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保坂秀樹

https://news.yahoo.co.jp/articles/7425d7dd70dc76da59be90e079060bbad32e2d2d

保坂秀樹が亡くなった。
何年か前にがんを患っている、みたいなニュースを見てびっくりしたのだが、そのままにしてしまっていた。
49歳だったという。自分と2歳しか変わらなかったのか。
自分と同年代でリアルタイムで見ていた人が亡くなると、何か追い詰められるような気分になってくる。


保坂がデビューしたのは91年旗揚げの第一次W☆INGで、まもなく双葉社から出る小島和宏さんの本によればその時付き人についたミスター・ポーゴから受けたパワハラが相当酷かったようで、団体分裂の際に「ポーゴさんが行くなら自分は行かない」と第二次W☆INGには参加しなかった。
保坂は高野拳磁がやってたPWCに移り、PWCがなくなるとFMWに移る。
そこに自分が行かなかった第二次W☆INGからポーゴがFMWにやってきて、避けてたはずのポーゴとまた同じチームに入れられてしまった。

当時は大仁田厚がFMWで一番成功してた頃で(テレビ番組によく出ていた)、FMWの試合記録を見るとほとんどの大会でメインイベントは大仁田軍とポーゴ軍の3vs3または4vs4のタッグマッチが行われ、ほぼ毎試合大仁田が保坂をサンダーファイヤーパワーボムで抑えて勝利、という結果で占められていた。

保坂弱え、負け過ぎだろ…と当時は思ってたが、その後プロレスの仕組みを知ってからは大変な役割をしてたんだな…と反省した。
保坂は来る日も来る日も大仁田のパワーボムを受け続けることで首を悪くしてしまった、と聞く。

後年、大仁田がFMWを離れてフリーになり、3回目か4回目の引退→復帰をしていろんな団体に出るようになると、そのとき大仁田のタッグパートナーを務めたのが保坂だった。
かつて毎日毎日大仁田の技を食らっていた保坂はその頃「大仁田の代わりに対戦相手の技を食らう」役割をずっと果たしていた。

プロレスにはこういう選手が必ず存在する。
華やかな光が当たることはほとんどないが、その人がいることで試合が上手く回るようになる選手。
保坂はそういう選手だった。


個人的にはFMWで金村、非道と3人でW☆ING軍をやっていた時が一番思い出深い。
金村、保坂、非道vsハヤブサ、田中、中川とかだいたい面白かった。
シングルのリーグ戦で金村に勝った試合も素晴らしかった。

後年、ある人が「プロレスラーの保坂さん、今ときどき一緒にサッカーやっているよ」とびっくりすることを教えてくれて、サインをもらった。
そのサインは今実家にある。貴重なものになってしまった。
明日、探しにいこうと思う。

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