10.15みちのくプロレス矢巾大会フジタ"Jr"ハヤトvs髙橋ヒロム戦雑感
フジタjrハヤトと髙橋ヒロムのシングルマッチが組まれて、会場がみちのくプロレスの聖地・岩手県の矢巾町民総合体育館と発表された時「これは何をおいても行くしかないな」と思い、日帰りで行ってきました。
東京から盛岡まで新幹線で約2時間半、そこから在来線の東北本線で15分ほど乗ると矢幅駅。
徒歩で20分ほど歩いたところにみちのくプロレスの聖地はあった。
なぜ矢巾がみちのくプロレスの聖地かというと1993年の旗揚げ大会をここで開催したから。
以降、節目節目で大会をやってきてるからだけれど、行ってみれば盛岡市近郊の土地が余ってる感じの地方町で、たぶんこんなことでもなければ一生来ることなかった気がする。
あらためて、みちのくプロレスって東北のこういう町とか村でやってきたんだよな…と実感した。
行ってみれば聖地といっても別に体育館前に創設者のサスケの銅像があるとかでもなんでもなく、むしろバスケットボールB2リーグの岩手ビッグブルズの方が根付いてて(練習用アリーナが矢巾町にある)、あとは地元のバトミントン大会の告知とかがある、普通の町民体育館だった。
かつてみちのくプロレスがビッグマッチに使っていた岩手県営体育館はスタンド席もある大きな会場だったが矢巾は2階席もあるもののそれよりは小さく、今日は超満員札止めで1250人とのことだった。
この会場が2階席まで札止めになるのは旗揚げ2年目に開催したユニバ同窓会大会以来とのこと。
それ覚えてる。
セミファイナルが邪道vsTAKAみちのくで、メインイベントがサスケ&ウルティモドラゴンvs人生&外道とかだったよね。
行きたかったんだよな。当時大学一年生の夏で、まだ1人でフラッと東北に見に来るのに躊躇してました。
会場は土足厳禁で、みな入り口で持ってきたスリッパに履き替える。
かつてはブルーシートを敷いて、全席自由席でおのおの好きなところに床座りする牧歌的な観戦スタイルだったが、何年か前からパイプ椅子を並べて座る、普通の観戦スタイルになったらしい。
前座からいつものみちのくプロレスの試合が始まる。
野次がなく、拍手が多い。
「温かい」という感じがする。
新日本プロレスのYOHがサプライズで来て、きたるジュニアタッグリーグのパートナーとしてMUSASHIにタッグ結成を打診しに来たり(MUSASHIは快諾)、セミファイナルで東北タッグ王座を防衛した景虎と義経が次のチャレンジャーにサスケと人生を指名したり、盛り上がりつつメインイベントに。
先に髙橋ヒロムの入場曲が流れると会場がワッと沸く。
盛岡駅ですでにロスインゴやヒロムのシャツやグッズを身に付けたファンを見かけていて、矢幅駅から会場まで歩く人の中にも黒字に赤のトートバッグやジャンパーを着ている人が何人もいた。
東京を始め遠方からこの試合を見に来たファンも少なくなかっただろうし、みちのくだけなら行かないけどヒロムが出るなら…と見に来た地元のファンもいたんだろう。
照明演出も何もない、体育館の電灯の中に出てきてもやっぱりヒロムには華があった。
対するハヤトは時間をかけ、祈りをこめて入場。
試合はスタンディングの打撃で組み立てられる、バチバチしたスタイルになった。
ハヤトの試合だ。
ヒロムがこういう試合をするのは珍しい。
ハヤトのスタイルに合わせてくれたのだろう。
最初にハヤトが左足でミドルキックを出すと思ったより効いたのか、ヒロムはニヤッと笑った。
試合の序盤で、ハヤトは着ていたTシャツを脱いだ。
復帰後、上半身裸になるのは初めてだ。
ハヤトの腰にはものものしいテーピングが貼られていた。
治療の跡を隠すためもあるのかもしれない。
「腰の具合がよくない」とコメントしていたのを思い出した。
観客は一気に現実に引き戻された感じがしたが、ヒロムに特に変化はない。
序盤から中盤にかけてはハヤトの試合だった。
打撃の打ち合いを始めると互角でも、劣勢であっても、ハヤトに声援が集中する。
自分の肉体と精神を奮い立たせ、観客を鼓舞し、その観客がハヤトを後押しする。
リズムをつかんだハヤトが攻め立てていく。
