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後楽園ホールで見たフジタjrハヤトとMUSASHIの試合のこと

みちのくプロレスにフジタ“jr”ハヤトというレスラーがいる。1986年生まれ。現在35歳。

ハヤトの父親は障害者プロレス『ドッグレッグス』の選手で、リングネームを「ゴッドファーザー」と言った。
ハヤトも7歳の時から父と並んで障害者プロレスのリングに立った。リングネームは「ゴッドファーザーJr」。
障害者プロレスでは障害者と健常者が同じリングに立つ。
ハヤトは高校生までドッグレッグスの健常者レスラーとして試合をし、高校卒業後は新崎人生にスカウトされてみちのくプロレスでデビューした。
デビューにあたってハヤトは憧れの選手だった山本"KID"徳郁のもとで練習し、KIDにあやかって自身のリングネームにドッグレッグス時代の“jr”を入れた。

黄金ルーキーとしてデビューしたハヤトは“次世代のエース”として期待された。
が、なかなか結果も内容も残せない。
身体も大きくならない。
ハヤトはみちのく以外の他団体にも出てキャリアを積み、次第に身体は大きくないが殺気、迫力がある選手になっていく。
だんだんみちのくプロレスでも中心として使われるようになり、そしてデビュー4年目でついにシングルチャンピオンになる。

ハヤトが中心選手になった頃、ある有望選手がみちのくプロレスに入門する。
中栄大輔。
明治大学日本拳法部の主将を務めていた中栄はその年の全日本拳法選手権という大会で自身2度目の優勝をしている強豪だった。
デビューにあたって中栄はリングネームを「拳王」とあらためた。

拳王の育成にあたって新崎人生は団体で一から育てるのではなく、デビュー直後にスペル・デルフィンが運営していた沖縄プロレスに拳王を預けて修行させる形を取った。
沖縄プロレスで「カンムリワシ用高」というマスクマンになって試合をしていた拳王は一年間の修行を終えるとみちのくプロレスに復帰し、そこでチャンピオンのハヤトの前に立つ。

「ハヤト君。君はチャンピオンかもしれないが、僕の方がもっと強い」

年下の先輩にあたるハヤトに拳王は上から説法でアピールした。
ちなみに拳王は中学と高校の教員免許を取得している。
ハヤトはこの時点でキャリア5年であり、キャリア1年ちょっとの拳王が大きな口を叩くことに苛立ちを隠さなかった。
タイトルマッチはハヤトが格の違いを見せるだろう、と予想されたが結果は拳王の完勝だった。
ハヤトは地に落とされた。

プロレスには必ずどこかにつながりがある。
拳王がチャンピオンになって約一年後、再びハヤトとのタイトルマッチが決まった。
誰もがハヤトの「リベンジ」を予想し、期待した。
しかし結果は今回も拳王の完勝だった。
ハヤトはここで大きな挫折を味わう。

そのさらにあと、二人の三度目のシングルマッチが組まれ、そこでようやくハヤトが拳王に一矢報いる。
この頃になると拳王からはハヤトを下に見るのではなく、対等な「ライバル」と称するようになっていた。
拳王はこの少し後にみちのくプロレスを離れ、プロレスリングノアに移籍する。

拳王のいなくなったみちのくプロレスの中心はハヤトからサスケとバラモン兄弟によるユニット「ムーの太陽」になっていた。
ハヤトは再び他団体での活動を増やしていく。
そんな矢先、試合中に左膝の靭帯断裂という大怪我を負う。
長期欠場を余儀なくされる。

半年が過ぎ、一年が過ぎ、ハヤトが出てない大会が日常化していた頃、ある大会にジャージ姿のハヤトがひっそり来場しファンに挨拶を行う。
てっきり復帰に関する話が聞けると思っていたファンにハヤトが話した言葉は

「自分は現在、脊髄腫瘍髄内腫瘍上衣腫という病気と闘っている。つまり、がんです」

という衝撃的なものだった。

腫瘍をすべて摘出するには神経についた腫瘍を取り除かないといけない。
そうすると脊椎や腰椎などの神経を傷つけることになり、レスラーとしての復帰は絶望的になる。
ハヤトは7割ほどの腫瘍を除去し、神経にくっついた残り3割の腫瘍は放射線と抗がん剤による治療を選択した。
手術は一度で終わらない。
手術して、療養して、リハビリができるようになってから、また再発する、
膝を含めると手術は合計6回に及んだ。
手術のたびに車椅子生活になる。痛みは引かない。24時間痛みがあるという。
熟睡できない。2時間くらい寝ると同じ体勢になって激痛で目が覚める。疲れが取れない。

いくら治療しても治らない。
ここまでやって無理ならもう無理だろう、と感情が持たなくなってきたハヤトは医師に
「もう治療をやめてください。一筆書くから、もうお願いします」
と土下座して頼んだという。
医師は「何を言っているんだ」と拒否し、ハヤトを説得した。

