2.21武藤敬司引退試合 東京ドーム大会雑感
「chocoZAP presents KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO―WRESTLING “LAST” LOVE~HOLD OUT~」
プロレスリングNOAH開催としては実に18年ぶりの東京ドーム大会となった武藤敬司引退大会。
平日火曜日開催、最初の「STARTING BATTLE」が始まるのは16時から、本戦にあたるPRIMARY STAGEが始まるのも17時から、と勤め人にはハードルの高い時間帯になりました。
これは中継都合なのか、撤収都合なのか。
なんにせよ試合やって、セレモニーやって、終わったら22時半とか23時…てのは何か都合よくなかったんでしょうね。
結果的にはセレモニー含めて大会が全部終わったのは21時前でした。
16時に間に合わせるため仕事を半休して向かったところ、15時過ぎの段階で水道橋駅前には私と同年代の「90年代の若者たち」な中年男性が大勢いました。
最近のプロレスは女性客が多かったので、この昔の競馬場やパチンコ屋みたいなくすんだ客層がなんか本当に90年代のドーム大会ぽかった。
ドーム、人でぎっしり。
これだけ人で埋まってたドームを見たのいつ以来だろう。
あとから発表になった観客数は30096人。
コロナ禍の東京ドーム大会で3万人を超えたのはこれが初だったそうです。
やっぱりそれは「武藤敬司」というブランド力もあるけど、この数か月間のサイバーエージェントグループの過去プロレスで類を見ないレベルの膨大なパブリシティもあっただろうし、何より「タイミングがよかった」があるように思います。
考えてみてほしい。
3年前の武藤敬司はどんな状態だったか。
2020年春、武藤は膝の人工関節の手術もあって出場試合数は激減、自らが運営していた団体・WRESTLE-1は活動休止を発表した。
団体経営者としも、一レスラーとしてもかなり追い込まれていた状態だった。
そんな武藤がサイバーファイトグループに入ったプロレスリングNOAHに呼ばれて試合をするようになり、2021年春にはNOAH所属になってGHCヘビー級選手権を獲り、さいたまスーパーアリーナのサイバーファイトフェスティバルでムーンサルトの封印を解き、そして2022年に引退を発表してからは7か月にわたって「武藤引退アリーナツアー」が始まり、最後の引退興行は東京ドーム。
もし仮にサイバーエージェントがNOAHを買っていなかったら、WRESTLE-1が今も続いていたら、この豪華な引退ツアーはなかった。
このタイミングでコロナ5類移行が発表されて全面的に声出し可になったのも含めて、「武藤は持っていた」と思うんです。
仮に引退試合が1年前、いや3か月前だったら武藤の入場は拍手しかなかったわけで。
そういうのをいろいろ感じた引退興業。
本戦の「PRIMARY STAGE」から。
1、10人タッグマッチ
NEW EXPLOSION
小川良成
Eita
HAYATA
クリス・リッジウェイ
ダガ
vs
小峠篤司
YO-HEY
吉岡世起
アレハンドロ
宮脇純太
10人いるわりに進行早め。
顔見せのように出てきては次に交代する感じ。
小川良成ってもう56歳なのね。
それで毎回普通に出てるのもすごいことだ。
2,Dramatic Dream Future
MAO
勝俣瞬馬
上野勇希
小嶋斗偉
vs
遠藤哲哉
岡谷英樹
高鹿佑也
正田壮史
DDT提供試合。
サウナカミーナの入場曲がいつもの「サウナ、大好きー!」(@ゆず)じゃなくて上野の曲だったのは配信都合でしょうか。
若手中心な選出にしたのは大社長らしいなと思います。
みんなシャキシャキ動いて活気出してました。
で、哲ちゃんはもう中嶋とやんないの?
3,DRAGONGATEvsNOAH
シュン・スカイウォーカー
KAI
ディアマンテ
vs
丸藤正道
イホ・デ・ドクトル・ワグナーJr.
