、なぜ記録するかというWHYの発想がないとこうなる。#糸川英夫

4月7日 アラビア語

アラビア語とヘブライ語は横書きで文字を右から左に書くのはなぜか。自分の考えたことを記録に残す必要があるからだ。記録は1万年くらいもたないとダメだ。左手にノミで右手にハンマーをもち石に刻むと文字は右から左になる。#糸川英夫

4月6日 少数

日本人全員が独創的である必要はない。独創力を発揮できる人はそれほど多くなくてもいい。ただ、そうした日本の中の少数の独創性を正しく評価できる能力を、われわれは身につけるべきだろう。#糸川英夫

4月5日 愚劣さ

バイオテクノロジーのシンポジウムで長野県知事とテレビ対談の要請があったが、私は難色を示した。場所が「スイス村」だったからだ。外国からきた人が「東洋のスイス」というならまだしも、これではイミテーターを自認するようなものだ。#糸川英夫

4月4日 真似

ピアニストの中村紘子さんが上海交響楽団のリハーサルに立ち会ったとき、弦楽器は中国の胡弓がオリジナルで、ベートヴェンでもブラームスでも思ったとおりに弾くという。日本では西洋人の演奏スタイルでないと拍手がもらえない。オリジナリティは受け入れられないのだ。#糸川英夫4月3日

4月3日 西洋コンプレックス

日本でノーベル賞などとるもんじゃない、と湯川秀樹氏も同じことを言っている。江崎玲於奈氏も米国に渡り朝永振一郎氏は海外で認められてノーベル賞を受賞した。西洋人がやれば科学的で日本人がやると非科学的だという。いまだに西洋コンプレックスそのものだ。#糸川英夫

4月2日 オリジナリティ

福井謙一氏がノーベル賞を受賞したが、日本でノーベル賞などとるもんじゃない、と言う。理論を日本化学学会の雑誌で発表したがまるで反響がない。自信をなくし、もう化学をやめようと思ったという。日本人はオリジナリティがないのではない。正当に評価されないだけだ。#糸川英夫4月1日 日本

4月1日 日本

ドラッカーは言う。日本はイノベーターであることなしに、他人の後追いだけで経済大国になった唯一の国だ。日本は今後その矛盾に苦しむだろう、と。私はそう思わない。日本人が日本という国土の中にいると独創性が発揮しにくい、というのが現実だろう。#糸川英夫

【March】

3月31日 チームつくり

DNAの2重構造を発見したのはワトソンとクリックというまったく性格の異なる二人の科学者だ。第1号コンピュータENIACをつくったのもモークリー博士とエッカート大学院生の世代の異なった2人。2人のペアがうまくいくと次は4人、8人に発展できる。#糸川英夫

3月30日 中断

2人でペアを組むと仕事を中断することなく連続的に行えるという利点がある。一緒に仕事をしていると相手の専門分野のことがかなりわかってくる。海外出張のときでも相手がカバーしてくれるから研究を中断せずにすむ。#糸川英夫

3月29日 不足分

流体力学専門のS教授とペアを組んでいた電気工学専門のP教授が新しい増幅器を思いついた。実現不可能という意見が大半。S教授は金集めに専念し試作に成功。この技術はアメリカへの技術輸出第1号に。ソニーやホンダも発明と営業がペアで会社成長の基礎固めができた。#糸川英夫

3月28日 共同戦線

内之浦がロケット射場の候補になったとき、多くの研究員が反対した。山だらけで道路もないし平地がないからだ。山を削ってその土で道路を作ればいいと発言したら、しらけてしまったが、山の上ならアンテナの高さが節約できるというパートナーの発言で糸川案が通った。#糸川英夫

3月27日 安全弁

2人で考えると一方が間違った仮説を立てた場合、相手が論破することで無数の落とし穴からまぬがれることができる。つまり、一方が他方の安全弁としての役割を果たす。一人で考えるより、相手がいた方がアイデアの流れがよくなる。#糸川英夫

3月26日 10✕10

ペア同士の交流がうまくいくと、ペア以外の人と議論するとき、私が言ったことをペアの相手が口にするようになる。私は私で相手の専門を主張している。このようにお互いの能力を乗積化しあうのがペア・システムの基本原則だ。ペアの能力が10✕10=100になる。#糸川英夫

3月25日 ペア・システム

ロケット開発がうまく進まなかったので、いったんチームを解散し、二人一組からやりなおすことにした。ペアの相手は年代も性格もできるだけ異なる人と組むべきだ。お互いの専門の間に共通部分ができコミュニケーションが可能になる。#糸川英夫

3月24日 ワン・ペア

組織の最小単位は2人。これはCreative Organized Technologyの原則。日常の対話においても一人が話すとき一人が聞くという関係だ。まず2人からスタートすることが原則である。#糸川英夫

3月23日 二人三脚

ロケット研究は専門家として優秀な人が集まったのにさっぱりいいロケットができなかった。ムカデ競争と同じで、一人でもせっかちな人やのんびり屋がいると全体のリズムが狂いひっくり返ってしまう。つまり、基本の二人三脚をマスターしなければうまくいかないのである。#糸川英夫