このあたりの経緯は鈴木健.txtさんのコラム「場外乱闘」に詳しい。

ハヤトが闘病に苦しんでた頃、ハヤトの治療費を援助する目的で「ハヤトエール」というチャリティー大会が行われた。
みちのくプロレスの選手はじめゆかりのある多くの選手が参加した大会に、まっさきに協力を約束したのはプロレスリングノアに所属していた拳王だった。
拳王はノアの大会を休んでこの大会に参加した。
ノアからすれば拳王は自分のところの大会に出ずに他所の大会に出たわけだが、『特例』として許可された。
会場に来場したハヤトに拳王は「早く治して俺と戦え」と言い、ハヤトは「わかってるよ」と答えた。
(この大会を観戦した西加奈子は「Passage」というコラムでこの時のことを書いている・『新潮』2020年5月号所収)

「ハヤトエール」に来場したハヤトは試合を見て「1試合だけ戦いたい」と団体に訴える。

医師と新崎人生(みちのくプロレス社長)が協議した末、二週間後の後楽園ホール大会で「1試合限定・15分1本勝負」で試合を行うことになった。
相手は同じユニットで弟分だった拳剛。
(拳王と名前似てるけど無関係)

ハヤトは拳剛のキックやエルボーを受け、自身も得意技の蹴りを出した。
ハヤトの蹴りのスピードはほとんど欠場前と変わらなかった。
多くの観客が心配と応援の意味を込めた声援を送る中でハヤトは10分強戦い抜き、最後は弟分の拳剛にKO負けした。

そしてハヤトは再び闘病に入った。
「弱っている姿を見せたくない」という本人の意向でSNSはほとんど更新されなくなった。

世界は新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われ、日常に大きな変化が訪れた。
プロレス界も無観客試合、ソーシャルディスタンスの保てる形での有観客、制限付き有観客、再び無観客…と何度も対応を変えざるをえなくなった。
それぞれの団体が苦慮しながら運営を続けた。

みちのくプロレスは数年前からMUSASHIという選手がトップになっていた。
MUSASHIは1990年生まれ。現在31歳。
本名の「佐々木大地」名義で2010年デビュー。
2015年頃から頭角を現し、2018年の海外遠征からリングネームを「MUSASHI」に改名した。
2019年頃からみちのくプロレスの実質的なエースとして中心になっている。

MUSASHIは一時期、ハヤトをリーダーとするユニット「Bad Boy」にいた。
ハヤトはMUSASHI(当時は佐々木大地)を鍛えあげ、叱咤していた。
やがてMUSASHIはBad Boyから離れ、以降2人が同じチームにいたことはない。

欠場中、何度かマスコミ向けインタビューに登場したハヤトは自身の回復具合や闘病生活を語るとともに、しばしばMUSASHIら新世代に苦言を呈した。
「闘いに熱がない」
「やりたいことがわからない」
MUSASHIはハヤトのような強い言葉でアピールするタイプではない。
メキシコで教わったジャベと呼ばれる関節技と華麗な投げで魅せる大型選手で、小柄だが打撃と絞め技で緊張感を出し、観客を高揚させる言葉を持つハヤトとはまったくタイプが違う。
不本意な欠場を続けるハヤトからすれば歯がゆく映ったのだと思うが、MUSASHIはハヤトの言葉を無視した。
マスコミに聞かれると「自分たちは自分たちの考えるプロレスで盛り上げている。休んでる人に何を言われても何も響かない」と突き放した。
ハヤトがリングに立てない以上、2人は対立構造にもならなかった。

MUSASHIはみちのくプロレスの中で頭一つ抜けた存在になっていく。
2022年5月、大日本プロレス所属の橋本和樹を相手に三度目のタイトル防衛を果たしたMUSASHIの前に一人の男が現れる。
一年以上、動向が何も伝えられなかったフジタjrハヤトだった。
ハヤトはリング復帰とMUSASHIへの挑戦を口にした。


5年ぶりの復帰。
当然、「大丈夫なのか?」という声が出てくる。
みちのくプロレス新崎人生社長は
「ハヤトは一年以上がんが再発してない。完治ではないが経過観察期間とされてる。医師と相談し、本人のモチベーションになるので試合後に即診断を受け、数値を見ながら次の出場試合を決定していく」
という方針で医師と決めたということを明らかにした。

それでもわれわれは半信半疑だった。
ハヤトは本当に試合ができるのか?いいのか?

だがそれに答えを出せる人は誰もいない。
そもそもプロレス自体、普通のコンディションであっても大怪我をしたり命を落とすこともある競技なのだ。
がんになって少し前まで車椅子に乗ってた人間がやった方がいいか、いけないかと言ったらやらない方がいいに決まっている。
それでも本人も、ファンも、団体も、彼に闘ってほしいから葛藤するのだ。

2022年7月1日。
東京・後楽園ホール。

MUSASHIとハヤトのタイトルマッチはメインイベントで行われた。
ハヤトの身体は一目見てわかるレベルで鍛えあげられていた。
依然、身体の痛みはずっとあるという。
ただしそれを忘れられる瞬間があって、それが練習している時、スパーリングしている時だという。
いったいどれだけの時間をここにかけてきたのだろう。
そう思わずにはいられなかった。

試合の興味は一点しかない。

──ハヤトはどれだけできるのか?

