洗脳

一時期、事務手伝いに行っていた精神科専門の訪問看護ステーションに、料金を支払いに来られたらしき50前後の女の患者さん、エレベーターで一緒になったが、おどおどして、人と目も合わせられないご様子…
同居のお母様が急遽、施設に入居されることになり、突如、一人暮らしをせねばならなくなった。子どもの頃から「あんたは頭がおかしい」「能力がない」などと言われ続け、学校卒業後は母親を通して僅かに社会とつながってきただけ…ずっと引きこもって、母親の傘の下で、生きてこられた。役所に行くなど、簡単な手続きもできず、小さな意思決定すらも、難しい。看護師とのやり取りに、狼狽えや戸惑いが伝わってくる。この人は本当に自分は頭がおかしく、何の能力もないと信じ込んで生きてきたのだ…

最近はこの人に自分を重ねて見てしまう。誰かから言われ続けたことを本当のことだと信じ込んでしまい、その枠組の中で長らく生きていると、突然「違う」と言われても、唖然として戸惑うばかりで、どうしていいかわからない。過去の一つ一つを思い出し、「本当は違うのだ」「本当はこうなのだ」といちいち認識を改め、上書きしていくしかない。意識しない限り、誤って信じ込んでしまっていることも多いから、どこに大きな誤解や思い込みが潜んでいるか、自分でもわからない。そして、「上書き」がある程度進まないと、足元がふらついて、うまく歩み出せない。歩いてきた道の様子と、いま見えている道の様子が違いすぎるからだ。

誰でも多かれ少なかれ産まれ落ちた環境に洗脳されて育つようなものだが、社会との断絶が大きいと、極端な洗脳にも気付きにくい。
私の場合も、長らく洗脳状態にあり、その歪んだ物語の中で生きてきて、常識的に見て不自然なくらい、外に対して壁を作ってしまっていた。洗脳が解かれないように、自ら防御していたに等しい。洗脳には、このように、「内」だけが唯一正しいと信じ込ませることが含まれている。
そこへ最も近づいて来たのは、他でもない、ななえさんだった。ななえさんのさりげない問いかけが私の中で増幅され、やがて疑問へと変わっていった。

いまの私は自由だ。自分が見ている世界も、人が話すことも、なにもかもが「解釈」の一つに過ぎず、絶対的な真実、唯一の答えなんか、無いのだと思える。たとえ何かを信じたとしても、数ある中から選択したに過ぎないと思える。そんな風になっただけでも、ずいぶんな進歩だ。

好きなのを選んで、自由に物語を編めばいい。

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