ニンジャ・マック
丸藤は今回ここに入れられました。
丸藤を25年見てきた身からすると、どうしても今の丸藤には
「こんなはずじゃなかっただろう/歴史が僕を問い詰める」
というブルーハーツの歌詞を思い浮かべてしまう。
もし三沢からノアのエースをちゃんと禅譲されていたら。
もし副社長なんかならずに選手一本でやっていたら。
もしNOAHの経営が安定していたら。
もしDDT両国でケニー・オメガとやったときに大怪我してなかったら。
いろんな歴史のifがずれていたら、武藤や三沢とまではいかなくても、まあまあ業界の顔になるはずだった気がするんですよね。棚橋と同じくらいの。
けどそれはすべて仮定の妄想であって、現実の丸藤は『プロレス界最大の夜』で特に縁もゆかりもないDRAGONGATEとの対抗戦に駆り出されている。
これも人生なんですかね。
運転手さんそのバスに。僕も乗っけてくれないか。
青い空の真下で。
あ、ヒールのはずのKAIが「bye bye KEIJI MUTO」とメッセージの入ったコスチュームだったのはちょっとグッときました。
KAIはWRESTLE-1で武藤敬司とシングルマッチやって勝ったんだよね。
4、AJPWvsNOAH
宮原健斗
諏訪魔
青柳優馬
vs
拳王
中嶋勝彦
征矢学
このカードが発表された時はびっくりした。
全日本とNOAHは交流しないだろう、と思ってたからだ。
まして大会の主役である武藤敬司は全日本の社長を辞めて出ていった身なのだ。
しかし事情はわからないが、このカードは発表された。
全日本vsNOAH(金剛)という組み合わせも注目されたが、中でもひときわ注目させたのが宮原健斗と中嶋勝彦の対戦。
2人はかつて佐々木健介の主宰していた健介オフィスでの先輩後輩関係にあたる。中嶋が年齢で1歳、キャリア3年先輩。
かつて同じ団体にいて、組んだり戦ったりしていた2人は2013年に宮原が健介オフィス(当時ダイヤモンドリング)を退団して全日本に移籍、2014年に団体が活動休止になって中嶋がNOAHに移籍して以降、まったくリング上でもリング外でも絡むことがなかった。
そのため「不仲なのでは?」という憶測が生まれ、今回の対戦でも確執が囁かれた。
私はなんとなく「そこまで深い確執はないのでは?」と推測しているのだが、2人は「リングで答えを見せる」みたいな言い方をして注目を集めていた。
結果的に2人はリングでそれなりの時間マッチアップしたが、「激しいやり取り」こそしてたものの、そこまでこじれている感じはしなかった。
代わりに目についたのはナチュラルな諏訪魔の強さで、金剛の3人を吹き飛ばしていた。
諏訪魔も宮原も後楽園ホールで全日本の中で見てる分にはスターなのだが、こうして東京ドームに出てきてるのを見ると傍流、という感じがしないでもない。
東京スポーツのプロレス大賞で「どんなにいい試合だったとしても、新木場で行われた試合を年間最高試合に選ぶのは難しい」と言ってた委員の人がいたが、やっぱり多くの人の目に触れるところに出ていかないと「スター」になるのは難しい。
新日本に絡むのがすべて正解ではないが、宮原なんかは今のうちに大きな舞台で試合をさせてやりたいし、全日本を見ないファンにも知ってもらいたいと思う。
2019年の馬場追善興業で気運が高まったはずの棚橋弘至とのシングルはもうなくなってしまったのだろうか。
5、FINAL DE LUCHA
外道
石森太二
vs
NOSAWA論外
MAZADA
NOSAWA論外引退試合。
論外と愚連隊はそこそこ試合を見てるはずなのに、ほとんど印象に残ってない。
それが職人ということなのだろうか。
煽りVで
「俺ももう勝った負けたでどうこう言うほどしょっぱいレスラーじゃないから」
という言葉があって、ああ、このクラスになるとそこまで達観するんだ…と興味深かった。
試合は5分経ったか経ってないかくらいで論外が石森に負けて超あっさり終わる。
観客は「ええっ!?」みたいな戸惑いを示してたが外道は神妙に論外を見つめ、勝った石森はリングで泣いている。
