ミッションスクールの思い出

田舎のプロテスタント系学園

 ミッション系学校、それは内情を知らない者にとってはキラキラしたイメージなのだろう。
 ミッション系学校、それは二次元ならお嬢様が集まっていそうなイメージのある学校。
 しかし、田舎はそうではない。横浜等の都会なら、それはそれはお嬢様が集い「ご機嫌よう」と挨拶を交わす学校もあるだろう。
 田舎のミッション系は、滑り止めだ。洗礼を受け第一志望だった者より、公立に落ちた者達が集った。授業中に携帯はポチポチされ(スマホと違って、画面を見なくても文字を打てた)、着メ◯が流れれば集団で咳をして誤魔化そうとするレベルの生徒が居た。

 そんなレベルの学校だった。ただ、他の滑り止めとは違い、毎朝礼拝をし、毎週一度の聖書の授業があった。そのおかげかなんなのか、いわゆる不良は居なかったこれは、そんなミッション系学校を振り返る話。

 人はパンのみで生きるのではないーー

 そんなことも聖書で言われている。しかし、このミッション系学校、受験の時に昼食を持たない人にはパンを配った。だからなんだと言われればそれまでだが、パンを配った。

 因みに、田舎過ぎて駅前にコンビニも無い為、昼食にもパン。予めクラス毎に注文票に名前と欲しいパンを記入し、日直が代金を纏めて所定の場所まで持って行く&お昼休みにクラスで注文した分のパンを教室に運ぶ。
 受験から、昼食にパン。それでもパンのみでは生きない。じゃあ、何で生きるのか? それは、神の味噌汁

 勿論、そんな訳ない。
 腹を満たすだけでも、まあ幸せ。特にネグレクト受けて育てば、腐っても焦げてもいない物を食べられるだけで幸せ。それで? そんな動物的な幸せだけで良いの? 人間なら、他にも満たさなければならないものがあるよね?
 幸せのチケットを集めまくっても満たされない。そんな感じな世の中ですが、じゃあ何をすりゃ人間は生きるのか……そこは、詳しい人に語って貰った方が良い。

 ミッション系学校、プロテスタント系。Hey和を愛する感じに毎朝礼拝をする。クリスマス礼拝もする。その前にアドヴェントもある。イースター礼拝もある。そして、礼拝の時に生徒が礼拝堂に持参するのが聖書と賛美歌集である。
 聖書は、説教をする誰か(教師であることも、外部から呼んだ牧師であることもある)が「今日はここの話をします」と言うので、そのページを開く。「~からの手紙、第~章、第~節」と言った感じに。
 生徒数が千人位は居たので、全員が真面目に聞いていた訳ではない。これを書いている当人は、ページを開いたら寝た。礼拝では賛美歌もランダム(イースター前に歌われる賛美歌、アドヴェント期間に歌われる賛美歌はある)で歌うが、それまでは寝ていた。それても、特に咎められなかった。

 とある教会の牧師曰く「寝ていても福音は毛穴から染みこむ」とか言っていたと思うからセーフである。睡眠学習、それは資格ゲッターもやっていた学習方法でもある。
 ただし、賛美歌を歌えないと、音楽の実技テストで困るかも知れない。だが、その程度だった。

 聖書と賛美歌集、この二冊を入れる袋も在った。持ち運び易く机の横にも掛けやすい。そうやって袋だけでも保護できるのだが、一年の一学期に家庭科の授業でカバーを作らされた。

 家庭科で使う材料、小学校ならクラスで纏めて注文したものだが、高校ともなれば「布くらいは自分で買え」となる。まあ、百均にも売られていますしね、端切れ。ただ、田舎だから百均へ行くにも時間が掛かるだけで。

 そもそも、田舎過ぎて交通の便が宜しくないから寮が在る。集団生活を学ぶ目的ではなく、交通の便が宜しくないから寮が在る。高校生では、その殆どが年齢的に車を運転出来ないですし。出来た所で、生徒用の駐車場が在る筈も無く。

 最寄り駅の時刻表は縦に長く、通勤通学時間にのみ一時間辺り数本ある位。祝祭日ともなれば、更に電車はやって来ない。むしろ、高校の中では最寄り駅が近い学校なのだが、家の近くに駅が在るかは生徒次第。教師なら車で通勤すれば済むが、生徒はそうもいかない。なので、通うにはハード過ぎる生徒用の寮が在る。

