アントニオ猪木酒場の思い出



「アントニオ猪木酒場」には2度行ったことがある。
一度目は大学時代の友人たちと行った。
新宿店ができて間もなかった頃だから、たぶん2000年代後半だろう。
「1・2・3・サラ・ダー!」とか“らしい”メニューに普通にゲラゲラ笑ってた記憶がある。
入店のときにゴングを鳴らされるのもインパクトがあった。

二度目はいつも一緒にDDTを見に行くプロレス部の中からひときわ猪木に思い入れの強い人たち4人で行った。
いわゆる猪木チルドレンだ。
そしてその4人の中に「『本屋』は死なない」「本屋な日々」などの著作があるライターの石橋毅史さんがいた。

「石橋さんと猪木」には有名なエピソードがある。
1983年、第1回IWGP決勝戦でハルク・ホーガンに場外KO負けした猪木は舌を出して失神、そのまま救急車で搬送された。

1983年はインターネットがない時代である。
テレビは別に猪木が負けようが病院に運ばれようがニュース速報を出すわけでもない。

当時、埼玉県大宮市の中学1年生だった石橋少年は学校の休み時間に友達が持ってきていたスポーツ新聞で猪木の敗戦と入院の事実を知ると、そのまま学校を飛び出した。(※1)
向かったのは猪木が入院したと報じられた東京・信濃町の慶應病院である。
「んな中学生が行ってどうするんだ」というのは熱量が遠く離れた場所にいる大人からの視点であり、「俺の猪木が大変なことになっている!」と考えてしまった1983年の中学生男子は「とにかく猪木のもとへ行かなきゃ!」という使命感だけで慶應病院に行ってしまった。
もちろん着いてみれば付き添いができるわけでもなく、関係者でもないので入れるわけもなく、しばらく病院の外からどこの部屋にいるかわからない猪木を思ったりして、そのまま大宮に帰った。
その頃学校では「石橋君がいない」と大騒ぎになっていたことや、このあと学年主任からこっぴどく怒られることを知らないまま。

【8/3 21:00追記 
石橋さんに確認したところ正確には
「朝のワイドショーで猪木敗戦を知った友人にまず教えられて、次に駅の売店でスポーツ新聞を買ってそれで慶應病院に入院したことを知った」だそうです】

それから約20年たった石橋さんをアントニオ猪木酒場に連れていった。池袋店だった。
石橋さんは「ほお、こんな感じなのか」みたいにキョロキョロして周囲を観察するも、特にテンションが上がってるわけではなさそうだった。
例の「1・2・3・サラ・ダー!」とか“そういう”メニューにも「ふぅーん」という観察者としてのリアクションで、そのまま4人でいつものようにプロレスの話やら仕事の話をしていた。

そんな会食中、石橋さんはふいに店員のお姉さんを呼び止めた。飲み物の追加でもするのだろうと思っていたら「すみません、このモニターの試合は変えられるんですか」と聞いた。

猪木酒場は店内に何カ所かモニターが設置してあり、昔のプロレスの映像を流している。
石橋さんは「それを変えられるのか」と聞いた。
ちょうどそのときは藤波の試合だか長州の試合だかが流れていて、猪木の試合ではなかった。

ところが女の子は当初何を言ってるかわからなかったみたいで、「え、試合?変えるって…何をですか?」みたいな反応をした。
「いや、だからこのモニターのですね」みたいに説明する石橋さんとの噛み合わない会話から察するに、要は働いてるお姉さんは「少し変わった居酒屋の店員」として働いてるだけであって、店のモニターで流している内容に一切興味がなく、そんな質問がくるという前提がなかったのだろう。

ようやく趣旨を理解したお姉さんが「少々お待ちください」と硬い表情で退くと代わりに年上のマネージャーらしき中年男性がやって来て、「この映像はどこかから送られてくる映像を自動再生で流してるだけで、その内容はわれわれもわからない。ましてや変更もできない」と説明した。
石橋さんは
「なんで猪木酒場なのに猪木の試合やってないんだ」
「もっと『マスター、今日は猪木vsモンスターマンの試合が見たいな』と言ったら『かしこまりました』と言ってマスターが流してくれる、そういう店だと思っていた」
とずっと言っていた。
わからなくもないが、どう考えても限定した来店客しか来ない店である。
でもそれが石橋さんの考える「猪木酒場」であるらしかった。

そんな面倒くさいやりとりが発生しつつ、宴もたけなわ。
時間も間もなく0時になろうとするくらいで、ぼちぼちお会計を…と皆が立ち上がって財布を出し始めたその瞬間。
店のモニターがパッと変わり、1994.1.4東京ドーム大会のメインイベントに立つ田中リングアナが映った。
そして字幕に「特別試合 アントニオ猪木vs天龍源一郎」の文字。
「おおーっ!!」と言って、われわれは座った。一度出した財布をしまって、また座った。
そしてわれわれは4人で猪木vs天龍を鑑賞し、そのまま終電を逃した。

今は「新日本プロレスワールド」にアクセスすれば猪木vs天龍はいつでもどこでも見られる。
けどその頃はDVD買った人の家に集まるでもしなければ、みんなで酒を飲みながら見るなんてことはかなわなかった。

「猪木酒場」は行った人に楽しい思い出を残す店だった。
閉店は寂しいが、始めた人には感謝している。

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