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息子先生(生きる覚悟編)

このところ、息子先生と会話ができないくらい忙殺されていた。

「こうやって、忙しくなると日頃気にしていないことが気になり、圧をかけてくるのがパターンだよね。」

と息子先生の久しぶりの一言だ。

こういう時こそ、捕まってはいけない。

なぜなら、長くなるからだ。

食事をしながら聞き流していた。

よほど暇なのか、絡んでくる。

「経験から学んで効率よく生活ができるようになるのが大人だと思っていましたが、そうじゃない大人がいることが信じられない。」と。

彼の大人という定義とは、

俯瞰して物事を見ることができるので、人の気持ちがわかり寄り添うことができ、感情からではなく話し合うことができ、自己コントロールができているから、スケジュール管理ができる人となっているようだ。(そんな立派な大人は数少ないと思う…思いたい)そして、笑いのエッセンスを忘れない人というのが大人という人間なんだそうだ。

だから、常に予定を詰め込みすぎて(読みが甘い)バタバタと駆けずり回っているのは、大人じゃないらしい。

締切がある作業をしている時ほど、叱られる。

「なぜ、こうなると予測がつかないのか‼️」

「作業工程に知恵を絞れ‼️」

「作業工程時間を測って、無駄なく効率よくしようと考えないのか‼️」

「スケジュール管理していたら、間に合わないということはない‼️」

と言われても…。

感覚的に気が乗らない日だってあるし

誘われたら飲みに行っちゃうし

やりたいこと満載だからやりきれないし

ということで、バタバタになると

食事に手を抜き

掃除に手を抜き

洗濯に手を抜き

抜き放題なのはいいのだが、誰かがやらねばならぬ。

何となく自分だけが家のことをさせられている気がしてくるのは、決まってこういう時なのだ。

それで、息子先生に、私のご飯を作れだとか、掃除をしろだとか騒ぎ出すのがいつものパターンなのだ。

それを、察して先制攻撃してきたのだ。

「そもそも働く覚悟がないよね」と息子先生。

そんなこと、言われたくありません。

働くとは、覚悟がいるのか…。

それは、私が今まで好きなことしか仕事にしてこなかったことを言っているのだろうか。

趣味のような仕事の仕方は、確かに働く覚悟に欠けているのかも。

そもそも、人が動くと書いて働くという字なのだから、私は働いているのだよ。

だから、息子先生が何と言おうとも働いている。

でも、これがお仕事となると、どうなんだろう?

日本語は、不思議だ。

お志事という人もいる。

仕事の意味を調べてみたら、仕事とは、『生計を立てるために行う事柄』となっていた。

仕事の語源を調べてみた。

しごとの「し」は、動作、行為を行うの意味のサ変動詞の「す(為)」の連用形の「し」となっている。

しごとの「ごと」は、事

本来仕事とは、「すること」の意味でしかなかった。

「すること」は「すべきこと」でもあり、「すべきこと」は生きてくために働くことでもあると書かれていた。

なるほど。

そのため、仕事はお金を稼ぐために行うことや職業も意味するようになり、その意味で仕事を用いることが多くなったと書かれていた。

まぁ、生きてくためには働かなくてはいけないけないと言われれば、そうだと言える。

息子先生に話したら、働く覚悟というより、今は、生きる覚悟がないよねと言われた。

当たらずといえども遠からず

そうなのだ。

生きる覚悟が必要だ。

死ぬ覚悟はできていても、働く覚悟ができていないのは、生きる覚悟ができていないからなのだった。

お酒を呑んで、気持ちのいい母を置き去りにして、彼の長い講義は終わったのだ。

そろそろ、生きる覚悟をしなければいけない。


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