涙をふいて立ち上がるのさ 時代をつくれ ラジカル・ティーンエイジャー!

1995年1月17日、後に「阪神淡路大震災」と呼ばれる大地震が発生した。
発生から約1週間後の1月23日に発行された「産経新聞 緊急増刊 1月27日号 神戸大震災」という雑誌ではこう報じている。

17日午前5時46分ごろ、阪神地域を中心に極めて強い地震があり、神戸や洲本(淡路島)で震度6(烈震)、京都、彦根、豊岡で震度5(強震)を記録した。

 大阪管区気象台によると、震源は淡路島の深さ約二十キロで、地震の規模はマグニチュード(M)7.2。淡路島北部の断層に横ずれが生じて起きた可能性が高く、関西では昭和二十三年のM7.1の福井地震以来の規模。余震は、奈良で震度4を記録するなど十八日正午までに七百二十一回に達した。

それから1年3ヶ月後の1996年4月17日、「THE ALFEE」が、まだ仮設状態だった「神戸国際会館ハーバーランドプラザ」で、震災後初となる神戸でのライブを行った。

GB(ソニー・マガジンズ) 1996年7月号に、そのライブレポート(文・小松明美)が掲載されている。

 そのハーバーランドプラザの前に、開場数時間前から大勢のファンが集まっていた。神戸のファンにとっては、どんなにか待ちわびていたコンサートだったろう。

ファンは「みんな一様に、この日を本当に待っていたと興奮気味に話してくれた」。

その中の数人が一枚のハガキを見せてくれた。それは震災直後、神戸をふくむ被災地のファンに送られたアルフィーからの直筆応援メッセージだった。官製ハガキにサインペンで書かれたそれは、明らかに高見沢俊彦の筆跡だった。
「2月4日にこのハガキが届いたんです。最初はもちろん印刷だろうと思ったし、印刷されたものでも嬉しかったんだけど、陽にかざしたりして、いろんな角度からハガキをながめて、これって直筆だってわかった瞬間、泣いてしまいました」

高見沢は、1000枚近くのハガキをセッセと書いたそうだ。
震災後初の神戸ライブは、その高見沢の誕生日当日だったこともあり、特別なものになった。

 すべての曲を歌い終えて「また神戸へくるぞーっ!」と再び高見沢は叫んだ。メンバーは楽器を置いてファンに手を振っている。そのとき、場内には「ラジカル・ティーンエイジャー」が流れていた。
 私のすぐ近くに、開演前に話を聞いた神戸のファンがいた。彼女はずーっと盛り上がってコンサートを楽しんでいた様子だったが、この曲が聞こえてきたとたんに顔をゆがめて泣き崩れた。

涙をふいて 立ち上がるのさ 時代をつくれ ラジカル・ティーンエイジャー!

アルフィーが震災にあったファンに送ったハガキには、じつはこの曲のこの一節が書かれていたのだ。しゃがみこんで泣いていた彼女は、ハガキの文面と、それを受け取ったときの気持ちをきっと思い出したのに違いない。

2021年1月。昨年より続くコロナ禍で、音楽は「不要不急のもの」とされ、さらに感染予防の観点からライブ演奏は激しく制限されている。
本当に、音楽は、ライブは「不要不急」なのだろうか?
音楽に、力はないのだろうか?

そんなことはない!!

音楽に縋ることによって、その日一日をどうにか生きることができた時期を経験した私は、そう強く信じている。

「ラジカル・ティーンエイジャー」(作詞・作曲 高見沢俊彦)の歌い出しの歌詞は、こうである。

悲しいニュースが また一つ 街に流れ
そして人は 憎み合い 心探り合う

そんな 2021年の世の中を生きる「崩れた夢に立ち尽くし、涙を流す君」へ、曲は「すりきれた夢は 捨て去ってしまえ」と勇気づけ、そして、こう励ます。

涙をふいて 立ち上がるのさ 時代をつくれ ラジカル・ティーンエイジャー!


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