父とのこと


実の父とのことを書いてみたいと思います。

小学校2年の時、父とお風呂に入っていた時のことです。
「ちょっと来てみろ」と言われ、近づいていくと乳首を触られ「ふーん、まだか…」と言われたことがあります。「何がまだなの?この人は何を考えているの?まだってことは、どうなることを待っているの?」と思って、ゾッとしました。それ以来、父に不信感を持つようになりました。同じ布団には寝なかったし、お風呂にも二度と入りませんでした。母にも何も言いませんでした。

のちに心理系のセッションで、この時の体験を扱ってもらいました。「それは生物学的興味でしょうね」と言われ、なるほど私もその見解には納得しましたが、それでも私に与えた心理的影響は大きかった。これはやってはいけませんよ!お父さん方。普通やらないよね?

また父は、私が中学に入った頃から、朝、洗面所で歯を磨いていると、後ろからお尻を触ってくるようになりました。私はお尻を向けて歯を磨くのをやめ、家の中を歩き回りながら磨くようになりました。父に嫌とは言えず、母にも何も言えませんでした。でも、時々は洗面所を離れるのが間に合わず、父にお尻を触られていました。無言の格闘が長らく続きました。

私立中学に入ったので、電車通学になり、しょっちゅう痴漢にあいました。痴漢は抵抗できない子を見定めて、寄ってきます。その選別眼はすごいと思います。痴漢に遭った時に咄嗟に声を上げられる友だちは偉いなと思って、尊敬していました。私は気は強いはずなのに、どうして何も言えないんだろうか…。男に阿るからなのか?そのことが長らく疑問でした。

その疑問が解決したのは、震災で自宅が全壊した約半年後、仮設住宅に入居する前、アパートに住んでいた時です。

仕事関係で知り合った男性のお客さまに肉体関係を迫られ、一生懸命断って、なんとか断り切って自宅に逃げ帰り、酷くお腹を壊したことがありました。その後、また別の、断りきれない立場の仕事関係の男性から、出張先で何度も何度もしつこく肉体関係を迫られた時に、あろうことか、前に私に迫ってきたその男性に助けを求め(出張先は、その男性の地元でした)、その人に盾になって、守ってもらったことがありました。

何とかことなきを得て、帰宅して、倒れ込み、それから2、3日、起き上がれなくなり、仕事も休みました。

女性営業の走りでしたので、男から迫られて商談を失っても全く気にするなと常日頃から言われていました。そして、仕事上で起きたことは何でも報告することになっていたので、直属の上司ではなく、この時は社長室に、事態の報告に行きました。社長と二人だけで長時間、話し、社長は私の話をじっと聴いてくれて、私の中で湧いてきた疑問、

「私はどうして男性を拒否するとお腹を壊すんだろう?」「自分に肉体関係を求めてきた人に、わざわざ連絡して盾になってもらおうとするのは、なぜなんだろう?なぜ自分で対処することができないんだろう?」

と口にしたところ、

「本当だよね。なぜなんだろうね?」と社長は純粋に問いかけてくれました。

それから数日後。私は父にお尻を触られて大きくなったので、自分に迫ってくる男性全てに父親を重ねて見ていることに気づきました。だから、相手が痴漢であっても、誰であっても、顔を潰してはいけないと思ってしまうのです。

決して受け容れることはできない。けれども、父の顔は立てなければならない。顔を潰さないようにやんわり断り、自分の身体を守らなければならない。その葛藤が苦しくて、お腹を壊すことがわかったのです。

その疑問が解けた時、自分が男に阿る嫌な女ではなかったとわかって安心し、痴漢に咄嗟に言えない自分を受け容れることができました。

翌日、社長に「理由がわかりました!」と晴れやかな顔で報告に行くと、「そうかい、よかったね!」とだけ、言ってくれました。父の顔を潰すので、それ以上は何も言いませんでしたが、父と同じ世代の社長のおかげで、自分に気づくことができました。

数日後、母には報告に行きました。母は「それは長い間、苦しめて、かわいそうやったねぇ」と泣いてくれました。母がわかってくれたら、それだけでよかったので、父には何も言いませんでした。

私は沖縄のいなふく先生に言わせると父つながりのカルマっ子なので、父とは何度も同じ時代を過ごし、この先も何度も共に過ごすことになっていて、父の失敗は全部許すことになっていると思っています。母と違い、父が亡くなっても全く寂しくなく、またすぐ会えるという感覚があります。

こんなこともありました。

私が幼稚園に入るか入らないかぐらいの頃、父とお風呂屋さんに行き、湯船に浸かって暑くなったわたしは、風呂釜の角に両脚を広げて座って涼んでいました。

帰宅して、私の前で、父が母に「ひでみが大股を広げて座るから、ちょうど真ん前にいたおっさんが嬉しそうにニヤニヤ笑って見てるんや」と、せせら笑って言うのを聞いたのです。わたしはその時、理由はわからないけど、男の人に股を広げて見せたらいけないと悟ったのと同時に、父に対して「男親なら娘が晒し者になるのを黙って見てるんじゃないだろう。その場で娘を守るのが父親の努めだろう!」と思って、心底、父に腹を立てたのでした。小さな子どもでしたが、その時の怒りを大人になってからも、ずっと忘れてはいませんでした。

その後、アカシックリーディングをやっている友人に他の件で視てもらったところ、父は何回か前の貧しい人生で、置屋にもらわれ、芸妓たちに可愛がられて育ったことがあったと知りました。女のところに足繁く通う裕福な男たちを蔑み羨む気持ちが抜けないので、父自身はいやらしさは全くないのに、そういう男をバカにしたり、花街にありがちな品のない言動をとることがあるのです。友人の見立ては心底、納得できました。

父が亡くなった後、そのアカシックリーディングの友人と初めて会った時、父は私に「あの時はごめん」と友人経由で謝ってきました。その言葉を友人から聞いた瞬間、「昔の鬱積がつい、出てしまって悪かった」という念がダイレクトに伝わってきました。口では「そうよ!ホントに!謝って当然なんやから!」とプンプン怒りながらも、こころの中では「いいよいいよ、わかってたから」と応えました。

私は父に本当の意味での性的虐待を受けたわけではないと思っていますが、結果的にはそれと変わらないほど大きな悪影響を受けて育ったと思っています。デリカシーのない親の言動が与える影響は非常に大きいということを多くの方にわかってほしいと思います。



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