何かしら当事者には「これでよかった」みたいな答えがあったようだった。
この試合については後からいろいろサイドストーリーが出てきそうな気がする。
6、TOKYO TORNADO
高橋ヒロム
vs
AMAKUSA
高橋ヒロムが海外修行中だった2013年、同じく海外遠征中だった剣舞(みちのくプロレス)と組んでいたタッグチーム「トーキョートルネード」。
ヒロムはそのときはまだデビュー3年目、試合でも試合以外でも別団体の先輩である剣舞にはずっとお世話になっていたという。
2人がそれぞれ別の大会に出ることになって別れる時、「いつか日本で試合しましょう」と約束したという。
ヒロムは2016年から日本に戻ってきた。
剣舞はずっとみちのくプロレスに出てたが、接点はなかった。
やがて2019年を最後に剣舞は「しばらく修行に出る」みたいなことを言って姿を消し、翌年NOAHには金剛の一員として「覇王」という選手が現れた。
覇王は金剛を離脱したあと追放マッチに敗れて姿を消し、それからNOAHにAMAKUSAという選手が登場した。
AMAKUSAは本名・経歴不明として売り出したため、NOAHは公式に「AMAKUSAは昔、剣舞というマスクマンをやってました」とは言えない。
必然的に試合する当事者2人も団体も、「こういうストーリーがありまして」と紹介したあとに「や、AMAKUSAは関係ないんですが」とぼやかす、ややめんどくさいストーリーラインになっていた。
長年見てきた身からすると剣舞、というかさときゅんことさとうゆうきがこんな大舞台でこんな大きな試合を組まれる選手になるとは思わなかった。
10年前のみちのくプロレスでは正規軍にサスケがいて、人生がいて、義経やラッセ、景虎なんかもまだいて、剣舞はその下だった。
義経や景虎がいなくなってポジションが上がったりしたけど、少なくとも大会を締めるエースではなかった。
あ、正規軍にはあと拳王がいましたね。途中で阿修羅とかいうチーム作っちゃったけど。
剣舞にせよ覇王にせよ、さときゅんはずっとバイプレイヤーだった。
何しろスタートはディック東郷の作ったプロレス学校「SUPER CLUE」だ。
(同じ団体で同じ日にデビューしたのが佐々木大輔)
そこからあちこちの団体で(主に前座で)出て、TAKAみちのくのK-DOJOに所属したりみちのく出たりもしつつ、一貫してずっと脇役だった。
なのでここにきてこんな「プロレス界最大の夜」で後ろから3番目の試合が組まれる選手になるとはまったく思わなかった。
けれどさときゅんは身長が低いだけで、プロレスは上手い。
そんな彼にキャラクターとポジションを与えたプロレスリングNOAHが慧眼だったのだろう。
(本当なら原田大輔と小峠篤司に伸びて欲しかったのだと思うが)
さときゅん、もといAMAKUSAとヒロムの試合は素晴らしかった。
スピーディーで攻守が入れ替わり、見たことのない技が繰り出される。
10年前、イギリスの片田舎で2人の若い日本人レスラーが夢見た試合が東京ドームで実現している。
全体の進行もあっただろうから15分くらいで終わったけど、IWGPジュニアチャンピオンとGHCジュニアチャンピオンの対決に足る、良い試合だった。
途中、ヒロムが剣舞のマスクを持ち出し、AMAKUSAに被らせようとした。
AMAKUSAはそれを被らなかったが剣舞マスクを手にしたまま戦い、出した技はかつて剣舞が使っていた技だった。
東北で、後楽園で、新宿フェイスで、限られたみちのくプロレスのファンだけが見ていたものが3万人、PPVを含めれば10万人くらいの人の目に触れている。
それだけで胸が熱くなった。
東郷さん、見てますか。
さときゅんこんな立派になりました。
大会翌朝、東郷さんのTwitterを見に行った。
そこには新木場で行われる自身とヤス・ウラノの試合のことがつぶやかれており、昨日のドームには何も言及がなかった。
そしてK-DOJOでさときゅんと一緒だった旭志織だけがこんなツイートをしていた。
7、SHINING THROUGH
オカダ・カズチカ
vs
清宮海斗