 小学校から電車通学する様な都会育ちには想像もつかないことだが、田舎の子供はとにかく移動手段が限られる。勿論、都会の子供も運賃を払ってこその移動だから誰でも簡単に出来る訳ではない。ただ、田舎は手段自体がない。せいぜい自転車だが、道路も車様になりがちなので危ない。
 そんな事情もあって、寮が在る。そして、自転車が無ければ買い物へ行くにも一苦労する田舎。周囲は田畑。学校の中にも畑(学校が移転する際に変えなかった土地が存在していた)。正門近くの畑を借りて芋も育てる。それが、田舎のミッション系学校である。

神は復活するもの


 イースター礼拝。それは、ミッション系学校に入学して初めての特別礼拝である。
 毎朝礼拝はある。鞄は教室に置き、聖書と賛美歌集だけを持って礼拝堂に行く。そして、礼拝が終わったら教室に戻って一時間目。
 イースター礼拝。とある教会アカウントが語っているのでご存じの方も居ると思うが、洗礼を受けた方々からしたらクリスマス礼拝より重要であると言う。
 いや、クリスマス礼拝が重要でないとは言っていない。ただ、数ある奇跡の中の、奇跡オブ奇跡の為にイースター礼拝は重要なのだ。
 救世主は裏切られ、弟子は寝るなって言っても寝こけ、「知らない」「あの人? 知らない」「知らねッス」とまで言われて、

 コケコッコー

と言う話である。前半は。ユダには金で裏切られ、最初の弟子には「知らない」と三度も言われ、結果的に処刑される。

 十字架は自分で運ばされ、茨の冠を被らされて「やーい、ユダヤの王」とまで言われて、人間の為に死ぬ。一旦死ぬ。死んだら、死んだのを確かめる為に槍で刺される。
 この槍で刺されたエピソードが、実は一種のフラグである。

 死んでから三日。とりあえず、曜日は日曜日。創造主も休む日曜日。そんな曜日だけに埋葬地を見張る兵は眠りこけ、復活する救世主。
 疑い深い弟子に、腹の穴に手を突っ込まれて確かめられる救世主。他の弟子も集まって、奇跡を祝う。まあ、その後に結局昇天しますが。
 
 因みに、礼拝以外では、生徒にゆで卵が配られた。何となく色を付けられたゆで卵。塩はクラス毎に一瓶。直ぐに食べなくても良いが、ゆで卵を持ち帰るのも何に入れれば良いのか。そんなイースターだった。

アガペーの花咲かそうよ

 そして、お次の学校行事は花の日礼拝である。こちら、米国発祥のもので、米国であれば花々が咲き誇っていた時期なのだろう。だが、日本は梅雨だ。
 ともあれ、通っていた学校は米国発祥の宗派であったので、花の日礼拝も行われた。花の日礼拝は午前中に行い、午後からは花を持って高齢者施設に訪問をする。ただし、そちらを選んだ生徒だけが訪問する
 じゃあ、残りは何をしたかと言えば、学校周辺の掃除である。なんなら、草毟りと共に花も毟る。花の日に野に咲く花は毟る。

 花の日には草毟りをしたが、畑で芋を育てもした。全てのクラスが芋を育てた訳では無い。だが、良いじゃないか、悪役令嬢だった畑を耕して野菜を育てる。田舎のミッション系高校で芋を育てても、不思議はない。
 そんな訳で芋を育て、秋には芋煮会をした。冬には、焼き芋をした。ジャガイモに至っては一度の芋煮会では消費しきれず、日の当たらない理科部の部室に保管された。

 畑では、芋以外にも作物を育てていた。綿花を育て、人力で糸を紡ぎ、小さいながら布も作った。食材だけでなく布も作る。「何をやっているんだミッション系高校で」そう思われても仕方のない話である。
 種を明かせば、単なる理科研究の一環である。何人かの班に分かれて、話し合いの後に研究する対象を決め、それぞれの班で調べる。その内の一つが、綿花を作ってからの染色である。つまり、染色する為の染料を調べることから、化学知識も付く。
 天然素材の染料に化学染料、それぞれを使って染め上げる。それが、進学や就職にどう関わるのか……そんなことまで考えてはいない。
 畑では無いが、植木鉢でケナフも育てていた。そこから、色々と手を加えて紙を作る。植木鉢に植えた本数程度じゃ、大して枚数は作れない。それでも、ケナフは植木鉢からにょっきり生えていた。

