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生死の話はしてたのに、その後の準備をしてなかったという情けない話

夫や母と生前に、よく生死の話をしていました。

死んだらどうなるかという話から、どういう死に方をしたいかとか、望んだ死に方ができるのだから、生きてる時に考えておいたほうがいいとか、
どちらが先に死ぬかとかetc

私は、2ヶ月ほど病院で入院して、いろんな人にお別れして、日々家族に世話されながら死んでいくと設定しておりましたが、夫が先に逝ってしまったので、家族に世話されながらというと、三人の息子になるわけで、これでは、2ヶ月は、持たなくて、怒られながら死ぬのは嫌なので、夫が亡くなってからは2週間に変更しました。

惜しまれながら死んでいくというのが私の理想なわけなのですが、最近、その設定ももういいかなと思うようになりました。

眠るようにある日亡くなっていた。でいいかな。

残される人が悲しむからと、突然亡くなることは嫌だと思っていました。

闘病生活を支える家族は、お世話をしながらお別れができるので、失った後の痛みが少なくてすむと思っています。

父も母も自宅で看取ったので、ゆるい移行期間でした。

夫は、くも膜下で倒れて2週間で旅立ちました。

肉体を脱ぎ捨てて、次のステージに移行しただけだと頭で思っていても、生身で会えない寂しさや虚無感はなかなか無くなりません。

それでも、私は生きている。

まだ、元気な頃に、老後を楽しみに生きてきたんだから、その前に死んだりしないでよって話を冗談まじりに話していて、

「今まで、二人で十分楽しんだのだからいいじゃない」

という夫の返事に怒ったものでした。まさか、ほんとうに年金をもらう前に逝ってしまうとは、思いませんでした。

確かに、日本各地を車で旅して、いろんな話をして、美味しい魚を食べながらお酒🍶を呑んで温泉入って、日々楽しんでいました。

こんな暮らしが永遠と死ぬまで続くと思っていました。

幸せを当たり前だと思って暮らしていました。
なんなら、文句なんか言ってました。

そんな暮らしは、失って初めて気がつきます。

もっとこうしてあげればよかった。と思うことも

もっと隣で歳を重ねてほしかった。と思うことも

それでも、

私は生きている。

父は、20年も肝硬変だったので、毎年、葬式用の写真を撮っていました。
20年かけて、母が困らないようにといろいろと準備をしていました。

最後に屋根を直して、これで、母が生きてる間は、修繕するところはないだろうって言ってました。

そんな父を見ていたので、自分もそうされるのだと思っていましたが、父と夫は、そもそも違う人💦そんな方程式は、ありませんでした。

人は、無意識に自分の死期を感じていろいろ準備するという話を聞きますが、病気を抱えているとその準備は意識的になされます。

夫は、準備は何もせず、突然逝ってしまったので、残された方は、路頭に迷いました笑(今でも迷っております)

だから、私が先に逝くって言ったのにと怒ったものです。

あんなに生死の話をしてたのに、残された人のための用意は、していなかったという情けない話です。

元気な時に話しておかないといけない大事なことです。

昔のように歳を重ねた後に順番に来るものではなくなってしまった死を、今、もう一度見つめる必要があるのではと感じています。

何が起こるかわからない世の中で、突然の出来事にも落ち着いていられるように、自分のまなかにしっかりと繋がっていようと思います。

まったくもって、うちの夫は、商売人ということもあって、なんとかなるさって思ってる節がありました。

自分のことより人のことを優先する夫に腹を立てることもよくありましたが、男気のある優しい人でした。

戦国武将が好きで、よく、人生50年とか言ってました。そんなこと言ってるから、人生62年になってしまったんでしょう😆と言いたい。

まぁ、いい人生だったんでしょう。

これから、自分の死に方を考える人がいるかと思いますが、設定を間違えないようにね笑

ポックリと設定して、お風呂で亡くなったりトイレで亡くなったりだと、ちょっと恥ずかしいなぁって思いました。

布団の中で眠るように亡くなった人もみました。
それも突然のこともあるし、闘病の末のこともある。

父も母も闘病の末、下の世話もされずに意識もしっかりしている中で肉体が衰え自然な形で布団の中で死を迎えました。

亡くなる前は、うつらうつらと昼寝の時間が増えていきました。

体は自然に帰ろうと準備を始め、食が細くなり、最期は、息を引き取りました。

必要以上の苦しみはなく、移行していく期間を家族とともに過ごしました。

私の祖父と祖母、叔母は、母が看取りました。
それぞれの自宅で静かに息を引き取りましたが、母は、なぜ私が息を引き取る時に居合わせるのかとつぶやいていました。

お盆が近いせいなのか、やたらと亡くなった人が恋しい。

私は、眠るように死んでいこう。

あとのことは、ご自由に。

そんなことを思うお盆前です。

きっと、神折符を体験してきたからなのでしょうね。

神折符の話は、また、次の時に。

死に方が、その人の生きてきた生き方。

眠るように死にますね😆布団の中で。

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