この試合が発表されたとき、「清宮とプロレスリングNOAHはよくここまで持ってきたな」と感慨深かった。
2年前の段階でもしこのカードがあったとしたら、それは「清宮のチャレンジマッチ」という見方しかされなかった。
1年前は対抗戦でオカダに格の差を見せつけられた。
そこから清宮は武藤敬司の後継者として認定され、GHCチャンピオンになり、藤田和之や拳王相手に防衛を重ね、再び巡ってきたオカダとの対戦で顔面を蹴ってオカダを振り向かせることに成功した。
この5年間、プロレスリングNOAHは清宮海斗をネクストスターに育てることに全力を投じた。
その一つの結果がこの試合だと思う。
見渡してほしい。
5年で一人の若手を東京ドームでオカダ・カズチカの正面にまで持ってきたのだ。
プロレスリングNOAHはすごいことをやったと思う。
横浜アリーナで清宮はオカダに「どうしたオカダ、ビビってるなら帰れ」と煽ったがそう言ってる清宮の方が気負っていて、言い方変えればビビっていた。
オカダはそれだけ上のポジションにいる相手であり、そのことは清宮も十分理解しているがゆえの気負いであって、それをなお飲み込んで「オカダの座を乗り越える」という清宮の向かっていく姿勢は“若さ”が日々遠くなっていく中年の私の心をとらえ、端的にいえば「清宮頑張れ!」という気持ちになった。
キャリアでオカダに劣る清宮がどうにかイニシアティブを握ろうとしたら普通にやっていたのでは無理であって、その方法論として「顔面蹴り」をとったのは私は悪くなかったと思う。
あの一発で清宮は「やるときはやる」「行くときは行く」という幻想を観客に与えることに成功した。
その方法の好き嫌いは別れるからどうしたって賛否両論になるが、私はとても面白い展開と思って見ていた。
私たちはいつも「持たざる者が持てる者から奪おうとする」姿に目を奪われるのだ。
ある人がSNSに「オカダの方が馬場っぽくて、清宮の方が猪木っぽい」と書いてるのを見て、本当にその通りだなと思った。
かつて50年前の仲間たちは、アントニオ猪木をこういう目で見ていたのだろうか。
令和5年の団体間頂上決戦、オカダvs清宮は早い展開で進んだ。
オカダはグラウンドはまったくせず、最初から仕掛け、5分でレインメーカーポーズが出る。
そこから清宮も反撃し、シャイニングウィザードも決まったが返され、詰め切れぬまま再びオカダにペース握られ、最後はレインメーカー。
試合時間は16分。
オカダの完勝といえば完勝だが、それ以上に「今日はこの2人にこれしか枠が与えられないんだ」ということが衝撃だった。
メインはあくまで武藤敬司。
IWGPチャンピオンvsGHCチャンピオン、団体のエース同志のシングルマッチですら「今日は刺身のツマ」という扱いに、そっちの方が頭に残った。
やっぱり、枠のないメインイベントの、しかるべき会場のしかるべき舞台でこの2人は戦わせたかった。
2023年2月の時点で与えられたのは「今はまだオカダの完勝」というポジション確認だけだった。
清宮は悔しいと思う。
結果も、完敗も、この扱いも。全部悔しいはずだ。
だが、ここを踏みしめていくしかない。
階段を一段ずつ上って、落とされて、また上がる。持っているレスラーはその過程で誰かが3段くらい引き上げてくれる。
清宮、行け。がんばれ。
この道は未来へとつながっている。
アントニオ猪木も、天龍源一郎も、三沢光晴も武藤敬司も、みんな悔しい夜を乗り越えて地位を作ったんだ。
この夜を超えていけ。
次に君がオカダと向かい合った時、もうそれはオカダが何かを君に譲る日だ。
8,PRO-WRESTLING“LAST”LOVE
武藤敬司
vs
内藤哲也
私がまだ小学生だったころ。昭和60年とかそれくらいだったと思う。
「ワールドプロレスリング」でコーナーからバク転で宙を飛ぶ選手がいた。
カッコいいなー。
それが武藤敬司との最初の出会いだった。
ずっと見てきた。
闘魂三銃士結成の1988年有明コロシアム。
凱旋帰国の1990年NKホール。
1991年G1クライマックスでの躍進。