しかし、徐々にヒロムが挽回してくる。
KIDを返したヒロムがハヤトを担ぎ上げるとハヤトが力が入らないのかズルッと変な滑り方をして落ちた場面があった。
腰を打ったのか、ハヤトが顔をしかめていた。
ヒロムはごく自然にそのあとの動きをつなげていって、それ以上にはならなかったが見ていて少しドキッとした。
この日のヒロムはずっと打撃にこだわった。
エルボー、頭突き、そしてラリアット。
シンプルに痛みを与える技だけをぶつけていく。
ヒロムのラリアットでハヤトが倒れる。
ハヤトは立ち上がり、向かっていくがまたヒロムにラリアットで倒される。
そのたびに立ち上がる。
が、また倒される。
ダメージは相当あるだろうに、ハヤトは何度も立ち上がる。
すごい。
本当にすごい。
そう思いながら、ハヤトの身体が心配になる。
ハヤトはインタビューでこう語っている。
ハヤトの身体は、今どんな状態なのだろう。
見ているのにまったくわからない。
肉体は鍛え上げられているのに、その中で起きている痛みやダメージはこちらからはまるでわからない。
戦っている髙橋ヒロムもわからないだろうし、ハヤト本人もわからないのかもしれない。
ヒロムがTimebombを放つが、ハヤトがカウント2で返す。
ハヤトの身体はもう限界のように見える。
セコンドについていた若手の山谷林檎がタオルを投げようとエプロンまで上がった。
が、ハヤトは「止めるな」と指示を出す。
それでも山谷が逡巡していると、レフェリーが「ここは一回下がれ」というアクションをした。
この「運命の一戦」を止める役回りとして考えると、山谷は役不足である。
ゆえに、ここはすさまじいリアリティがあった。
つまり、身内ですらハヤトをどこまでやらせていいのか、わからないのだ。
この試合はどうすればいいのだろう。
これ以上の攻防を望んでいいのか、わからなくなる。
ハヤトもヒロムもプライドを保てたまま、無事にリングを降りてくれるにはどうしたらいいんだろう。
目の前にいるのに、その人のことがわからない。
ただただ、二人が満足する最後の形までもってほしいと願い続ける。
ラリアットを打ったあとに「立てオラ!」と言っていたヒロムの叫びが、途中から「立つな!」に変わった。
この人も見えない恐怖と戦っている。
それより前には「俺だって引くわけにいかねえんだよ!」と言っていた。
ヒロムもまた沸き上がってくる不安や恐れを必死に抑え込んでいるように見えた。
何度倒されもハヤトは立ち上がる。闘志が消えない。
私は、人生でここまで闘うことができてるだろうか。
「ここまでやったから、もういいだろう」とダウンしてしまうんではないだろうか。
起き上がったら、また受けないと試合が終わらないのだ。
それでもハヤトは起き上がる。
胸が痛む。
ヒロムは手を止めない。
再びハヤトを担ぎ上げ、強引に体勢を変えてTimebombⅡ。
レフェリーが3つカウントを叩く。
終わった。
ハヤトは勝てなかった。
試合後、マイクを持ったヒロムはハヤトに礼を述べ、いろんなところで試合してきたが今日の矢巾は最高の思い出になった、と伝えた。
ハヤトもヒロムに感謝の礼を述べ、「いつ引退してもいいと思ってリングに上がってるけど、こんなカッコいいやつに負けたまま終われない」と再戦を誓った。
二人は握手し、抱き合い、揃ってリングを降りた。
そのとき会場に流れたのはハヤトの曲ではなく、「みちのくプロレスのテーマ」だった。
この曲を聴くと1994年の秋に岩手県滝沢村で見た、サスケと大仁田厚の電流爆破戦を思い出す。
あの試合を見たことが、今の自分の人生につながっている。
自分はプロレスに励まされて生きてきた。
あれから約30年経った今も、私は闘いに命を削る人間の生き様を見ている。
生きないとな。
東京に帰って、明日から仕事しないとな─そう思って暗くなった片側一車線の県道を駅に向かって歩く。
一日雨模様で冷え込んだ秋の東北の気温に震えながら、今日見た試合のことはずっと忘れないんだろうと考える。
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