3月22日 日本独自

ヨーロッパが2000年かけて築き上げアメリカが200年かけた科学技術を、日本は20年でやらなければ追いつかない。そこで天才を待つヨーロッパ方式、システムのアメリカ方式でもない日本独自の発想法を考えなければならない。#糸川英夫

3月21日 システムの発想

天才の脳の中には知識がぎっしり詰まっている。凡人にはポツンポツンと1/10しか情報が入っていないとすると、異質な凡人が11人集まれば天才を上まわることになる。コンピュータ、アポロ計画には天才の名が冠していない。これがアメリカのシステム発想の成果だ。#糸川英夫

3月20日 凡人の集団

ピタゴラスの定理、アルキメデスの定理、ファラデーの法則、ニュートンの法則とヨーロッパの科学の成果は、100年ごとに出現した天才の名前を冠する。後発のアメリカは100年ごとの天才を待てず、凡人の集団で追いつこうとした。これがシステムの起こりだ。#糸川英夫

3月19日 コンバーティブル

経験とかキャリアよりトレーニングとかプロジェクトで人間はなんでもできる。組織をうまく組んでおいてエレメントとしての人間をそこにはめておけば、その人間は動くことができる。人間というのは結構コンバーティブル(変換できる)な動物だ。#糸川英夫

3月18日 管理職

よい管理職は部下一人ひとりの個性を活かすことを考える。逆に悪い管理職は一人ひとりの個性を圧殺してしまう。そして、管理職が悪いのはトップの社長が悪いからであり、トップがダメな会社はいずれダメになる。早いところ、他の会社にかわった方がいい。#糸川英夫

3月17日 社名

これから会社をつくる場合、社名に〇〇自動車、☓☓飛行機という特定の製品名をつけない方がいい。社名で分野を限定してしまうと社員の方も固定観念にはまりやすい。たとえば糸川工業というように、フレキシビリティをもった社名とイメージをもつ必要がある。#糸川英夫

3月16日 分野

私は航空機、医学、ロケット、創造性組織工学など、ほぼ10年ごとに分野を変えてきた。変えてきたから新しい技術や発想が湧いてくるのだ。ずっと飛行機の設計をやっていたら、ろくでもない設計しかできなかっただろう。設計能力などはピークを過ぎるとあとは惰性だ。#糸川英夫

3月15日 横への移動

当時東大教授の退職金は1000万円程度。それでアパートを買って家賃で余生を安泰に暮らせる仕掛けだ。私は定年より4年前に辞めたので1/4に減ったが、これは途中退職に対するペナルティだ。人材の横の移動は新技術の発生に不可欠にも関わらず、だ。#糸川英夫

3月14日 栄養

新しい技術はAさんが何かを考えて話すことからはじまる。Bさんが聞いたケシ粒のようなアイデアをCさんに伝えるときBさんの脳みそを通過する。そしてCさんの脳みその栄養分を吸収し、次の人に伝わる。このようにして、一つの技術が生まれるのである。#糸川英夫

3月13日 パーティ

戦後アメリカからパーティというものが入ってきた。そこで偶然会った人が僕は法律家だと自己紹介し、なにか法律問題で困ったら相談するよと友人ができる。日本のパーティは、知った人がいないと絶望的な孤独感になる。パーティは本来、未知の人との出会いの場だ。#糸川英夫

3月12日 創造的組織

創造性組織工学とは、組織を設計対象とするテクノロジーだ。保存型組織は宗教組織のようなピラミッド型で教義を維持する保存が目的になる。そういう組織で新しいものができるわけがない。一方、創造型組織はエンパシー、フレキシビリティの2つの要素が必要になる。#糸川英夫

3月11日 脳診断技術

10年間飛行機一筋で終戦。航空機産業がすべて禁止となり、生き方を転換せざるを得なかった。「将来の医学の最大の問題は脳の診断技術だ」という清水助教授の予測に次の10年をかけ、国産第1号の脳波測定器を作った。この技術は今でも日本は世界トップクラスだ。#糸川英夫

3月10日 ユーザーの声

私が設計した飛行機「隼」は街のプラモデル屋で模型が売っているが、自分で最高傑作だと思っているのは「鍾馗」だ。設計が終わったとき、死んでもいいと思ったほどだ。戦後アメリカも最高点をつけた。しかし、プラモデル屋に鍾馗はない。着陸速度が速すぎたからだ。#糸川英夫

3月9日 共有点

独創者とはまったく別の現実と思われている2つの事象の間に共通点を見出すことができる人である。ニュートンはリンゴの実は落ちるのに、同じ丸い物体である月はなぜと球上に落ちないのだろうかと考えた。そして、両者を支配する共通の法則、万有引力の法則を発見した。#糸川英夫

3月8日 ひらめき

裾の広がったスカートのような代々木競技場を設計した丹下健三さんは、最初に数学で計算したのではなく、閃きが先にあったのだろう。飛行機の設計で行き詰まると絵ばかりを見て過ごした。すると最初にスッと線が出てくるのでそれを手がかりにした。 #糸川英夫

3月7日 握手

人と話をすることも大切だが、握手をすることも大切だ。目と耳による情報伝達だけではなく、皮膚を通じた情報は、母親のもつ情緒や思想が皮膚を通じて子供に伝わることと同じだ。このことは大脳生理学的にも立証されている。#糸川英夫

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。