1995年、IWGP初戴冠に、10.9東京ドーム。
混迷する試合でいつもメインイベントだったnWo時代。
2000年、スキンヘッドになってBATT。全日本プロレスで三冠チャンピオン。
2002年全日本移籍。
“パッケージプロレス”を売り出した全日本社長時代。のわりにちょいちょい見る他団体出場。毎年1.4には呼ばれる武藤。
苦しむ団体運営。WRESTLE-1移籍。
膝はボロボロで、足を引きずるのが常態化してるのになぜかムーンサルトプレスができてしまう人体の謎。
まさかのNOAH入団、59歳でのGHC戴冠。
みんな見てきた。
小学生だった私は大学生になり、社会人になり、結婚して子供が生まれ、その子供も大きくなり、髪はなくなり白髪になり、身体は衰え、少しずつ人生の終わりを遠くに見据える中年男性になった。
「ワールドプロレスリング」を隣で見ていた父親は高齢者施設に入り、10.9東京ドームを一緒に見た仲間たちとはそれぞれの人生を生きるのに忙しくなり疎遠となり、日本武道館での武藤vs天龍戦を一緒に見た仕事先の先輩はもう連絡先もわからない。
39年。
武藤敬司のキャリアだ。
私は、そのほとんどを見てきた。見てきてしまった。
歴代のテーマ曲を順番につなげて、最後に「HOLD OUT」がヒットし、東京ドームの入場ステージに武藤敬司が姿を現したとき、喉の奥が熱をもって、涙が出てきた。何の涙かわからない。
ただ、「時間は戻らないんだ」ということだけが頭をずっとよぎっていた。
「HOLD OUT」が大音量で流れる。ものすごい武藤コールがドームにこだまする。
少しずつ、ゆっくり武藤がリングに足を進める。
もうない。
もうないんだ。
私には、こうやって誰かの人生をまるまる見ることも、誰かの試合で数十年単位で励まされ続けることも、もうないんだ。
今から武藤敬司の若いころを見られることも、自分が若くなることも、もうない。
当たり前すぎる当たり前のことが、強烈に胸をしめつけた。
時間は戻らない─それが武藤敬司最後の入場で、私が思ったことだった。
そしてこの試合は我々にとっての「武藤敬司卒業式」であると同時に、「内藤哲也の一番長い日」であるのだろうと思っていた。
「プロレス界最大の夜」と称され、東京ドームに3万人、PPVでおそらく10万人くらいが見る世界でも有数の大会のメインイベントで、足を悪くして普段は自分一人で歩けない60歳の選手と「東京ドームのメインイベント」に足る試合をしなくてはいけないのだ。
いったいどうやって?
それを考えるのが内藤、オマエの仕事だよ。
武藤がそう残したかのようなメッセージの詰まった試合を内藤は受託し、リングに向かった。
内藤はずっと武藤をグラウンドで攻めた。
足を攻め、首を攻め、肩を攻める。
自分と武藤、二人が寝ころんだ状態で関節を決めようとする。
それは「なるべく武藤が立たなくて、走らなくていいように」という内藤のメッセージのように見えた。
あれが内藤哲也の“LAST LOVE”だったのではなかろうか。
中盤、内藤は東京ドームの花道を走って攻撃する。昔武藤がよくやっていた攻撃だ。内藤がプロレス少年に戻っていく。
それは内藤に目を向かせるとともに、「動けない武藤」がなるべくクローズアップされないための配慮だったように見えた。
終盤、内藤の攻勢を跳ね返した武藤はケサ切りチョップを見せた。橋本真也の技だ。
そして天を指さしてから、橋本と同じ形のDDTを放った。
東京ドームに「ハシモト」コールが湧き上がる。
続いてセコンドの丸藤をチラッと見てから、エメラルドフロウジョンを出した。三沢光晴の技。
今度はドームに「ミサワ」コールが湧き上がる。
橋本も、三沢も、引退試合を行うことなく逝ってしまった。
彼らの分も背負って試合したい─試合前に武藤がそう言っていたのを思い出した。
そして武藤がコーナーに向かった。ムーンサルトプレスを狙おうとする。
けど大丈夫なのか?身体ボロボロなんじゃないのか?そんな状態で飛んだら完全に身体が壊れてしまうんじゃないか?そもそも、そんな不安定な人間が飛ぶのを受ける、内藤はどうなるのか?