礼拝堂について


 ミッション系高校に在って、他の高校には無い礼拝堂。ステンドグラスから日光が差し込み、パイプオルガンが清らかなメロディを奏でる空間。そこだけは、田舎の空気を遮断し、ファンタジー世界の様な気分を味わえる。
 木製の長椅子は、四人掛け用。観光バスの座席の様に、背もたれの後ろには荷物を入れる箇所がある。そこに、生徒は礼拝の為に持参した聖書と賛美歌集を入れる。それが、長椅子毎に四人分。ただし、綺麗に長椅子が並んでいる訳では無いので、場所によっては斜めの位置に聖書と賛美歌集を置く羽目になる。
 礼拝では、聖書も賛美歌集も使うが、どちらかを開いている時に、どちらかは前の長椅子にある荷物を入れる箇所に置いておく。シンプルながら、優しい仕様だった。
 因みに、座席は後方程高くなるので、礼拝堂で映画を観る時にも便利だった。

 そして、説教をする誰かが立つ場所。名称は知らないが、この利用方法はミッション系高校ではない学校にて体育館で全校集会をする時に、先生だの生徒会長だのが話す時に立つ。そんな場所。
 体育館の全校集会と違うのは、マイクだけではなく、机が置かれていると言うことだろうか。
 そして、その机の背後の壁に十字架。プロテスタント系の学校なので、木製のシンプルな十字架。豪華でキラキラしたロザリオはカトリック。と言うか、多くの人が想像するファンタジー的な教会アイテムは、割とカトリックのもの
 神父が纏うカソックにシスターとシスター服。それはプロテスタント系高校にはない。
 懺悔室もない。当然、懺悔室の裏で叫ぶ神父もいない。
 壁はコンクリート打ちっ放しな灰色。そこに、木製の十字架。そんな感じの礼拝堂。

 そして、賛美歌を歌うときに演奏する為のパイプオルガン。これは寄贈されたものらしいが、豪華だった。パイプオルガンの値段を検索すれば、庶民には幾つゼロが付いているんだこれ……となるのがパイプオルガン。その音色を毎朝聴けたのは良かった。あの音色は、自分の中の穢れた何かを、悪い感情を消してくれる様に思えた。

 なお、礼拝堂は二階と書いたが、パイプオルガンは四階に置かれていた。その方が音響効果的にも良いのだろう。
 ただ、二階の礼拝堂からパイプオルガンの置かれた四階に行くには、一旦礼拝堂を出てから階段を上らなければならなかった。
 礼拝堂はパイプオルガンを演奏するには良い音響効果。ただ、オーケストラが呼ばれた時は、音響効果が徒となった。私には。
 パイプオルガンの優しい音色なら平気だったものが、オーケストラの大きな音の組み合わせで耳がやられた。やられたと言うか、そもそも小学校に入る前の聴力検査で引っ掛かっていたのが、毒親は平然と医療ネグレクトをするから放置したまま十年位経っていた(当時)のである。
 裏を返せば、パイプオルガンの音色は優しい。小中学校で行われた体育館での演奏は、音が外に逃げてこもらなかった。
 音楽室で演奏するのは、大抵ピアノかリコーダー。大きく響く音はない。体育館は天井が高く、オーケストラが来たところで音があちこちから逃げ出す。だから、礼拝堂で大きな音を出されるまで、その症状には気付かないでいた。
 パイプオルガンの音色に癒される反面、オーケストラ演奏中はずっと気持ち悪かった。耳の奥が揺さぶられる感覚にずっと耐えていた。

 そう、小中学校では体育の授業も全校集会も体育館でやるから広さが在った。だが、ミッション系高校は礼拝堂で全校集会もするから体育館は広くなくて良い。なので、大体バスケットコートが二つ分の体育館だった。その代わり、複数在った。
 体育館が複数在るから、一学年が十クラス以上有っても体育館で被ることは無かった。あと、体育館にも屋内移動で行けた。
 体育館で全校集会をする度に、体育館シューズを入れた袋をぶら下げて移動する面倒。全校集会中も袋を持ってつまらない話を聞く苦痛。あれともオサラバ出来た。体育自体は楽しく無いが、それでも何かが小中学校よりは楽だった。

