棚橋弘至とケニー・オメガの「価値観の対立」はこの10年くらいプロレス界で論議されてきたことの象徴だと思う問題


ローリングストーンに掲載された棚橋とケニーのインタビュー、面白かった。

ケニー・オメガと棚橋弘至 「プロレス」を守る者はどちらなのか?
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/29644

エース・棚橋弘至が恐れる「プロレスブーム」の先にあるもの
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/29650

今度の二人の対戦は「イデオロギー対決」と言われてますが、それを説明した一番わかりやすいインタビューじゃないでしょうか。
これ読んで1.4がますます楽しみになりました。
私、仕事ですけどね…。

棚橋はケニーのプロレスを「どんどん技の過激度が上がっていって、このままだと最後には何も残らなくなる。業界の未来を考えていない」と言う。
その上で「技の“凄さ”を競い合うだけでない、ひとつひとつの技に意味と魂を込めて闘う、“人間力”の凄さを競う試合をしなければならない」と説く。

それに対してケニーは「棚橋は古い時代の価値観を押し付けているに過ぎない」と言う。

実はこの二人のプロレスに対する考え方の対立って、近年ずっと日本のプロレス界隈で議論されてきた話で。

90年代に全日本や新日ジュニアで技の過激度がどんどん上がっていくと、ファンはそれに熱狂した。
やがてそれも行き着くところまで行くと(2003年の三沢vs小橋戦あたりがピークか)人気も徐々に落ち着きだし、活躍してた選手が少しずつ疲れてきて、さらには2009年に三沢の不幸な事故が起きた。

そうするとプロレス界には「技の過激度が上がり過ぎた、頭から落とすような技はやめよう、やはりフィニッシュ一発で決まるような技を大切にしたプロレスにしなければ」と言った論調が占めるようになった。
新日本で棚橋が台頭してきたのはこの頃からだ。
棚橋は「技を大切にしたプロレス」を推し進め、一時代を築いた。
しかしそれも時間が過ぎ、新日本のトップが棚橋からオカダに禅譲され、オカダ時代も長く続いてややマンネリ化してきたところで登場したのがケニーだった。

棚橋はファン時代から新日本を見てきてそれで新日本に入団し、新日本で成長していった。
もちろん使う技や組み立ては現代的にしているけど、基本的にはトラディショナルなスタイルだ。

でもケニーは違う。
カナダのインディー団体からDDTを経由してきたケニーは「注目を集めなければ意味がない」くらいの気持ちでやってきたはずだ。
トラディショナルなスタイルを否定はしないけど、自分がそれをやったところで元からやってる新日本の人にはかなわない。
それだったら誰が見てもすごい!と思われる試合をしなければ…と考えてこれまでやってきたんだろうと思っている。
結果として、ケニーは身体能力をフルに生かした試合をするようになる。

なので二人の思想が合わないのは当然だし、棚橋-オカダと続いた後にまったく違うスタイルのケニーが求められたのも時代の流れだったように思う。

私自身は「棚橋の言ってることはわかるけど、今はケニーに合わせた方が」と思っている。
というのは、プロレスのスタイルなんて結局“時代”で左右されてしまうからだ。

棚橋がエースになる前の時代、新日本でトップを取ってたのは永田、天山、小島といった面々だ。
でもその頃の新日本は本当に人気がなかったし、あんまり面白くもなかった。
彼らは彼らなりに「“人間力”を見せる試合」をしていたと思う。
けどスターとしての輝きは(団体のバックアップの差もあって)棚橋やオカダに及ばないし、さらには総合格闘技隆盛を極めていた時代で「プロレスは総合に劣る」みたいな見られ方をされた時代でもあった。

つまり「人間力プロレス」をやっていたとしても、時代とか環境といった外部要因で人気なんてあっさりと変わってしまう。

棚橋はそこで「一時的な人気に踊らされず、新日本のトラディショナルな“人間力プロレス”を通さないと海外団体との競争に負けてしまう」と主張するが、それを通していけば成功するという保証は実際のところ、ない。
経営的な判断として「今の世界的なトレンドにシフトしていくより、これまで国内で培ってきたスタイルを通すべきだ」と棚橋は語り、ケニーは「もう世界的な潮流に合わせていかなくては」と言ってるようなものだ。
将来的にどちらの判断が正しいか今決めるのは難しい。

ただ、現実的にはケニーの方に“揺り戻し”が来ている。
実際、ケニーがトップに出るようになってから海外からの視聴数、ファンが増えてると言う。
時代とともにスタイルを変えてもいいのでは…と思ってしまう。

もう一つ思うのは、本人の驚異的な努力であまり見る者にそれを感じさせないが、棚橋のコンディションは相当悪いだろう、と推測されることだ。

ここで私は2000年代に隆盛を誇ったノアが衰退していくきっかけになったある試合を思いだす。
それは2006年12月、GHCチャンピオンになった丸藤に、挑戦者として三沢が挑んだ試合だ。

この時の三沢は43歳。
3年前に小橋にベルトを渡して以来、トップからは一歩引いたポジションにいた。
それは当然、加齢と社長兼任という理由で往年よりコンディションを落としていたからだ。
一方の丸藤はまだ27歳で、バリバリ動ける年齢だった。

新世代のチャンピオン・丸藤にかつてのエース・三沢が挑んだ試合は、三沢が大逆転で勝つ。まさかの戴冠。

ここまではいい。
問題はその9か月後のリターンマッチ。

ここも三沢が勝ってしまった。
そして44歳になった団体社長の三沢が長くベルトを持つことになる。

しかし三沢の身体はもうボロボロで、タイトルマッチもかつてのような試合ができなくなっていた。
少しずつ観客が減っていく。
そしてシングルのベルトを森嶋猛に奪われた後も三沢はメインクラスの試合に出続け、あの事故につながっていく。

なにか、今回の棚橋とあのときの三沢が少し重なるのだ。
今ここで再び“かつてのエース”に権勢を戻すことはあまりよくないんじゃないか、そんな気がしてしまう。
今度の1.4で棚橋が勝ってもいいと思うが、その場合は短期でパッとベルトを失ってほしい。
長期的なチャンピオンにさせることには大きな不安がある。

なので、今回はいろんな理由でケニーに勝ってほしいと思っている。
たとえ「ケニーがチャンピオンになってからの防衛ストーリーは面白くない」としても。

ただ特筆したいのは、今回あらためて棚橋弘至という人間は恐ろしいな、ということだ。

今回の試合、普通に「俺がG1取ったんだから俺が最強だ。勝負しろケニー」でもよかったはずだ。普通のレスラーだったらそうしたと思う。

けれど棚橋はそこで「ケニーの試合には品がない」という発言で波紋を投げかけた。

そして互いのキャリアでなく、互いの“プロレス観”を対立構造に持ってきた。
そこがすごい。

なぜならもし普通に挑戦表明したとしたら「かつて一時代を築いた棚橋がまたトップに戻ろうとしている」という構図になったからだ。
それは「そろそろ引っ込んだら…」という視線を少なからず産み、「またチャンピオンになってほしい、けどそれは思い出作りでやってもらって、いずれすぐオカダなりケニーに戻して…」という反応を生んだだろう。

しかしこうやって思想戦に持ち込んだことで、「自分がふたたびトップに戻らねばいけない理由」を「ビッグカムバック」以上のロジックで作り上げた。
そのプレゼンテーション能力がすごい。
やはり棚橋弘至という人間は頭が切れると思う。

そんな1.4。
本当に楽しみですね。
飯伏幸太vsウィル・オスプレイが第一試合というのが納得いかないけど。

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