ファイナルカウントダウン、内竜也

昨年まで千葉ロッテに在籍し、今年現役を引退した内竜也の引退セレモニーが4月24日に行われていたことを今日知った。
4月24日は普通に仕事だし、感染予防対策で球場のチケット販売数が限られてることで土日の試合チケットはプレミア化している。事前に知ってても球場で見ることは難しかったろう。
それでもこのことを知ったときにまず思ったのは「球場で見たかったな」であり、今も変わらない。


内は奇跡、とまでは呼ばないにしても数奇なピッチャーだった。
そもそもまず一度野球をやめている。
小学生のときに野球をやっていた内は中学でバスケットボールをやっていて、その理由は「スポーツ刈りにするのが嫌だったから」と「『スラムダンク』が流行していたから」だった。
何もなければそのままバスケ部で卒業していくはずだった。
ところがに内と小学校時代に野球をやった経験を持つ野球部の同級生2人がずっと「野球をやらないか」と声をかけ続けていた。
「内なら野球をやった方がいい。小学校の時、いい球投げていたじゃないか」と。
彼らは内と同じチームではなく、何度か対戦した時のことを覚えていて「野球を続けるべきだ」と熱心に声をかけ続けていた。
しかし内は彼らの誘いを断り、ずっとバスケを続けていた。

中学二年の秋になり、体育祭で応援団をやっていた内のところに再び彼らがやってきた。
内は応援団として頭をスポーツ刈りにしていた。
それを見た彼らは「スポーツ刈りが嫌だったんじゃないの? だったら野球部入ろうよ。今からでも十分に間に合うよ」と声をかけた。
それまでずっと断り続けていた内もそのときは「確かにそうだな」と考え、これだけ誘ってくれてるのだから…とそこから野球部に転部した。
中学二年の秋になっての転部は人間関係の構築が難しい。
同級生や下級生は「この人はなんで今さら入ってきたのだろう」という目で見る。
そこを前述の友人2人はなんとか内が溶け込めるように同級生や後輩にいろんな配慮をしたという。
「僕の投手としての実績はここから始まったと言って過言ではありません」と内は語る。

中学野球を3年の半年しかしなかった内は名門校から推薦を受けることもなく、地元の川崎工業という公立高校に進んだ。
強豪校ではなかったため練習は比較的ゆるやかで、のびのびやっていたという。
甲子園に行くことはできなかったがスカウトには注目され、プロ野球千葉ロッテマリーンズにドラフト一位指名される。
1年目で先発デビュー。
順風満帆なプロ生活の始まりと思われた。

ところが結果が出ない。
1年目、先発4試合に投げて一度も勝てない。
2年目、一度も一軍に呼ばれなかった。
3年目、何試合か中継ぎで登板するも芳しい成績は残せない。
内はこの頃から利き腕である右腕に痛みを覚える。
顔も洗えない、コップも持てないという有様で右肩を手術した。
手術後はリハビリを経て徐々に痛みが減っていったが、どうやっても手術前のフォームには戻らなかったという。

そこから時間をかけて新しいフォームを作り出し、ようやく内はまた一軍で投げられるようになる。
2009年にはようやくプロ初セーブ。そして待望のプロ初勝利。
入団してから6年の月日が経っていた。
内は調子がよい時は150キロを超える豪速球と落差のあるスライダーを投げて誰も打てない。
そうかと思えばあるときから突然「どうしちゃったのだろう」というくらい打たれだし、二軍に落とされ、そのままずっと見なくなることもしばしばある不安定なピッチャーだった。

その原因は度重なるケガにあった。
2010年に右足首を手術
2011年に右ひじを手術。
2012年に右足を手術。
2013年に再度右足首を手術。
2014年に右ひじと右足首を手術。
同2014年は手術後の入院中に盲腸を患い、別の病院で手術。
内は引退する2020年までに9回の手術を経験している。
これはプロ野球選手としては異常な多さだ。
普通の選手は何度もケガをしていくと少しずつ戦力から外されていく。
球団からするとよほどの主力選手とかでない限り、何度もケガをする選手はコスパが悪い。

けれどロッテ球団は内を抱えた。
ロッテが最後に日本一になった2010年、内は後半戦しか出られていないが山場となったクライマックスシリーズ、日本シリーズで試合の後半の重要な場面を任され、素晴らしいボールで抑えていた。
「内がまた万全に投げられれば」という期待がずっとあったのかもしれない。内はそのあとも試合に出たり、出なかったりを繰り返した。

2017年、前年クローザーだった西野が先発に転向し、代わりを務めるはずだった益田が振るわず、クローザーになったのはそれまで安定して中継ぎをしていた内だった。
内はこの年、クローザーとして一年を通して活躍、プロ入り最高の成績を挙げる。
翌2018年も前半戦は安定した活躍でプロ入り初のオールスターにも選ばれるが、後半戦は打たれる場面が目立った。
シーズン後に右肘の痛みを訴えてまた手術、2019年以降はリハビリからの復活を目指したが今度は鼠径部痛症候群というサッカー選手がよくなるという股関節が痛むケガを負ったことでボールに力を入れられなくなり、ついに引退となった。

内がマウンドに上がるとき、マリンスタジアムではヨーロッパの「The Final Countdown」が流れた。
壮大なイントロに合わせてライトスタンドから送られてる「ウーチ!ウーチ!」の掛け声、ちょうど一番のサビのあたりでマウンドに達して始める投球練習、投げる前に右腕を一瞬まっすぐ上に上げる所作。すべてがカッコよかった。
最後にあれをもう一度見たかったな、と切に思う。


(エピソードは文春野球の記事と内のYoutubeチャンネルから引用しました)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?