アドヴェント

 救い主の誕生を待つ期間、アドヴェント。それは蝋燭を灯しながら、音楽の授業でメサイアを練習し続ける期間。
 令和日本は、ハロウィンが済んだらもうクリスマスモード。なんなら、ハロウィンが終わるより前からカボチャ系のお菓子は消え、クリスマスアイテムが陳列される。とにかく稼いでおけと言う意思を感じる。
 だが、アドヴェント期間はそこまで長くない。灯す蝋燭は四段階。区切りは日曜日だろうが、学校は休みだからそこは臨機応変に。

 アドヴェント期間の蝋燭、救世主を四千年待ったから四本? とにかく蝋燭を灯し、最終的に四本になった週にクリスマス。良く売られているアドヴェントカレンダーは、十二月の日付だけが書かれたものが多いが、アドヴェント期間は毎年変動する。賛美歌も、主を待ち望んだ後に第一の蝋燭から、第二、第三ときて、最後の蝋燭を灯した週にクリスマス礼拝を行った。
 古より、光は崇拝の対象。創世記でも、始めて創られたのが光。言葉はその前に有ったが、有ったから「光あれ」と言えた。言葉が無ければ、言えなかった。火は悪魔が人間に教えた、悪しき知恵でもある様だが、それはそれ。終末には、何か焼き滅ぼされる様だが、それはそれ。蝋燭に火は灯す。

チキンとケーキとクリスマスツリー

 十二月の家庭科の実習でチキンもケーキも
焼いた。
 オーブンで鶏肉を焼く。こんなの、高校でしかやったことがない。鶏肉はオーブンで焼かなくともどうにか出来る。

 クリスマスツリー、それはキラキラとしたイメージのもの。と言うか、クリスマスツリーが無くても、クリスマス前はあちこちキラキラする。
 じゃあ、さぞかしミッション系高校もキラキラすると思うじゃん? しなかった。田舎だから。夜にキラキラすると、作物の成長に影響するってクレームが入って点灯不可。
 ともあれ、クリスマスにキラキラ出来るのは、観光地か都会のミッション系学校なのだ、多分。

設備のあれこれ

 クリスマス礼拝が終われば冬休み。ただ寒いだけの冬休み。校舎は床暖房で温々なのに、冬休みは寒いだけの期間。だが、校舎は床暖房で温かかった。古い小中学校では、灯油ストーブで温めるしかなく、近い席はやたら暑く、窓際は寒いまま。換気も必要とそれはもう落差があった。
 それに、エレベーターも設置されていた。バリアフリーがなされていた。小中学校の古い校舎では、せいぜい給食を二階に運ぶエレベーターが有っただけ。むしろ、なんでそのエレベーターが有ったのか、謎でもある。
 夏場はクーラーも付けられる。だが、校舎は太陽光を取り入れる様に設計されている為、そこまでは涼しく無かった。なので、スカートばっさばっさする生徒が続出。ミッション系とは言え、田舎の滑り止め高校の子女がお淑やかなお嬢様と言うのは、幻想である。
 昼食の後はゴミが散らかり、体育の後はスプレーで匂いが混ざり合ってとんでもない悪臭が教室に満ちる。風紀検査では、一時的に黒髪にするスプレーを撒き散らし、下校まですら待てないで洗う「メンタルどっかおかしくね? 大丈夫? 何かしらの病気?」な奴も居た。

 教会ってのは、鐘が鳴る。それ即ち時を告げる鐘。学校であれば、始業に放課、チャイム以外に響き渡る。
 ベルタワー。礼拝堂の西側にあり、田舎の中で存在感を発揮していた。他に高い建物がない。近くに、それ以上高い建物が無い。
 そもそも、田舎の建物で高いのは学校。家屋に二階建てはあれど、三階建てはそうそうない。なので、三階以上の高さを持つ建物は学校の校舎である。そして、その校舎より高いのがベルタワーである。
 さて、そんなベルタワー。中は殆ど階段。コンクリート打ちっ放しの壁。コンクリート打ちっ放しな上に冷暖房も無いから、季節を感じる階段。それを掃除するのも生徒の役割。上から下に回転しながら箒で掃く。

セキュリティは雑魚

 在学中、ロッカー荒らしが出た。三クラス分のロッカーが荒らされたらしい。その事件は特に解決しないまま、噂だけが流れて終わった。
 あと、爆弾予告が有った。有名人も通う様な青山と違ってニュースにはならなかった(だから書ける様なもんだ)が、爆弾予告が有った。やはり、犯人は捕まらなかった模様。
 高校で起きた事件は、迷宮入りする。名探偵の孫でも居ない限りな!