観客も、関係者も、何よりリングで向かいあっているMUSASHIがその答えを知りたかった。

開始まもなく、ハヤトが左足で蹴りを出した。
スパーン!という音がして早い蹴りがMUSASHIに入った。
今のハヤトは左足に力が入らない。
だから左足を軸足にして右足で蹴るとバランスを崩す不安があるので、復帰が決まってからは逆側の左足で蹴る練習をしてきた。
ハヤトの蹴りは早く威力があり、その動きはとても長く病気に苦しんできた人間のものとは思えなかった。
それを見て「ハヤト戻ってる!」と思った人は多かったのではないか。

それでもどこまでやれるのか、ということは誰もわからない。
10分過ぎ、MUSASHIがハヤトの(感覚がないという)左足を捉えてドラゴンスクリューを出した時、ヒヤッとした。ハヤトは呻き声をあげて倒れている。
ええ!と思ったがMUSASHIは冷静な顔をしている。

そうか、やるよな。やらなきゃいけないんだよな…。

これがエキシビションマッチであればここまでやる必要はない。
けどこの試合はメインイベントで、タイトルマッチなのだ。
手を抜いて下がるのは団体そのものなのだ。

これ以降、MUSASHIの攻めは苛烈を極めていく。
中でも頭突きは強烈だった。
骨がぶつかる音が会場に聞こえる。

そんなことをしていいのか!?
自分で思ったことに、もう一人の自分が説明する。

いいか悪いかでなく、ここまでやらなきゃいけないのがプロレスなんだ─

井上雄彦の「リアル」13巻で、脊椎損傷で動けないはずのプロレスラー・スコーピオン白鳥がリングで試合をする話が出てくる。

作中、白鳥の試合を見ていたファンの青年が

「強さって何ですか/それは僕にもありますか」

と自問自答する場面が出てくるが、今回のハヤトとMUSASHIの試合を見ていた私も同じ心境になった。

MUSASHIの強烈な技を浴びながら、ハヤトはカウント2で返していく。
逆に反攻の機会を見つけて関節技や絞め技でやり返していく。
試合時間が20分を越え、25分を過ぎる。
もうハヤトの身体を心配しているファンはいない。
リングで戦う2人のどちらが勝つのか、ただそれだけを追っている。
感染予防対策として声の出せない観客席から、祈りを込めた拍手がずっと続いている。

攻勢に出たMUSASHIがフィニッシュの変形エメラルドフロウジョンを狙うがハヤトは脱出する。
そこからMUSASHIの頭を抱えてフロント・ネックロックの体勢に入る。
「KID」デビューからずっと使っている技。憧れの人の名前を冠した技。

山本"KID"徳郁は2018年に亡くなった。胃がんだった。
闘病中のハヤトがその訃報をどのような思いで受け止めたのか、想像がつかない。
ただ、ハヤトはリングに帰ってきた。

やがてMUSASHIがタップアウトした。ギブアップ──ハヤトの勝利だ。

嘘だろ?というのが最初の感情だ。
こんなことってあるのか?
プロレスどころか、命を失いかけてた人なのだ。
それが復帰して、復帰初戦でこんなすごい試合して、その上タイトルマッチで勝つなんて──。

信じられない。
その感情が大きすぎて、他の感覚がついていかない。

ベトナム戦争への徴兵反対を訴えて長らく試合が組まれなかった32歳のモハメド・アリが当時絶頂期だった25歳のジョージ・フォアマンを破った『キンシャサの奇跡』を目の当たりにした人たちは、こんな感じだったのだろうか…と呆然とした。

2022年7月1日、俺は信じられないものを見た。

それをどうやって伝えようか考えてたら、『最初から書くしかないな』と。
それでこんな長くなってしまいました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。

でもね、プロレス興味ない人も多いと思うんですけど、一回ハヤトの試合見てほしいです。

文字通り、命を削って闘っている人なんです。
新チャンピオンに返り咲いたマイクで感謝や溜め込んできた思いを吐露する中に
「俺はいつこのリングに立てなくなる日が来るかわからないから」
という言葉がありました。
だから悔いのないように残りのレスラー人生やっていきたい、という話だったんですけど、胸に刺さりました。

もうね、あるわけですよ。考える夜が。
あとどれくらい今の仕事できるんだろうか、とか。
もうダメなんじゃないか、とか。

でも私は24時間痛い身体にまだなってないし、まだ多少動ける。
ハヤトがあんなに頑張ったんだから、自分だって…と思うんです。
あの試合を見てから、頭の中で何かが熱をもった。

そういうのがあるんです。プロレスには。
見せているのは試合ですけど、ずっと見てればそれは人生そのものです。
闘っている人の人生を見せられれば、こっちの心も震わされるのです。



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