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『知の編集工学』創造は編集の一部である(現状分析)

 映画監督の黒澤明は「映画の本質は編集である」と語り、国立民族博物館の梅棹忠夫館長は「編集という行為は現代の情報産業社会の夜明けを象徴する」と主張し、神戸製鋼のラグビーを七連勝に導いた平井誠二は「ラグビーは編集だ」と表明したという。これらの編集という言葉に含まれる意味は、深い意味が含まれていると思われるが、通常、我々が編集という言葉からイメージするのは、メディアにより情報が編集されるイメージになる。これらの編集には以下の構造がある。

1)ヘッドライン(本で言えば、タイトル):ヘッドラインは内容そのものではない。しかるべき内容の特徴を引き出すフラグ。そのフラグの下に「かくかくという情報が集まっていますよ」という目印で、ユーザーをめぼしい「情報の箱」に近づけるアトラクティブフラグ。
2)サブタイトル:内容をイメージさせる
3)腹巻:中身の検討がつくようにする

 このようなことは、メディアだけでなく、企画書や営業報告書、イベントや都市計画や政策にも編集の技法は生かされる。誰も見向きもしないような報告書や提案書に欠けているのは、<編集力>だ、と。

 筆者が経営する編集工学研究所では、11の「編集の背景に関する情報」で分類される。そして、編集プロセスを以下の8段階に分類している。

1)区別する(情報単位の発生)
2)相互に指し示す(情報の比較検討)
3)方向をおこす(情報的自他の系列化)
4)構えをとる(解釈過程の呼び出し)
5)検討をつける(意味単位のネットワーク化)
6)適当と妥当(編集的対称性の発見)
7)合意を導入する(対称性の同様と新しい文脈の獲得)
8)語り手を突出させる(自己編集性の発動へ)

 ユニークなのは、筆者が「創造」とか「クリエイティビティ」という言葉を信用しておらず、「創造」は編集的な成果と考えている点だ。ポアンカレが言うように、異なる情報の組み合わせで生まれるため、「創造」を編集の一部とすることは納得できる。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。