その他の与太話

 懺悔室はありませんが、宣教師舘ならありました。とは言え、学校が出来た頃は宣教師が居ても、二十一世紀に学園の敷地内で宣教師は暮らしてはいない。それなのに、移転の際にちゃんと移設された宣教師舘。
 誰も住んでいないからこそ、見学も可能でした。なので、ロングホームルームの時間を使って見学しました。
 二階建てなので、階段も登って色々と巡り、階段を降りる際にスリッパが脱げて一階まで先に落ちた思い出。
 普段、何も履かないで猫のモフモフを素足で堪能していたので、スリッパにまるで慣れていなかった。ので、脱げた。上履きって、脱げにくくて良いね!

 因みに、ロングホームルームを使って大学を見学しに行った時も有ったが、講義中に漫画雑誌を読んでいるレベルの学生を発見して終わった。ロングホームルームの使い方、正確は分からないが、自由なクラスだったと思う。

 高校で秋に行われがちな文化祭。ミッション系高校では、文化祭らしきものはやりました。
 元々、戦後に校庭で育てた野菜を売ったのが始まりのバザー。あくまでバザーが起源の、一般開放イベント。なので、生徒は手作りのものを売ります。手作りのものは、家庭科の授業で作りました。コース毎に作るものが違うので、売り物にもバリエーションがあります。そして、当然ながら質の差は否めない。

 農業高校なら、野菜や果物が争奪戦になると言う。何だかんだ食べられるものを安く買えるのは強い。だけど、ぬいぐるみは別に生活する上で必要無いし、他の手芸品も取り立てて必需品かと問われれば肯定出来ない。

 それでも、毎年家庭科の授業製の商品は売られ、終わりが近付くにつれて安くなる。安くなれば、どんな酷い出来の製品でも、糸を解いて布を別の物に錬成し直すのが目当てなら買いである。コロナ禍(初期)で、グラム売りの古着がごっそり売り切れていたので、布目当て勢は何処にでも居る。田舎なら手芸が趣味の人は余計に居る。

 売られた商品がどう扱われたかは謎だが、戦後のバザーから始まった行事は、何十年経っても手作りのものを売る。いや、文化祭でも食べ物を作って売りますけど、細かい部分が違っていたのです。

 高校三年が意識する受験。歴史は長いミッション系学校だけに、ミッション系大学への指定校推薦枠が多種多様でした。つまり、その全ては把握していない。
 ただ、五十音順にリストが並んでいたので、「正月の駅伝で活躍する大学」が指定校推薦枠にあったのは覚えている。
 しかし、周囲が田畑の学校から東京23区の大学。駅伝選手の寮は東京とも神奈川ともつかない場所にあるが、本局は東京23区の大学。その差は凄い。

 もさい、芋い。そんな田舎から、オシャレな金持ちが住みそうな場所にある大学。メンタル的に、指定校推薦の基準を満たしていても無理だなと思った。
 もとい、ミッション系学校で多くの人が想像するのは、あんなキラキラした学校でしょう。クリスマス前に、クリスマスツリーがキラキラ出来る。それだけでもう、如何にもなミッション系学校。前述した通り、田舎の夜は暗い。クリスマスツリーはキラキラ出来ない。

 そう、物書きの番組で「怖い話をして」と振られて「楽屋が広くなったなと思っていたら、メンバーが三人に減っていたんですよ」と話した人が書いた、青春小説の様な……そんなミッション系を多くの人が想像しているだろう。だが、それも都会の学校だから!
 田舎の滑り止め高校など、やる気もなきゃキラキラもしていなかったぜ! 買い食いなんて、田舎は店が無いから無理だね! 海に行くなんてもっての外! 
 まあ、放課後にどれだけ遊べるか。そこら辺は親ガチャにも左右されるけど、田舎は店がない。そこは、変わらんのだ。