コーナーに上った武藤が手を離せない。
ものすごい声援が飛んでいる。
武藤は一瞬、目をつむり、そしてコーナーを降りる。
ドームにホッとした空気が流れる。
ここがこの試合、最大の名場面だったように思う。
武藤は飛べなかった。飛ばなかった。無念に思いながら。
だから引退するんだ─あれを見た誰もが納得する場面だった。
内藤がデスティーノで武藤から3カウントを奪ったのはそのあとだった。一発でフォール。
ドームのメインイベントでは必殺技が一発で決まることはほぼ無い。
そんな中で、武藤は一発のデスティーノで敗れた。
それを不満に思う人はほぼいなかっただろう。もう、武藤は戦えないのだから。
─と思ってた。
だから、引退セレモニーに入ろうとした武藤が「俺、最後にやりたいことがあるんだよ。蝶野!」とテレビ解説をしていた蝶野正洋を呼び出し「最後におまえと戦うぞ!」と試合を始めたことは「ええええ!?」という感じでびっくりした。
武藤と同期で、ライバルで、数々の激闘を繰り広げた盟友の蝶野は、身体の不調でもうリングには立ってない。
引退宣言こそしてないものの、歩行には杖を使っており、とても試合のできるコンディションではない。
その蝶野を武藤はリングに呼び出した。
プロレスラーが、超満員の東京ドームで、リングから名前を呼ばれる。
そうなったら蝶野に「上がらない」という選択肢は、ない。
ゆっくりと、おそるおそるリングに上がった蝶野は上着を脱ぎ、サングラスをとり、武藤と向かい合った。
そこでゴングが鳴る。
「特別試合」とコールされた、エクストララウンドが始まった。
チョップを打ち、キックを一発決めた蝶野が倒れた武藤をSTFで固めると武藤は即ギブアップ。
観客は大声援だ。
それをリングサイドで長州力が、藤波辰巳が、棚橋弘至が、そしてたくさんのレスラーが笑顔で見つめ、拍手している。
これが武藤敬司の「最終試合」だった。
面白かったし、盛り上がったし、みんな喜んでたけど、私は「内藤に一言なんか言ってやれよ…」という気持ちが強くて、全力で乗れなかった。
けどこのエゴイストっぷりが武藤敬司なのかもしれない。
内藤は勝ったのに何も言わず引き上げた。
大役で、難役を見事に務め上げた内藤にもう少し拍手をしてやりたかった。
武藤敬司の引退試合は、平成という時代と、その時代に青春を生きた「90年代の若者たち」である我々中年世代の「合同卒業式」みたいだった。
だらだらと続く、けれど確実に老いに向かっている私たちの、過去への別れの式典。
もう、昔は終わった。
「あの頃」は戻ってこない。
今を生きていくしかない。
その踏ん切りのための、最後の甘美な時間だった。
あの時間を作ってくれたサイバーファイトグループ、武藤敬司や内藤哲也らプロレスラー全選手、東京ドームのスタッフ、そして同じ空間を作ってくれた同志たち。甘美な時間を作ってくれてありがとう。
前を向いて生きていかないとね。
プロレスはこれからも続くし、われわれの人生もまだ続くはずだから。
同志たち、またどこかの会場で会おう。
とりあえず俺は、もう少し清宮海斗を追いかけてみるよ。
そのときまで、お互い元気で。
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