映画「マミー」
渋谷シアターイメージフォーラムで映画「マミー」見てきた。
和歌山カレー事件の林真須美死刑囚の家族を中心にしたドキュメンタリー。
ドキュメンタリー映画は題材を見れば「だいたいこんな映画かな」と想像がつく。「それは知らなかった」という証言やエピソード、印象的な場面は出てくるが、おおまかには想像を超えることは少ない。
が、この「マミー」は超えてきた。
びっくりした。
途中からずっと緊張して見ていた。
緊張するのは「え…こんなことカメラの前で言っていいの…?」という話が出てくるからだ。
それは重たい告白であるのに、話者は「かつて経験した愉快な話」みたいに軽く話す。
そのギャップが怖くて、緊張したんだと思う。
この映画は安住させない。
「事件は冤罪」「林真須美はやっていない」「家族は長年誹謗中傷に苦しめられてきた」
というこちらの印象が、彼ら自身の発言や行動で一部剥がされていく。
「え?」となる。
一方でやはり被害者なのだ、という場面も出てくる。
単色でない。
まだら模様に入りくんでいる。
「正義」と「悪」も簡単に色付けさせない。
正義とは全員が認定できる評価ではなく、「その人にとっての正義」が多面にあるだけなのだ、ということを教えてくれる。
『スカッとJAPAN』な、スッキリする結末は訪れない。
胸糞悪いといえば悪いし、しょうがないといえばしょうがないし、人間の強さといえば人間の強さだし、人間も社会もそんな立派じゃないといえばその通りな、どうにでも取れる結末が待っている。
これを撮った監督の二村真弘自身が「正義」を疑われる行動をする場面が出てくる。
しかし、その映像を編集してるのも当の二村なのだ。
どうかしている。
ただ、「よくこの人この映画に出たな」という関係者が何人か出てくる。
(そもそも当初は長男を実名、顔出しで出す予定だったとか)
それを成立させただけですごい監督だ。
この映画はYouTubeとか地上波TVみたいに不特定多数の人が見たら間違いなく炎上するだろう。
オープンに出すには危ない映像が多すぎる。
が、「世の中にくっついた印象をひっくり返す」ためには、これぐらいの熱量が必要なんだろう。
誰にも叩かれないのは、何もしない人だけなのだから。
映画見終わって30分くらい経ったが、まだ胸が緊張している。
こういう気持ちになった映画は黒沢清「CURE」、原一男「ゆきゆきて神軍」、森達也「A」以来ではないか。
大変な映画を見たな、と思いながら高田馬場駅構内のスタバで気持ちを整理させている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?