 因みに、海にも行きました。しかし、泳がない。そもそも、水泳授業が無いから、学校指定の水着もない。
 じゃあ、何をしに海に行ったかって、地引き網。バスで太平洋を目指し、お魚をとって、昼ご飯を食べて、バスで学校に戻る。
 何が楽しいんだ、その行事。そう思われるだろう。私もそう思う。

 数時間バスに揺られ、海で網を引っ張り、砂浜でゲリラ豪雨にやられ、ブルーシートを頭上に掲げてバスに戻る。レクリエーションと言うより、むしろ、苦行の類。
 クラスによっては、家庭科室を借りて美味しく食べた。しかし、自分の所属していたクラスはそのまま解散した。

 魚を持ち帰りたい人は持ち帰って良いので、何だか残っていた小さな鰺を貰って帰った。そして、お猫様に献上した。
 しかし、お猫は丸ごとの鰺を食べ物とは認識しなかった。お魚くわえた猫にはならなかった。

 不器用なりに鰺をおろしたら、お猫様はそれが美味しいものだと気付いて目を輝かせた。そう、お猫様の喜びは下僕の喜び。与えすぎは体に悪いが、獲れたて鰺は美味しかった様だ。私は食べなかったので謎だが。

 平和の象徴扱いされる鳩。白い鳩なら聖霊扱い。だが、そこら辺にいる鳩は、大体その糞で嫌われる。
 そんな鳩が、校舎内に入り込んだ事があった。誰も積極的に追い出そうとはしなかった。体育館を鳩は舞い、教員用トイレにも入り込んだ。

 そして、それを見た先生は授業で語ったのだ「閉じ込められた鳩と外にいる鳩が、窓越しに別れを苦しんでいる」的なことを。
 昔の話なので、細かいことは忘れた。だが、先生は二羽の鳩を夫婦と認識し、閉じ込められた側の鳩を奥さんと認識していた。
 平和の象徴たる鳩。駅前にも学校にも居がちな鳩。だけど、そうそう屋内には入らない鳩。

 積極的に追い出そうとする人が居なかったせいか、数日は校舎に居た。何でか知らんが、数日は鳩が居た。
 流石はミッション系学校と言うことか、知らんけど。

 さて、そろそろ卒業式のことを書きますかね。実は、時々「高校の卒業式に行かなきゃなのに、制服がない」と言う夢をみてしまうのです。悪夢ですね。
 高校を卒業してから、十年以上経ってもみてしまう夢。これは、卒業式の後に毒母がしたことが関わっている。だからこそ、私はそれをここに書いて悪夢を断ち切る。その為に、ここまで書いてきた。

 高校の卒業式は、蛍の光も国歌も歌わなかった。賛美歌を歌い、パイプオルガンの音色が生徒の門出を祝う。そうして、卒業証書や記念品を受け取り、卒業生は学び舎を後にする。携帯電話を持つ生徒が多い時代だから、連絡先を交換していれば卒業後も交流が可能。だからなのか、小中学校の卒業式よりも別れはさっぱりしていた。

 そして、卒業と同時に使わなくなるものは沢山ある。その代表格が制服だ。教科書の類は、勉強して得た知識の確認に有用だ。だが、制服だけは学校に通う生徒だけが纏うことを許された装束。それぞれの学校に所属していることを表す為の服。

 そう、確かに必要では無くなった。だが、卒業の感動も冷めぬ内に、毒母は、わざわざ私の目の前で、見せ付ける様に制服をゴミ袋に入れた。これが、私が意識していまいと、十代の心に悪質な棘として刺さっていた様だ。

 高校の制服は、親戚に同じ高校へ通う子供でも居ない限りは不用なもの。私自身、卒業後に高校の制服を着ようとも考えなければ、夢にみない限りは思い出しもしない。なんなら、スカートが嫌いだから、本当に必要無ければ制服を着たくも無かった。

 なのに、夢にみてしまう。そして、そんな時は寝たのに酷く疲れている。
 だから、その十代の心に刺さってしまった棘を抜き、この作品の完結と共に封印する。






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